第16話 どんだけ
インターバルが終わりプレイ再開。
「イレブン・ラブ、プレイ」
サーブの位置に立って相手を確認すると、受け手の三宅さんは小刻みに膝が震えていた。本来こういう時は相方である彼がサポートすべきところなのだが、一点も獲れずにラブゲームの状態ではそんな余裕が無くなってしまっても仕方がない。軽く手を挙げてサーブ体勢を解き、声を掛けようとすると
「三宅さん、私たち今日初めてダブルス組んだの。あなた達が先輩相手ということで緊張してくれてるおかげでここまでビックリするくらい順調だけれど、いつもの三宅さんはこんなもんじゃないわよね? 遠慮せず叩き潰しにいらっしゃい! 」
高見澤さんの声にこわばった表情から少し笑みが漏れ
「ハイ! 」
元気な返事と共に相手コートの雰囲気が変わった。先輩としてちゃんと気遣いができるほどに相方も集中している現状と、コート全体の程よい緊張感が心地よい。
改めてサービスラインに立ってショートサーブを放つと、キレイな放物線を描いてエンドラインギリギリにハイクリアが返ってきた。ここで互いに男子が後ろで女子が前のトップアンドバックにシフトチェンジ『しばらく我慢比べの打ち合い』ということだ。僕と酒井君、互いに心理を読みあいながらのハイクリアが何本続いただろうか、こうなってくると『スタミナ真っ向勝負でドロップやスマッシュを打った方が負け』みたいな、変な意地の張り合いが行われている。それでも前衛に居る女子達は一切気を抜くことなく、いつ落ちてくるかもしれないチャンスに備えてシャトルの動きを目で追っているも、男同士の意地の張り合いは終わることなくもう何十本と続いている。
そしてこの均衡が破れる瞬間は、意外とあっけなく訪れた。左右どちらに振られても対応できるように毎回必ずセンターポジションに戻るのだが、そこに流れ落ちた自分の汗に滑ってしまい、転んで尻もちをついてしまったのだ。ピリピリとアンテナを張っていた高見澤さんがすぐさまこれに反応してバックハンドで何とか返してくれたものの、これは彼にとって絶好のチャンス! こちらのコートにおもいっきりシャトルを叩きつけられ、
「ッシャー! 」
という雄たけびと共に両腕を高々と上げている。一点も獲れなかった先輩からの貴重な得点は、それがこちらのミスであったとしてもこの上なく嬉しかったのだろう。
「大丈夫? 足首ひねってない? 」
そう言って尻もちをついたままの自分に手を差し伸べてくれる高見澤さんは、すごく心配そうに声を掛けてくれている。
「ごめんね、汗で滑っちゃった。しっかりしなきゃいけないのに本当にごめん」
「謝らないで! 一生懸命支えてくれてるのわかってるから。気持ち切り替えていこ! 」
顧問から投げ入れられたタオルで床を拭いて、審判と相手コートにお辞儀をしてプレイ再開。
その後もビリビリとした緊張感の中試合は進み、終わってみれば二十一対一。汗で滑って転んだ一失点のみで終了し、互いの健闘をたたえ合う握手と共に周囲から賞賛の拍手をたくさん貰った。
リストバンドをはめたままの神谷さんが立ち上がって大きな拍手で喜んでくれていたのは、僕にとっても高見澤さんにとってもすごく嬉しいことで、審判に挨拶をした後に神谷さんの方に歩いて行き
「ありがとう」
と手を差し伸べた高見澤さんもまた神谷さん同様、その瞳にうっすらと涙を浮かべていた。そしてクルリとこちらを向き
「上杉君、ありがとう。混合ダブルス頑張るから! 」
固い握手をした後で、ハッと我に返ったように少し下を向きながら
「ハ、ハイタッチとか握手とか……普通の男子とは絶対にしないんだからね? これは試合に勝った相方へのご褒美というか、何というかそのー」
モジモジしている彼女に顧問が大きなスポーツタオルをバフンと掛けて
「まったく、リューセーもヒロコも試合離れたら、どんだけ不器用なんだよ」
ケラケラ笑っていた。
中学生最後の試合という枠の中でその強弱を競うのに対し、柚子葉ちゃんは体重による階級枠で勝負する。もちろん『学生選手権・中学の部』という括りはあるものの、彼女の舞台は全日本である。学校の名前を背負って出場するわけではなく、道場の看板を背負って試合に出るそのスケールは、県大会レベルの我々とは比較にならない。
華道繋がりで姫嶋家にお邪魔した時に目に写った勲章の数々は、努力と我慢と向上心がもたらしたものであると考えているが、自分を追いかけて転校してくれた彼女のことをあまりにも知らなさ過ぎる。
「今日は大会前に他校との練習試合をお願いに行くから練習休み。テストも近いことだし各々しっかりと勉強する様に」
顧問からの言葉を受けて遊びに行く仲間が多い中、実際に畳の上で活躍している彼女の姿をどうしても見たかった僕は
「柚子葉ちゃんの道場に見学に行ってきます」
母に伝え、制服のまま道場に向かった。チラチラと雪が舞っている道を歩いて行くと、近づくにつれ竹刀の音と活気のある声が耳に入って来る。辿り着いたはいいけれど、入門希望見学でもないのに正面から『こんにちは』という訳にも行かず、玄関のインターホンを押す。
「いらっしゃい、寒かったでしょう? お母様から電話いただいてるからお上がりなさい」
と迎えられた。靴を揃えて用意されたスリッパを履き、リビングで温かい紅茶を頂いてポカポカしたところで
「柚子葉の練習風景を見たくて来てくれたんですってね。竜星君が姿を見せるとあの子舞い上がっちゃうからこちらにどうぞ」
階段を昇って彼女の部屋とは反対側の部屋へ通される。この部屋は壁一面ガラス張りで、上から道場が見られるような造りになっており、本棚には筋肉や骨の構造など難しい本がたくさん並んでいた。
「ここは主人の書斎、ちゃんと話はしてあるから安心して座ってくれて大丈夫よ。柔よく剛を制すっていう言葉があってね、相手が大きくて力のある人でもその力を利用して自分の身を守ることができる護身術から柔道は生まれたの。近年スポーツ競技として注目されるようになってきたけれど、どちらが優勢だったかではなくて『立ち技で相手の背中を床に着ける一本』と『寝技で三十秒間相手の背中を床に着けさせる一本』での勝ちに主人は拘っているの。外国人競技人口が増えてきているけれど、体格で劣る日本人がお家芸で絶対に負けちゃいけないって。暖房付けておくからゆっくりして行ってね」
椅子に腰かけてガラス越しに眼下に広がる道場を見ていると、お父様が竹刀をピシャリと畳に打ち付け
「よし、基礎練そこまで! 柚子葉は今度の試合が中学最後の大会なんだから、しっかりと結果を残してこい。今日は全員と模擬試合を行うが、わかってるな? オール一本勝ちだ」
正座をしてこれを聞いている彼女の顔は学校では決して見せない厳しい顔をしており、相手は女性四人と男性六人、その中で彼女より体が小さいのは一人だけだった。
危なげなく一人また一人と倒していって、残るは体の大きい男性二人。柚子葉ちゃんはかなり息があがって辛そうだけれど、そのまま続行される。男性相手に途中何度も危ない場面がありながらも、相手の頭が下がったところで素早く後ろ襟をつかみ、そのまま捻るようにして畳に背中をつけさせた。
袖で額の汗を拭いながら大きく肩で息をしている彼女の前に一番大きな男性が立ちはだかる。素人の自分が見ていても疲労と酸欠で踏ん張りが効かなくなってきているのがわかり、相手の道着を掴ませてもらえず、逆に掴まれて何度も投げられそうになっては、なんとか耐えているという状態だ。
そしてついにその時はやってきた。ふらついた足を引っ掛けられて床に倒され、抑え込まれてしまったのだ。疲れ切った顔をして大きく息をしながら何とか逃げ出そうともがいていたが、諦めたように天井を見つめてしまった姿を見て我慢できなくなり、勢いよく階段を降りて道場の方に回り込んで扉を開けて思いっきり叫んだ。
「柚子葉ちゃん、諦めないで! 」
どういう表現が正しいのかわからないけれど、一瞬こちらを見た彼女は床についている背中をバンと弾ませて体を捻じり横向きになった。抑え込まれていたのが解けたという感じなのだろうか、お父様は二人をもとの位置に立たせて再び試合を始める。ここでまた彼女は僕の顔を見て一瞬笑顔を見せたかと思うと、電光石火のごとく男性の懐に入り込んで右腕を掴み、畳に叩きつけた。それはまるで、学校で見た男子生徒を彷彿とさせるように綺麗な円を描いてフワリと持ち上がり、クルンと回った一瞬の出来事だった。
「そこまで! 」
お父様の掛け声とともに両者は元の位置で道着を整え、お辞儀をしたかと思うと彼女がこちらに向かって走ってきて飛びついた。ゼーゼー息をしながらも耳元で聞こえる呼吸音に泣き声が混じっているのを感じて不安になりお父様の方に視線をやると『こっちにおいで』と手招きしている。抱きついている彼女は体重を預けている状態。
「失礼します! 」
頭だけ下げてお父様のもとに歩み寄る。
「あの一言が無かったら柚子葉は諦めていただろう。それにしてもあの体勢から抜け出すなんてとんでもない力を発揮したもんだ、しかも一本背負いとは……この子にとって君は起爆剤みたいなものなのだな、あんな思いをしてまで同じ学校に行きたがるはずだ」
娘を優しく受け取り、携帯用の酸素を吸わせて静かに床に寝かせながら再び話し始める。
「さっきのあれは寝技と言ってね、普通あれだけキッチリ決まっていたら解けないはずなんだ。火事場のバカ力というものなのかもしれないね」
「自分は柔道をよく知りませんが、対戦相手の男性が重かったからということなのでしょうか? 」
「いや、軽い柚子葉が竜星君を同じように抑え込んでも動けないと思うよ? 抑え込みというのはそういうものなんだよ」
ここでゆっくりと彼女は体を起こし、我々が話をしている様子を見て状況が理解できていないような顔をしている。
「あれ、上杉くん……? 何でここに居るの? 私、大河原さんに抑え込まれて負けちゃったのよね? 父上が彼を道場に呼んだのですか? 」
お母様が道場にいらっしゃって、事の顛末を彼女に説明した。
「ちょっと待ってください! 順を追って聞かせてください。先ず、私は大河原さんの横四方固めからどうやって逃れたのですか? 」
「いやぁ、びっくりしましたよ。自分でも完璧に決まっていたと思っていましたし、決して手を抜いていたわけではないんですが、彼が扉を開けて叫んだ瞬間にお腹の下で爆弾が破裂したような衝撃を受けまして、いとも簡単に外されてしまいました」
キレイに投げられた身長一八〇センチはあろうかという男性が、自分のお腹をさすりながらニコニコと話している。
「抑え込みが解けたものですから師範から『待て』が掛かりまして、もう一度捕まえに行こうと思ったらもの凄い速さで逆に右腕一本捕まりまして、キレイに背負われてしまいました」
大柄男性の言葉を聞きながらも満身創痍、立っているのがやっとの様子。その横で笑顔のお父様とお母様を見て察し、ヒョイと彼女を抱っこした。
「柚子葉ちゃん、限界だったと思うんだ。でも僕の声に反応してもの凄い力が出た反動と酸欠で、気を失っちゃったの。大丈夫? まともに立っていられないよね」
腕の中に居る彼女はまるで借りてきた子猫のように大人しく、真っ赤になって縮こまっている。大河原さんという大男を跳ね返してぶん投げたとは思えないほど細く軽く、そして温かい。
「うん、えと、あの、ありがと……」
ここで娘の気持ちを汲み取ったお母様から助け船。
「柚子葉、汗くさい女の子は嫌われちゃいますよ。シャワー浴びて着替えてらっしゃい。竜星君、お母さんに電話しておきますからお夕飯一緒に食べていってね」
「はい、ありがとうございます! お父上、柔道素人が自分勝手に扉を開けて大声を出してしまい、大変申し訳ありませんでした。勝負を決するも試合なれば、自身がしたことは道を外したと考えます。あの……」
「それもいいじゃないか! 人間の才能なんて何がキッカケで開花するかなんて誰にもわからないさ。以前竜星君と受け身の話をしていた時に私を投げた子が、いま腕の中でこんなに小っちゃくなっている。これはこれで面白い! それはそうと柚子葉、居心地がいいからってずっと抱っこしてもらっていると、本当に嫌われてしまうぞ?」
更に顔を赤らめてハッとした彼女は静かに地面に足をつけると、大きく頭を下げてダッシュで家の中へ走っていった。その後に残ったのは楽しげな会話の渦で、この様子を見ていた道場生からは
「柚子葉さん、すごく乙女だったよねー! 」
とか
「でもわかるー! 好きな人に声掛けられたらとんでもないパワーでちゃいそう! 」
こちらまで恥ずかしくなってしまう内容だった。
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