居候、増えました
第2話
「真田さん、元就さん。いいですか?今日、私は仕事に行ってきますからね」
「はい、それは昨日の晩から何度も聞いております」
「耳にタコができてしまいそうなくらいに、ね」
「揚げ足はとらなくていいです!」
何故か私の家に戦国武将がタイムスリップしてきてから早くも数日経過した。非現実的すぎることが起きているというのに、当たり前のように受け入れて、一緒に生活できてる自分が恐ろしい。
現代に不慣れな彼らの側を離れるのはあまりにも不安で仕方がなかった。独身故に有り余っていた有休を使って出来るだけ彼らの側にいて、出来るだけのフォローをしていた。
それでも、今日は会社の緊急会議にはどうしても参加しなくてはいけなかった。いくら有休を使っているとは言え、自分の関わっている仕事にも影響するかもしれない大事な会議。
参加しないわけにはいかなくて、でも彼らだけを家に置いていくのは不安すぎて、だからと言って連れて行くわけにもいかなくて。
「大人しく家で待っていてくれますか?というか、待っていてください」
「さあ?君がいないから好き勝手にするかもしれないね。例えば君の部屋の中を
「えっ!え、と…その…」
「元就さん、真田さんをいじめないでください!それと私の部屋に勝手に入ってアルバムを見ようとしないでください。変態のすることですよ」
「いじめてなんかいないよ。少し意地悪なことを言っただけだ」
「真田さんにとったらいじめと同じです。やられている側がいじめだと思った瞬間、いじめは成立するんです」
「あ、あの…」
初めて会った時よりも全然普通に話せてはいると思う。いや、初めからそんなに距離は感じてはいなかったけども。
元就さんは相変わらず
「会社に連れて行くわけにもいかないんですよ。それは何度も説明しましたよね?」
「あぁ、タコができるほど説明されたね」
「それなら大人しく家で待つことを約束してください」
「約束するよ。まあ、好きなようには過ごすけどね」
「ああ、もう!」
その一言が余計なんですよ。それさえなければむかむかするだけで済むのに。もやもやしたらどうしようもないじゃないか。
はじめて私がいない家で元就さんたちがどう過ごしているのか気になりすぎて、会議の内容が頭に入ってこなかったら、いったい全体どうしてくれるつもりなんだ。
「わかってるよ。君が帰ってくるまで大人しくしてる、それでいいんだろう?」
「余計なこと何もしない?」
「しないよ。その代わりに早く帰ってきなさい。君がいないとつまらないからね」
元就さんはそう言うと定位置である椅子から立ち上がった。
「私も大人しく待っておりますゆえ…何も心配されずに仕事へ行ってください」
「真田さん…」
「は、春瀬殿がおらぬと寂しいのは私も同じです。私も、毛利殿も口数が多いわけではないので…」
なんか、うるさいって遠回しに言われたような気もするけど、大人しく待っていてくれると約束をしてもらえたのでひとまず安心しておくべきだろう。
予定通りに会社へ出勤し、会議を終え家に帰った私の目の前にとても綺麗な男の人がリビングでくつろいでいるのが見える。うんうん、見事な装飾がされた甲冑ですね。真田さんや元就さんとは違ったデザインで、黒塗りなのがまた素敵だと思う。
いやいや、待って、そうじゃないでしょ。
顔を右手で押さえながら、左手で目の前にいる真田さんの肩を軽く叩く。ごめん、この状況を簡潔に教えてくれるとすごく助かる。
「あ、あの……真田さん、この人は…?」
「石田
それは流石に、歴史が得意じゃない私でも知ってるよ。とっても有名だもんね。豊臣秀吉に仕えていて、関ケ原で徳川家康と戦った人でしょ、その人。
「…増えちゃったのね」
「…増えてしまいましたね」
がくと肩を落とす私に真田さんは困ったように眉を寄せ、目を伏せながら答えてくれた。大丈夫、真田さんは何も悪くないからそんな顔をしないで。そう、きっとこれは誰も悪くない。強いて言えば神さまが悪いんだと思う。
「事情なら真田から聞いた。ばかばかしい話だが、信じるしかなさそうだな。この部屋を見る限り、私が知らないものばかりがあるし、外の景色も私の知っている日の本ではない」
石田さんが話のわかる人ですごく助かります。いや、本当にこれはどういうことだと喚かれたり、駄々こねられても大変なだけだからね。だって元の世界には帰りようがないし、私に八つ当たりされてもどうしようもないもの。この非現実的なことを受け入れるしか道はないもの。
「貴様は春瀬蜜、といったか?」
「はい」
「こんな小娘に世話になるのは非常に不愉快だが、致し方あるまい。背に腹は代えられぬ」
まるで苦虫でも潰したかのような表情をしてそう言い放った石田さん。
あれ、どうしよう。かちんとくる物言いだなあ。ねえ、どうしよう。私怒ってもいいのかな。これ、怒った方がいいところだよね。
ちらりと真田さんの方へ視線を向ければ、彼は困ったように眉を寄せながら微笑んでいる。
「石田殿は言葉が足りないだけで、とても優しい方ですよ」
「真田の次男坊、貴様ごときに私の何がわかる。勝手に私を語るな」
「
「…確か、
まさかのそういう関係の人が来た感じですか。奥さんのお義父さんの親友ってなんかややこしい関係だな。真田さん、居心地悪くないのかな。気を使ったりして倒れたりしないかな。
いや、待って。なんか、めっちゃ楽しそう。一緒にいられるのが夢みたいって、アイドルのコンサートに行けたファンの子たちみたいに瞳をきらきらと輝かせている。うん、真田さんがそれでいいなら私はそれでもいいよ。よかったね。
ふと、定位置の椅子から立ち上がった元就さんが迷うことなく私の目の前までやってくる。え、ちょっと待ってください。まさか、このタイミングでそんなこと言わないですよね。
視界の端に映る十二時を指した時計と、笑顔を浮かべた元就さんを交互に見つめながら、私は顔を引き攣らせた。
「蜜さん、昼にしよう」
残念なことに元就さんには協調性はなかった。このタイミングでこともあろうことか。食事を要求してきた。もう少し私に状況を整理する時間をくれてもいいんじゃないんですかね。
やっぱりインスタントラーメンしかでない昼食に、本当に呆れたような顔をした協調性のない人こと元就さん。それが嫌なら食べなくていいです。そのかわり他はありませんからね。と強く言えば渋々、箸をつけてくれる。
「その、三成さんって料理できます?」
「私が料理だと?できるわけないだろう、貴様は馬鹿か」
「できないのになんで、そんなに偉そうな言い方なんですか!」
ずるずると味噌ラーメンを啜りながら三成さんは答えてくれた。
というか、三成さんって下の名前で呼んでみたけど怒られなかった。そういう細かいこと、あんまり気にしないのかな。神経質そうなのに。
「石田くん、料理ができないってことはこのいんすたんとらあめんをずっと食べる羽目になるんだよ」
「……笑えない冗談はやめろ」
「冗談なんかじゃないさ。現に私たちは五日連続いんすたんとらあめんだ。初日の夜と毎朝だけは違ったけどね」
「朝は卵かけごはんです。料理をしたくないってこともありますけど、一番はお金ですよね。私一人の給料であなたたちを養えるとでも本気で思ってるんですか?」
「いくらもらっているかは知らないけどね。こういう食事ばかりだと身体に悪い気がしてたまらないんだ」
「あれ、これもしかして私が悪い感じになってます?もしかしてじゃなくてもそんな感じになっています?」
ねちねちとインスタントラーメンに対する不満を口にする元就さん。仕方ないじゃないですか。あなたたちが落ちて来た家はインスタントラーメンが大好きな、安月給の女の家なんですから。
「電気代、水道代、家賃、インスタントラーメン代…私には支払わなきゃいけないものがたくさんあるんです」
「いんすたんとらーめん代とやらを削れば、多少なりとも生活が楽になるのは間違いないと思うよ」
嫌味っぽい元就さんの言葉は無視をして、私は醤油ラーメンを堪能しながら今後のことについて考えてみる。
貯金はあるにはあるけど、いざというときになかったり足りなかったりしたら嫌だから、なるべくたくさんは使いたくない。本当に非常事態な時はおろしてくるけど。
「もし今度新しい武将が来るときは料理ができる人がいいです」
「おや、君は面倒が増えることを自ら望むのかい?随分と変わってる趣味をしているね」
「全然、そんなこと望んでませんけど!もしそうなるなら、希望を言ったまでです!」
元就さんは人の揚げ足をとるのが本当に大好きな人だな。私にしてみたら非常に面倒くさい人なんですがね。
その後の食事も何かを話せば彼がねちねちと言ってきて、ただでさえ久しぶりの会社に行って会議に参加してきてお疲れゲージが半分は超えていたのに、食事が終わる頃には満杯になっていた。これも全部、元就さんのせいだ。
すらりとした長い手足、きっと誰もが羨むであろう整った綺麗な顔立ち。そんな三成さんに私の高校時代のジャージを貸すだなんて本当に恐れ多くて、申し訳ない。なんだかんだ言って五日も経つのに真田さんたちの服を見に行っていない私に責任です、それは。
「…くそう、こんなに綺麗でカッコいいのに!ジャージのせいで残念なことになってる!」
ちなみにジャージの上はなかったので、私制作のアイラブインスタントラーメンTシャツを着てもらっている。それが更に残念さを引き立ててしまっているが、サイズがまあまあ大きく男の人でも着られそうな服はこれしかなかった。他はレディース感満載の服ばかりだ。いくら綺麗な顔をしているからと言って可愛らしいくまちゃんの服を着せるわけにはいかない。
「……私には南蛮語はわからない。だが、この服が全て台無しにしているのはよくわかるよ」
そう言った元就さんにめっちゃ必死に同意している真田さんがいた。唯一の良心である真田さんさえも同意するしかない残念さってどうなんだ、本当。
「私が着ても別に変じゃないのに…」
「そりゃあ君だからね」
どういう意味だ、こら。私だからってどういう意味だ。
「君ならこんな変な服でも着こなせそうだ」
「変な服って…これ、私の自作なのに!」
「自分で作ってこの出来なのか?貴様の目はおかしい、腐っているのではないか?」
「そこまで言う必要ある?…じゃなくて、あります?」
三成さんにまでそんなこと言う必要ありますか。いや、着させられている三成さんだからこそ言うのか。
「他にはないのか…」
「残念ながらありません。他にあったまあまあまともな服は、真田さんたちに貸していて今は洗濯機の中をぐるぐると回っています。どうしてもそれが嫌と言うのなら私が服を買うまで、上半身全裸でいてください」
「…うっ」
「そんなに嫌そうな顔しないでくれます?わかりましたよっ!今から買ってきますよ!買ってくればいいんでしょう!」
「サイズは…流石に新しく買うならぴったりの方がいいですよね」
「まさか、貴様この格好で私に外へ出ろというわけではあるまいな?」
私の言葉に三成さんはひくひくと口角を
折角、綺麗な顔しているんですから、その表情はやめてください。服も相まって本当にいろんな意味で残念なことになっていますから。
「そのまさかですよ。三成さん諦めてください。ちなみに、私はそのTシャツでも外に出れました。ちょっと周りからの視線が痛いだけですから大丈夫ですよ」
「ふ、ふざけるな!貴様だけで行って来い。私は絶対に行かないからな!」
「それこそ絶対嫌ですよ!後で全然入らなかっただとか、もう少し大きい方がよかっただとかか言われても困りますもん!」
「君たち、言い争うのは別に構わないんだけど、もう少し静かにしてくれないかい?にゅうすの情報が入ってこないじゃないか」
テレビをぴんと背筋を伸ばして見ていた元就さんに、じとりと睨みつけられる。本当にこの人は協調性がないな。揚げ足取りだけは一丁前にするのに。
「ここでああだこうだしていても時間の無駄なんだから、二人でさっさと見てくればいい。留守番なら私たちに任せて。先ほどのように大人しくしていればいいんだろう」
「いや、服ないのは元就さんたちもなんで買いに行くのならあなたたちも一緒ですからね」
私がそう言えば彼もまたひどく歪んだ顔を見せた。いや、どんだけ行きたくないんだよ。むしろ自分も服がないことに不満を持っていたし、それを三日目あたりにねちねちと言ってきてましたよね。あれ、もしかして忘れちゃいましたか。
「……ええい、行くなら行くで早くしろ!」
「なんで私が怒られているんですか?駄々こねてたの三成さんの方じゃないですか!」
とにもかくにも駄々っ二人をどうにか
前に一度だけ、真田さんたちと来たことのあるわりと近いところにあるショッピングモール。平日の昼間なせいか、前よりも人数はだいぶ少ない気がする。この前来た時は土曜日で家族連れや学生の集団が多くて、現代に不慣れな武将を連れて歩くには大変だったけど、今日は平日の昼間ということもあってそんなに人は多くない。なんとかなりそうでよかった。
「
「はいはい、そういうことを言うのはやめましょうね、三成さん。ショッピングモールはそういうことを考えるような場所じゃないんです」
真剣にショッピングモールの運営について考え始める三成さんを止めつつ、早速集団行動の輪を乱そうとする元就さんを捕まえる。
「ちょっと、どこに行くつもりなんですか」
「さっき見たふろあまっぷに書いてあった書店に用があるんだ」
「まだ、駄目ですよ。こっちの用事はまだ済んでいないんですから。好きな場所に行くにはまず、やるべきことを済ませてからにしてください」
私がそう言えば元就さんは、これでもかってくらいに嫌そうな顔をした。
そんな顔をしてもだめですからね。書店には連れて行きませんからね。まだ服を見てないんですから。あ、何勝手に行こうとしてるんですか。三成さんもうるさいと騒ぐのはやめてください。そう言ってるあなたの方が何倍もうるさいですよ。
「これなんてどうですか?カッコいいし、とても似合ってますよ」
「動きにくくはないのか?」
「三成さんたちが今まで着ていたものと比べれば動きやすいと思いますよ。
「それは動きやすそうだが…これはなんだ?麻とは違った手触りのようだが」
「デニムジーンズですね。わりとポピュラーな…老若男女問わず履いたり出来る洋式の
「南蛮の言葉はわからん。だが、それがこの時代の普通なら私はそれでも構わない」
三成さんは気難しそうな性格をしているけど、きちんと説明をすれば話は通じるし柔軟性のある人だ。未来のものを驚いたりはするけど嫌がることはしないし、素直に受け入れようとはしてくれる。
たまに
自動車が飛び出てくれば大騒ぎし、近所の住民に話しかけられれば二言目には馬鹿にしたような言葉を吐いたり。
まあ、彼がきゃんきゃん騒ぎ始める時は必ず、元就さんという火種がいたんだけどね。本当に、真田さんが二人の間に入ってくれなければ更に面倒なことになっていたような気がする。
「真田さんはこういうパーカーとかをだぼって着るのが似合いそうです。バルーンカーゴパンツも似合いそう」
「そ、そうですか?初めて見る着物なので想像できませんが、春瀬殿がそうおっしゃるのならそうなのでしょうね」
真田さんの隣に並び、目の前にあるパーカーを見せながら声をかければ彼は困ったように微笑んだ。
「蜜くん、私はこのくらいでいいよ」
「このくらいというわりには、結構な量待ってませんか?」
「替えの着物はいくつかあった方がいいと思ってね。もし替えがなくなって、君のわけのわからない着物を着せられたくはないし…」
元就さんの手にはざっと、十枚近くのシャツがある。ちょっと量が多すぎやしませんかね。
「せめてもう少し減らしてくれません?今の所持金じゃそこまでたくさんの服は買えませんよ。元就さんだけじゃなくて真田さんや三成さんの分も買わなくちゃいけないんですから」
それ以外にも食費や電気代と色々な出費がある。次の給料までにはなんとか持たせなきゃいけないわけであって、それまでは出来る限りの節約をしなくてはいけない。申し訳ないけども折角、選んだ洋服の中から厳選してもらわないと。
「……仕方ないね」
私の言葉に渋々といった顔で元就さんは来た道を戻っていく。この人もなんだかんだ話が通じる人ではある。ただ、だいぶ捻くれている性格をしているだけなのだ。口も悪いし、自分最優先なところがあるけどいい人ではある。多分。
「これだけあれば大丈夫でしょう」
ビニール袋の中に入った洋服から歯ブラシなどの生活用品。彼らにとって必要最低限のものは買い揃えた。これでしつこく文句を言われることもないだろう。
「さてと、今日の夕飯はどのインスタントラーメンにしましょうか?」
「初めの頃、行ったあの店はどうだい?」
「あれ、私お金がやばいって話しませんでしたっけ?」
「さて、何のことだろうね」
素知らぬ顔で言い切ったよ、この人。節約しないとって話をさっきしたばかりじゃないですか。
それに、外食とかばっかりしてたら本当にお金がなくなって路頭に迷うことになりますよ。それでもいいんですか。
「家に帰ったら、またあのいんすたんとやらか?」
「うちにはそれと卵しかありませんよ」
三成さんの問いに私がはっきりと答えれば彼は嘘だろ、おい。と言いたげな顔をした。そして、お昼の時に見せたなんとも言えない表情で私を見つめる。え、そんなにインスタントラーメンが嫌なんですか。お湯ひとつであんなに美味しくて、お腹が満たされると言うのに。いったい全体、どこに不満があるんですか。
「…仕方ないですね。沢山は買えませんけど、スーパーで何か見ていきましょうか」
ショッピングモールの中にあるスーパーは少々高く、庶民には敷居が高すぎるので自宅近所にある気持ち安めのスーパーに足を運ぶことにした。
そこそこ広いスーパーなのに人の出入りは極端なほど少ない。そのおかげなのか、そのせいなのか。この店は入った瞬間、夏でも上着が欲しくなってしまうほど冷房がガンガンに効いている。普段から利用している私は当たり前のように入店したのだが、三人にそれを言い忘れたためか、入った瞬間に三成さんがなんだこの寒さは。とヒステリック気味に叫んだ。
「こんな寒風のなか、買い物をしろと言うのか貴様は。私を凍え殺す気か!」
「なんて
「私は店の中には入らぬぞ。貴様らだけで買い物をしてくればいい」
「別にそれでも構いませんけど…私たちが選んだものでこれは食べられないとか、これは嫌だとか、あれがよかっただとか我が儘言いませんか?ちゃんと出したものを食べてくれるからそう言ってるんですよね、三成さん」
じとりと睨みつければ、彼は薄い唇をへの字に曲げた。そして、渋々と言った表情で彼は店内へ入っていく。どうやら、三成さんには好き嫌いがあるみたいだ。
スーパーの中は入り口のすぐそばに野菜コーナーが設置され、進むごとに魚、肉と陳列されているものが変わっていく。物珍しそうに先へと進みたがる三人にステイをかけて、まずは野菜から順に見ていこうと提案をすれば、意外にもすんなりと了承してくれた。
「これはなんだ?」
ひょいと三成さんが手に取ったものは、色とりどりな野菜の一つであるパプリカ。赤、黄、オレンジの色は鮮やかなほど眩しく光り輝いている。
「それはパプリカっていう野菜ですよ。戦国時代にそんな野菜はなかったと思います。うーん、ちょっといつ来たのかは分からないです」
「これが野菜なのか…」
「はい。もっと言えばこの辺にあるものはほとんど野菜ですよ」
たまに違うものが置いてあることがあるけど。そんな私の言葉が信じられなかったのか、三成さんがきりっとした瞳を大きく見開く。そして辺りをきょろきょろと不思議そうに見回し始める。
そんな彼の姿を見て、自分の当たり前だったことが当たり前ではなかったことだと改めて実感した。今の日本を作るまでの過程は知識として知ってはいたが、それはあくまでも知識なだけだ。それを知識としてすら知らない。はじめて目の当たりにする三成さんたちにしてみたら、違和感でしかないのだろう。
「蜜くん、これは?」
「あぁ、それはお好み焼きというものですね」
「おこのみやき…」
いつの間にか、手にお好み焼き粉の袋を持った元就さんが不思議そうな顔でそう尋ねてきた。彼の問いに答えた私の言葉を繰り返し彼は呟く。
そういえば、前に誰か知り合いが言っていたことがあったっけ。
「広島風お好み焼きって言うのがあるんですけど…確か、元就さんが治めていた安芸発祥だったような気がします」
「そう、なのかい?」
思い出したことを口にすれば珍しく元就さんが表情を崩した。瞳を丸くさせながら、何度もゆっくりと瞬きを繰り返す。そして、難しい顔をして袋をじっと見つめている。
「食べてみたい、ですか?」
静かな声で尋ねてみるけど、彼は何の反応も返してはくれない。ただ、じっと袋を見つめているだけだ。
これは、もしかしなくてもそうなのでは。
「お好み焼き、別にいいですよ。そんなに材料のお金もかかりませんし、四人で食べるには十分な量だろうし、それにどうにかすれば作れそうなものですから」
私が笑いながらそう言えば、彼は少しだけ嬉しそうな顔をしてくれた。やっぱり、食べてみたかったんですね。
お好み焼きに必要なものを購入し、家に帰ってすぐに買って来たものを冷蔵庫に入れる。買って来た服は値札をとってから一度洗濯をする。潔癖症らしい三成さんのためだ。まあ、確かに知らない人がベタベタ触ったものを着るのはちょっと嫌だよね。その気持ちはわからなくもない。
「夕飯までまだ時間があるのでゆっくりしててください。あ、三成さんは家のこととかの説明をするのでこっちに来てくださいね」
リビングのソファに座ろうとしている三成さんを呼び止めれば、ちょっと面倒くさそうな顔をされた。そんな顔をしても駄目ですからね、と言えばなんと、ちっと立派な舌打ちをされる。三成さんってばなかなかにいい度胸してますよね、本当。
渋々、台所にいる私のところに来てくれた三成さん。まずは台所にあるものから簡単な説明をしていく。例えば、
「いいですか?赤色の蛇口を捻るとお湯、青色の蛇口を捻れば水が出てきます。あ、お湯の時はあそこにあるボタンをこう、押してくださいね。これでお湯が出ます」
「それは?」
「これは水の出し方ですかね。右に押せば細かく水が出てきて、元に戻せば普通に出てきます」
「……未来は便利なものが多いな。私たちの時代じゃこのようなものは何もなかった」
「戦国時代と比べたら確かに便利なものが多いでしょうね」
お互いの言葉に二人して苦笑いを浮かべた。
「私たちの時代にもこのようなものがあればよかったのにと思う」
「もし三成さんたちの時代にあったら、今私のいるこの時代はさらにすごいことになってますね」
戦国時代がそんなに発達していたら、この世にもう人間すら存在してなんじゃないか。いる人みんなロボットとかになってるよ。後は空を飛ぶとか、車じゃない変な乗り物とか、今の技術以上のものが当たり前になっているのかもしれない。まあ、それはそれで楽しいのかもしれない。見てみたい気はする。
「確かに、そうかもしれんな」
瞳を細めながら三成さんはそう言った。けど、すぐにぶすっとした表情に戻ると次はなんだと急かされた。
ある程度、説明を終えたところで時間がだいぶ経っていることに気づいた。もう、夕飯の支度をしてもおかしくない時間でたる。ひとまずお風呂にお湯を張ってから、夕飯の支度をしよう。お湯を貯めるのには時間がかかるから、その順番でも問題はないだろう。
「あの、春瀬殿」
台所を入り口からひょっこりと顔を覗かせた真田さんに驚きつつも、どうかしたんですか。と声をかける。彼は困ったような笑みを浮かべると、申し訳なさそうに眉を下へさげ、右手で頭をがり、と掻いた。
「お世話になりっぱなしなのが申し訳なくて……私にでもできるようなこと、ありませんか?」
あなたはなんて優しい人なんだろうか。ありがたすぎる言葉に思わず感動してしまう。
元就さんは自分は関係ないと言いたげに新聞読んでいるし、三成さんなんてソファに座って腕を組みながらうたた寝している。全く手伝う気なんかないって何も言われていないけど、そう思っていることがすごく伝わってきている。
「それじゃあ、お言葉に甘えて。これ混ぜておいてもらえますか?だまができないように気を付けながら」
「はい、わかりました」
ボウルの中に買って来たお好み焼き粉と水を入れて、泡立て器と共に彼に手渡せば慣れない手つきで必死に混ぜてくれる。
その間に私はキャベツを千切りにしていく。といっても、元々こういう細かい作業は得意なわけじゃないので大きさなどはバラバラで、見た目もすごく悪い。まあ、胃の中へ入ればどれも同じだよ。火が通って、食べやすければ大丈夫。
「春瀬殿、どうでしょうか?もう少し混ぜた方がいいですか?」
「いえ、それで大丈夫です。ありがとうございます。次は麺をほぐしてもらいたいんですけど…あ、やっぱり買って来た豚肉のパック開けてもらってもいいですか?」
「わかりました」
少し水をかけながらがちがちに固まっている中華麺を解いていく。隣では頼んだ通りに真田さんが豚肉のパックを開けてくれていた。それを横目で確認した後、冷蔵庫から卵を三個ほど取り出し生地を作ったボウルとは別のボウルに殻を割って入れる。
「じゃあ、まずは生地を入れていくよ…」
意気込むように呟いた私の言葉に真田さんもこくりと喉を鳴らした。
妙な
「料理、できてるじゃないか」
「おおうっ!も、元就さん……驚かせないでくださいよ!」
突然声をかけられ、びっくりしすぎて飛び跳ねてしまった。カタン、とフライパンがコンロに当たり音を立てる。
ぐるっと顔ごと、台所の入り口に向ければいつの間にか元就さんが立っている。もしかして、匂いに釣られてきたのか。
「面倒くさい、できないと言うだけで、本当はできるんじゃあないのかい?」
「そんなことありませんよ。というか、いきなり話しかけないでもらえませんか?」
火を使ってるんだから危ないと私にしては、珍しくまともなことを言えば元就さんがはあという顔をした。いや、酷くないですか。私だってたまにはまともなこと言いますからね。
「それよりもそれはいいのかい?香ばしいというより、焦げてるような臭いがしてきてるんだけど」
「あっ!」
慌ててフライ返しをお好み焼きの下へ突っ込み裏を確認してみる。そこには匂いの通り真っ黒になっているお好み焼きだったものが見える。
「……食べれれば問題ないです、きっと」
そう言ってそこに先ほどかき混ぜておいた溶き卵を流し込む。うん、焦げた臭いの方が強いような気もするけど、見た目だけは美味しそうだよ。
「次は焦がさないようにします」
「口だけにはしないでくれるよね」
「う、そ、それは……そうだ!真田さんも、今私がやっていたみたいにやってみてください!」
「えっ!わ、私が…ですか?」
「はい。私がやるよりも真田さんがやる方が絶対に上手にできるような気がします」
真田さんにフライ返しを渡しながら場所を交換する。突然、お好み焼きを作る係に任命された彼は本当に困ったように眉を寄せた。
「一度も料理もしたことのない私ですから、上手に作れませんよ」
「誰だってみんなはじめっから上手にできるわけじゃありませんよ。人間、挑戦して失敗することが大事です!物は試し、というじゃないですか。やってみましょうよ、ね?」
私の言葉に真田さんは顔を顰めそうになったが、すぐに首を左右に振った。そして、わかりました。と一言告げると、まるで戦いに出るのかって言うくらい真剣な眼差しでフライ返しを握り直した。
あれ、お好み焼き作りって戦争か何かだったっけ。
ちなみに、真田さんが作ったお好み焼きは私が作ったものよりもすごく美味しそうに出来上がった。
「夕飯出来ましたよ。三成さん、起きてください」
ソファで眠っている三成さんを起こし、テーブルまで連れて行く。三成さんの隣に私が腰をおろし、その前に真田さん、その隣に元就さんが座った。
「ソースとかはお好みでかけてくださいね」
そう言いながらテーブルの上に用意されているものがどんなものなのか、一つひとつ説明していく。途中、まだ夢の中にいる三成さんに声をかけながら。
「……味がしない」
「それはソースもかけないで食べてるからですね。一応、豚肉には味付けはしてはあるんですが」
そりゃそうでしょ。ソースも
「今度は味が濃い」
「いちいちうるさい人ですね。少しは我慢をしてください」
「うるさい、黙れ」
文句ばかり口にする三成さんに呆れながら、そう返事をすれば頭を小突かれる。理不尽な暴力は反対です。むくれながら彼を睨みつけるが、三成さんははふはふとお好み焼きを咀嚼していた。
くそ、美形の食事はそれさえも絵になってしまうのか。
意味のわからない悪態をつきながら、今度は斜め向かいの元就さんに視線を向ける。
「元就さん、お好み焼きはどうですか?美味しいですか?」
「美味しいよ。これが、私の…」
お好み焼きを一口食べて固まっていた元就さん。少し
「広島にはたくさん美味しいものがありますからね。いつか、旅行で行ってみたいですね」
「そうか…」
「はい、家でも作れるものがあるはずだから探してみるのもいいですね」
今の時代、ネット通販もあるしわざわざ旅行で行かずとも、広島の方から取り寄せることもできるだろう。それでも、あえて旅行と口にしたのは元就さんに今の広島を見てほしいと思ったからだ。
「ひろしま?それはなんだ」
「広島は昔で言う安芸ですよ。今日食べているお好み焼きは広島発祥って聞いたことがあったんです」
「安芸、か…今の時代ではそう呼ばれているのか…」
三成さんはそう言いながらお好み焼きを口にする。その横顔が寂しそうでぎゅうと胸が締め付けられる。
「…大坂は坂の漢字が違うだけで、そのまま大阪になっています。上田もそのまま上田だったような気がします」
呟くようにそう答えれば三成さんと真田さんが私のことをじっと見つめた。
「私、そんなに歴史詳しくないからわからないですけど……よくテレビの特番でやっているようなことならわかります」
学校で勉強していたとはいえ、そこまで深く学んではいなかったし、私自身が特別歴史が好きというわけでもなかった。だから、知っている知識としては不十分すぎるだろう。それでも、覚えていることは少なくても全く知らないというわけではない。
「気休めにしかならないだろうけど、私にわかることなら答えますよ」
苦笑交じりに笑えば、真田さんがありがとうございます、と笑った。何に対してのありがとうございますなのか。それは尋ねずにどういたしまして、と返事をすれば三成さんや元就さんからもお礼を言われた。なんだか、むず
食後、動きたくないけど文句をねちねちと言われるのはそれはそれで面倒だから、仕方なくやってやるよ。みたいな三成さんと並んで食器を洗う。
真田さんがやってくれると言ってくれたんだけど、彼はお好み焼き作りを手伝ってもらったから、丁重にお断りさせてもらった。また今度の時に手伝ってほしいと言えば、真田さんは困ったように微笑んだ。
ちなみに、元就さんは今お風呂に入っている。やっぱりあの人だけは協調性がない。
「蜜」
「はいはい、なんですか」
面倒くさそうに返事をすればデコピンをされた。いったいどこでそれを覚えたんですか。そう、抗議の声をあげてみるが華麗にスルーをされてしまった。代わりにもこもこに泡立ってしまった洗剤に苦戦している三成さんを、恨めしそうに睨みつけておく。
もこもこの泡は諦めたのか。蛇口を捻り、水をどぼっと出して流し始める三成さん。待ってください、それだとさらにもこもこしてきちゃいますから。
「三成さんストップ!それ以上は収拾つかなくなるから!」
私の言葉に三成さんはむっとしたように唇をへの字に曲げた。だめです。そんな顔をしてもやっていることはなくなりません。
三成さんの代わりに泡だらけになったシンクを片付けるものの、だめだとすぐに諦める。水をかければもこもこと泡立っていってしまうため、しばらく放置して収まるのを待つしかなさそうだ。
「何故貴様は、真田だけを名前で呼ばない?」
「あ…そういえば、そうですね」
三成さんはなんとなく下の名前で呼んでみたら普通に受け入れてくれたから、そのまま下の名前で呼ばせてもらっている。元就さんからは名字ではなく下の名前で呼ぶように言われていたから。真田さんだけ特に気にもしないで真田さんと、名字で呼んでいる。
どうやら、そのことが三成さんにとって不思議なことだったらしい。
「下の名前、か…」
真田さんは今の時代、
視線を手元に戻せば、シンクの中の泡は少し収まっている。水を出して、軽く流せばあっという間に元通りに戻っていった。
「別にこのままでもいいんじゃないんですか?真田さんも何か不満を言っているわけでもないんですし、気にしてるのはきっと三成さんだけですよ」
私の言葉に三成さんが、細い眉をぎゅっと中央に寄せた。薄い唇を少し開き、はぁとため息をこぼす。え、それ何のため息なんですか。
「面倒だな。…おいっ、真田!」
「ちょっ、ほ、本人呼ぶんですか?」
なんで呼ぶんですかとつっこみを入れれば、
もしかして、三成さんはあれですか。一つのことが気になり出したら、解決するまで気になっちゃうあれですか。
私が一人で勝手にそんなことを考えているうちに、呼ばれた真田さんが不思議そうな顔をして台所へとやってきた。
「どうかしましたか?」
首を右へ傾げながら、真田さんは尋ねた。
「貴様らも名前で呼び合ったらどうなのだ。見ていて腹が立つ」
「どストレート!ていうか、なんで三成さんが腹立つの?意味がわからなすぎるんですけど」
遠回しにもしくは、私に聞いたみたいに尋ねるのかと思いきや、ズバッと言った三成さん。何の迷いも躊躇いもなく、ズバッと。いや、三成さんのことだからハッキリと言うだろうなぁとは思っていたけど。思ってはいたけど、本当にそうだとは思わないじゃない。
自分でもよくわからないつっこみを入れ続ける私に、状況をよく把握できていないらしいくぽかんと大きく口を開いたままの真田さん、呆れたように顔を顰めてそんな私たちを見ている三成さん。
「名前、ですか…」
「そうだ。蜜は私や毛利のことは下の名で呼ぶのに、貴様だけが名字で呼ばれているだろう」
「それを言ってしまえば、私だって…」
ようやく状況を理解できた真田さんが困ったように笑う。それを三成さんはきっと睨みつけた。
「蜜、貴様が悪い」
「私?なんでそこで私が悪くなるの?」
「貴様以外、何が悪くなるというのだ」
すみません、ちょっと意味わからないです、三成さん。
「そもそも何故、貴様は真田を名前で呼ぼうとはせんのだ」
「それは…」
「それは、なんだ。はっきり言え。私は待たされるのは嫌いだ」
「待たせるのは?」
「それも嫌いに決まっているだろう。馬鹿め」
ふん、と鼻を鳴らしながらそう言われた。かなり、自分勝手なこと言ってるの理解してますかね。待つのも、待たせるのも嫌いとかめちゃくちゃ自分勝手過ぎるのもいいところだよ。
「いいから、早く言え」
切り長の瞳を細めながら睨みつけられる。それを恨めしそうに見つめてから、重たい口を渋々動かす。
絶対にくだらないって言われるに決まっている。
「私たちの時代じゃ、真田さんは幸村って名前で知られているんです。でも、本当は信繁って名前なんですよね。それ考えたら、なんかどっちで呼んだらいいのかわからなくなっちゃって」
「ふん、くだらないことだな。それは信繁の方だろう。本名なのだからな。まあ、私たちの時代でもそう呼ぶものはほとんどいなかっただろうがな…」
三成さんは白く細い指で腕をとんとん、と叩きながらそう言った。やっぱりくだらないって言われた。だから、言うのが嫌だったんだ。自分でもくだらない理由で悩んでいるとは承知している。
「私は、どちらでも構いませんよ。蜜殿が幸村と呼びやすいなら、幸村とお呼びください」
「え?でも、真田さん…」
「呼ばれて反応するのに時間がかかってしまうかもしれませんが…前もって知っていれば、誰だろうかと考えることないですしね」
爽やかな笑顔を私に向けた真田さん、もとい幸村さんは三成さんと一言二言何かを話すと台所を後にしてしまう。私はと言えば、ほとんど放心状態である。そんな私を見て三成さんがまた、頭を小突いた。
「貴様もいい加減、腹を
そう言うと三成さんは台所を後にしてしまった。
「…あれは
あんなに爽やかで、ふわふわした笑顔を向けられてときめかないはずがないだろう。しかも、不意打ちで名字から名前呼びだなんて。
私はその場にずるずると崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。今、きっと鏡で自身の顔を見れば、金魚のように真っ赤になっていること間違いないだろう。
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