第15話 いいなぁ

 高見澤さんは現在の女子部員の中では頭一つとびぬけて上手いから、混合ダブルスに指名された。その彼女が『走ってこい』と言われているのに、ペアを組む僕が呑気に座っていることなどできなかったので、顧問に神谷さんの指導をお願いして僕もランニングシューズに履き替えて並走する。



「ナニ? 哀れみのつもり? 」



「違うよ。これから混合ダブルスで一緒に切磋琢磨していかなければならないんだから、ペアである僕も一緒に走りたいって思ってさ」



「しかしよくここまで変わったものよね、あの時は一点も獲れずに悔し泣きしてたくせにさ」



「え? あの時ってどのとき? 」



「アンタ覚えてないの? 市民大会で私から一点も獲れずにボロボロ泣いてたじゃない! 」



「え、あの人って高見澤さんだったの? そっか、サウスポーだったから何が何だかわからない内に終わっちゃったのか! 」



「アンタね、今頃何言ってるの? それもそうだけど、あの時みたいに今はベタ足じゃないし、力任せにラケット振り回してないじゃない」



「あー、本当だね! あの頃と比べるとプレイに余分な力が抜けたっていうか、全てにもの凄く力んでいたんだなって感じるよ」



「全く、プレイもそうだけど! 対戦相手の私の顔も覚えてないって、さすがにちょっとショックだわ! 」



 それからしばらく無言が続き、五週ほど走ったところで息を切らしながら彼女が再び口を開く。



「上杉君から見て、スタミナ以外に私の課題ってナニ? 」



「高見澤さんは卒なく何でもうまい人だと思うけれど、格上の相手からいいように打たされているっていうのが見ていてわかったよ。苦しい体勢になるとシャトルを返すことに精いっぱいで、もっといろいろなことができるはずなのに簡単にシャトルを上げてしまう。練習を見ていて思ったんだけれど、自分が見てあげなければならないレベルの子とペアを組む時には数手先まで予測して動くのに、その辺りが何でかなって」



「そうね、正直『何とかしてくれるでしょ』って思ってしまうところはあるわね。逆に訊きたいんだけれどさっきのダブルス、顧問と打ち合った方が上杉君的には面白かったでしょうに、なぜ私に集中砲火したの? 神谷さんをおんぶして走るのがそんなに嫌だったの? 」



「そこまでは考えていなかったよ。ただ、ペアを組んだ彼女に『私のせいで負けちゃった』って思わせたくなかったから必死だった。だから取りにくい場所ばかり狙ってごめん」



「いいなぁー、私もそんな風に思ってもらえたら頑張れるかもしれない」



「思ってるよ! 失礼かもしれないけれど、高見澤さんは誰よりも『私のせいで負けたんだ』って思ってしまう優しい女の子だから、絶対に僕が負けちゃいけないって思ってるよ。ただ、混合ダブルスで出場した際には僕は相手ペアの女の子は絶対に狙わない」



「……それは何で? 」



「僕はペアの男子を叩く! そして相手の女の子に君は絶対負けないと信じているから」



 これを聞いた途端、全力疾走くらいのスピードに彼女はギアを上げた。



 訳も分からず追いかけようとしたその時



「リューセー、戻ってこーい! 」



 顧問から僕だけ呼びつけられる。



「何を話したのかはわからんが、悪い顔はしていない。暫く一人で走らせてやれ」



「そんな……僕は彼女とペアを組みますし、急にものすごいスピードで走りだしちゃって、高見澤さんを怒らせるようなこと言っちゃったんじゃないかって」



「そんな顔してねぇよ、いいから柔軟とストレッチやっとけ。ヒロコ帰って来てクールダウンさせたらすぐに試合やるぞ! 」



 そう言うからには何か意味があるのだろう。腑に落ちないまま言われた通り体育館に入ってストレッチをしていると、酒井君と三宅さんがコート内で熱心に基礎打ちをしていた。学年こそ一つ下なのだが、小学校の時からの経験者で練習も鬼気迫るものがあり、一度は対戦したいと思いながら実現してこなかったレベルの高い二人だ。なかなか練習中にじっくり観察できる機会も無かったので、ストレッチを行いながらじっくりと観察してみる。


 酒井君は僕と反対のサウスポー(左利き)で体はそんなに柔らかくなさそうだが、一歩目のダッシュとシャトルに対する反応が早い上に、強烈なジャンピングスマッシュを打つパワープレイヤーだ。対して三宅さんはコントロールの精度が高く、ドロップやヘアピンなどネット際の攻防が非常に上手い。



(この二人がコンビを組まれたら厄介だな)



 なんて分析をしていたら、走り終わった高見澤さんが自分の頬をパンパンと叩きながら体育館に戻ってきた。まだ息は上がっているものの、その表情はどことなくスッキリしたようにも感じられる。彼女はシューズを履かずに体育館のフチを走って校舎内に消えたかと思うと、ほどなく薄いピンク色のユニフォームに着替えて戻ってきた。



「お待たせしました。よろしくお願いします! 」



 僕にペコリと頭を下げた。これを見た顧問はニヤリと笑いながら



「よっし! 今から上杉・高見澤ペアと酒井・三宅ペアの混合ダブルス戦をやるからみんな準備してくれ。一セット限定マッチだ! 」



 高らかに号令をかけると、三面あるコートのセンターコートが試合用に準備されて部員たちは審判と見学に分かれて位置に着く。彼女の表情と後輩二人の真剣な基礎打ち、そして顧問の号令で流れを理解した僕は急いでTシャツからユニフォームに着替えてセンターコートに立った。



「先輩も後輩もない、勝った方が混同ダブルス代表として出場してもらう。シングルスとダブルスに関しては変わりないが、これに関しては誰が何と言おうと勝った方だ」



 互いにネット越しに握手をして試合開始。



「ラブオールプレイ」



 掛け声を合図に酒井君のショートサービスと見せかけた、かなりスピードが速く弾道の低いロングサービスがサウスポーの彼から放たれる。スピードを落とすことなく僕の左頬をかすめる様に飛んできたシャトルを、打ち返すのではなくポンとラケットの面に当てる感じでネット前に返すと、シャトルは一瞬ネット上に止まったかのような動きをして相手コートに転がり落ちた。



「サービスオーバー、ワン・ラブ」



 フォアで楽に拾われるよりも、出来ることならバックハンドで少しでも難しいところにサーブを打ちたいという気持ちはこちらも同じ。僕が自分に向けられたのと同じサーブをより低く早い弾道で放つと、



「アウト! 」



 三宅さんの声に反応して酒井君は触らないように避けた。が、シャトルはライン上にコトンと落ちてライン審判の判定はイン。



「ごめん……」



「気にすんな」



 やり取りしながらシャトルを拾い上げ、シャトルを綺麗に整えてこちらに返される。



「トゥー・ラブ」



 今度はショートサーブ。丁寧にラインギリギリを狙ったサーブだがさすがに相手もレベルが高い、こちらの利き手と反対方向ネットギリギリにヘアピンを仕掛けてきた。これには僕も完全に騙されて一歩遅れてしまったが



「任せて! 」



 高見澤さんが同じことをやり返す。しかもこちらのヘアピンはネットの上を転がり落ちるような制度の高いショット、これに三宅さんが反応するもネットを超えることはできなかった。



「スリー・ラブ」



 僕のサーブが続き、今度はエンドラインギリギリに高い弾道の滞空時間の長いサーブ。これに反応した三宅さんがシャトルにスピンを掛けながらネット前にドロップショットを打つも、シャトル一個分僅かに浮いた弾道を相方は見過ごさなかった。さっきまでのだらけた様子とは違い、高い位置で顔より少し前に構えていたラケットが迷いなくシャトルを捉えて相手コートに弾む。そして嬉しそうに満面の笑みで挙げられた彼女の手に、僕も笑顔でハイタッチ。



「フォー・ラブ」



 何とかサーブ権をもぎ取りたいと、気持ちが焦って体が前のめりになっているのがわかる。ラケットを少しだけ引いてショートに打つ素振りをしながらの低く早いロングサーブ、これにも反応してハイクリアが返って来る。



「お願い! 」



 その声と同時に相方はネット前に詰め寄る、僕に『スマッシュを打って』という合図だ。思いっきりジャンプして体をしならせ、大きく振りかぶりながらネット前にポンと落とすフェイントに反応できた酒井君も凄いが、それを容赦なく叩き落とす相方も凄い。



「ファイブ・ラブ」



 パチンとハイタッチをして、そこからは互いの思いが繋がったかのようなプレーが続く。



 ダブルスは二十一点先取で、途中十一点になった時にインターバルがある。後輩に一点も与えずに向かえたこのインターバルで彼女から出た言葉は



「私、ラケット下がってない? 一歩出遅れてない? ちゃんと声出せてる? 」



 と、一生懸命がゆえの不安。



「大丈夫、全部大丈夫! 安心して任せているから後半もサポートよろしく! 」



 これを聞いて少しホッとした表情。自分が有利な体制の時には



「ハイ! 」



 と声が掛かり、自分が体勢を崩しそうなときには



「お願い! 」



 と頼ってくれる。お互いを信頼し合うダブルスの基本理念が、今の彼女にはしっかり存在している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る