第17話 ごめんなさい
お父上の書斎に戻り、持ってきた学校の宿題を終わらせて翌日の予習も終わりに差し掛かった頃
「竜星君、準備できたからご飯食べに降りていらっしゃい」
「はーい! 」
元気よく返事をして、階段を降りる。お味噌汁のいい香りと、エビフライであろう素敵な香りが徐々に近づいてくる中、辿り着いてみると予想ドンピシャエビフライ! しかも大きなシルバーのお盆にキッチンペーパーが敷かれ、それに山盛りのご馳走マウンテンがそびえ立っている。周りにはレタスやトマト、パプリカなど色とりどりのキラキラした野菜たちと一緒にポテトサラダまで鎮座していらっしゃるではないか! 好きなものオンパレードに見とれていると
「はい、上杉くんはこっちに座ってね」
お箸を置いてくれた、可愛いエプロンをしてポニーテールの柚子葉ちゃん。どこか少しお姉さんっぽくてキレイで、柔道着の時とは全く違う雰囲気にポワンとしていると
「え、なに? ひょっとしてマヨネーズとか付いてる? 」
気にする仕草もかわいい。
「ううん、サラサラのポニーテールにエプロン姿の柚子葉ちゃんがかわいいなって思って! 」
「もう、だからそういうことを女の子に言わないのー」
口にしながら何だか嬉しそう。
(我が家は父さんが海外出張でほとんどいないからこうして大勢で食事をする機会はないし、いつも母さんと二人での食事だからワイワイ楽しいな。いや待て……ご馳走になるということは、今日は母さん一人で晩御飯を食べるのか?)
イジメられてきて独りぼっちの寂しさは身に染みてわかっている。先程までの手放し浮かれムードから一転、感情が正直に顔に出てしまうのは僕の良いところでもあり悪いところでもある。
「上杉くん、大丈夫? どこか調子悪い? それとも食べられないものあった? 」
心配して寄り添ってくれる柚子葉ちゃんに『家で独りぼっちなので母さんも呼んでいいですか』なんて事は言えず
「ごめんなさい。母さんが一人で待ってくれているので帰ります。独りぼっちは寂しいから……」
俯きながら正直な思いを伝えた矢先、ピンポンとインターホンが鳴ってケーキ屋さんの袋を持った母さんが現れた。
「姫嶋さんが誘ってくださってね、お母さんも図々しく来ちゃった! 」
ニッコリ笑った母さんの顔を見たら、嬉しさとありがたさからポロポロと涙が止まらなくなった。
「柚子葉」
お母上から声を掛けられた彼女は僕の隣にそっと座り、頭を優しく胸に抱えるようにして
「大丈夫よ、誰も独りぼっちなんかにしないから。上杉くんは本当に優しいね」
零れた涙をネコの刺繍の入ったハンカチで拭いてくれた。
「ささ、それではみんなで楽しくいただきましょう! 竜星君、お腹いっぱい食べてね! 」
お母上の明るい掛け声とともに、大好きなエビフライに噛り付いた。
テーブルの上のお皿たちはキレイに空っぽになり、楽しい雰囲気にいつもより沢山食べられた気がする。
「柚子葉、お片づけ手伝ってちょうだい」
「はい! 」
お父様とバドミントンについてお話している間に、先程までご馳走がいっぱい並んでいたテーブルが真っ白なショートケーキとお洒落なティーカップの並ぶそれへと姿を変えた。当然のことながら我が家ではこの様な環境でケーキを食べることは無く、お洒落なスプーンやフォークに戸惑っていると
「そんなに気にしなくていいのよ。こうやって大胆に噛り付いちゃえばいいんだから! 」
気遣ってのことだろう。彼女は手づかみでショートケーキにかぶりつき、決してお行儀がいいとはいえない食べ方を敢えてやって見せてくれた。そして指についた生クリームをペロリと舐めている姿にご両親も笑顔だ。
「じゃあ、僕も! 」
同じように大胆にかぶりついてモグモグしていると、ニコニコしてくれている柚子葉ちゃんの顎に生クリームが付いている。親指でそれを拭ってパクっと食べると、真っ赤っかになって俯いてしまった。
「そういえば、大会用の全日本柔道着が届いているわよ。竜星君にお披露目していらっしゃい! 」
お母上の一言でパッと表情の晴れた彼女は『ごちそうさまでした』と手を合わせ、一緒に先日お邪魔した部屋に上がった。そこには日本柔道連盟からの段ボールが届いており、引き出しから取り出したカッターナイフでキレイに開けると青色と白色の柔道着が入っているのが見えた。
「オリンピックの試合で見たことがあるんだけれど、対戦する相手とは違う色の柔道着を着るんだね。それは地区大会とかでもそうなの? 」
「国内の学校に柔道部がある選手は背中に学校名と名前を縫い付けるんだけれど、私は学校からの出場ではないし全日本ユースだから。背中には道場名と名前が刺繍されているんだよ」
広げてみせてくれた柔道着の胸部分には日の丸が縫い付けられていた。
「柚子葉ちゃん、全日本ユースなんてすごい! 本当に将来はオリンピック選手だね」
「でもオリンピックに出られる基準ってものすごく難しくて、自分の階級で負けないのはもちろんなんだけれど、今はまだユースであって正式にジャパンの選手ではないからこれからもっともっと頑張らないとね。高校には柔道部があるから来年からは高校生部員として出場することになるだろうし、そうなるときっと強敵はいっぱい居るから大変だよ……」
急に彼女の表情が曇った。強い弱いの話ではなく、何か他の要因で悩みがあって苦しんでいるのであろうことは長年イジメられて苦しんできた感覚から感じ取れた。
「柚子葉ちゃん、いつも明るく優しく接してくれてありがとう。学校でもイジメられなくなったし、本当に感謝してるんだ」
「ど、どうしたの? 急に」
「何かご両親にも言えない事で悩んでいるでしょう? それが何なのかはわからないけれど、柚子葉ちゃんが苦しんでいるのだけは何となくわかるんだ。僕でどうにか出来ることではないんだろうけど、よかったら話してくれないかな?」
これを聞いた瞬間、彼女の表情から笑みは消えてしばらく無言のまま俯いてしまった。何とか固まった心を溶かして欲しくて彼女の前に座り、両手を握ってじっと優しく目を見つめる。
「ごめんなさい……」
か細い声と共に、瞳からポロポロと涙が零れ始めた。普段ならこういう時にどうしていいかわからなくてオロオロしてしまうのだが、この時ばかりはごく自然に彼女を抱き寄せて頭を撫でながら
「大丈夫、苦しみも悲しみも全部一緒に背負うから。話してくれる? 」
そう言葉に出来ていた。暫く静かに泣いていた柚子葉ちゃんの口から言葉が漏れはじめる。
「公立の中学に比べて私立の中学は学費が高いの……そのぶん学校終わってから子ども達に柔道を教えるってアルバイトさせてもらっていたのだけれど、高校に入って学校で部活をやるとなると子ども達を教えるアルバイトができなくなっちゃうから。上杉くんと同じ高校に行けないかもしれない……」
初めて吐露した気持ちを抑えきれないとばかりに、彼女は声をあげてしゃくりあげながら泣いた。彼女を抱きしめて優しく頭を撫でていると、その声に驚いたご両親が部屋に入って来て困惑した表情で僕を見ている。
「柚子葉ちゃん、一人で苦しまないで。どうしたらこのまま学校に通うことができるのか、訊いてみるから」
彼女を抱きしめたまま我々の様子を見ているご両親に訴えかける。
「恐らくご両親にもずっと言えなかった苦しみを、今日初めて打ち明けてくれました。それは高校で柔道部に入ったら中学の時と同様に子ども達へのアルバイトができなくなるので、自分は学費の安い公立高校へ転校しなければならないというものでした。僕は先ほど柚子葉ちゃんに『苦しみも悲しみも全部一緒に背負う』と約束しましたので、出来ることは全部やります。アルバイトが必要ならばバドミントンを辞めて彼女の足りない学費を補填します。笑顔の柚子葉ちゃんが大好きなので、その為なら何でもします! ですから何をすればよいのか教えてください」
この瞬間彼女は僕の肩から顔を上げてブンブンと首を横に振った。
「大好きなバドミントンを辞めちゃうなんて絶対にダメ! それなら私が柔道部に入らずに今まで通り子ども達を教えながら何とか学校に通わせてもらえるようにお願いするから……」
「でもそれじゃインターハイに出られないじゃないか」
これを聞いたお父上は自分と柚子葉ちゃんの肩に優しく触れ
「柚子葉が竜星君と同じ中学に行きたいと言い出した時、中途半端な子どもの駄々だと思ったよ。この体で大人を投げるなんてできっこないって諦めさせようとしたのも事実、でもそれは学費がどうのっていう問題じゃないんだ」
いつの間にかお母さんも横に座っていた。
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