朧月

七妥李茶

さよなら日常、こんにちは非日常

第1話

 私、春瀬はるせみつの人生というものは本当に平凡なものだった。特別何か変わったことが起きるわけもなく、ただ普通に仕事をして普通に生活していた。

 そう、あの時までは普通でごく平凡な日常だったんだ。

 あの日に突然、ある出来事をきっかけにその普通がなくなってしまったのである。

 面倒くさいと投げ出してしまいたくなるほど多かった仕事を必死こいて終わらせ、早く家に帰って愛しのインスタントたちとの至福の時を過ごそうと思っていた。うきうきとした気持ちで自宅の扉を開けたその先には見慣れたいつもの景色と、見るからに重たそうなよろいを身に着け、いかにも武将だと言いたげな青年が正座をしていた。

 前もって言わせてもらうが、私は一人暮らしのしがないOLだ。残念なことに同棲する相手は愛おしいインスタントたちしかいない。結婚予定もなければ、そんな相手もいない。家族ともそれなりに不仲なので、家に勝手にあがるわけがない。

 今、私の目の前にいるこの青年はどうやって家の中に入ったのかは知らないが、我が家の初不法侵入者となるわけだ。まったくもっておめでたくもない話だ。


「え、と…」


 うまく言葉が出ない。こういう時にどうしたらいいのかなんてきっと、大昔に教わっているんだろうけど全く思い出せない。

 とりあえず、こういう時は正義の味方、警察を呼ぶべきだ。

 警察を呼ぶ前にまずは相手に話を聞くべきだなんて言わないでほしい。ここ数年、話し相手が職場の人とインスタントくらいしかいない私にしてみたら、見知らぬ人との会話なんてもはや未知の世界と化している。まともな会話ができる気がしない。

 スーツのジャケットのポケットに入っているスマートフォンを取り出し、震える指で警察の番号を押して電話をかける。今の自分の状況をわかる範囲で説明すれば、警察の人はすぐに近くの警察官を向かわせます。と一言。ありがとうございます、とお礼の言葉を言おうとすれば、緊急事態だというのに通話が切れてしまった。いや、正確にはスマートフォンの電源が切れたのだ。そういえば、会社を出る時に充電が残り僅かだったことを思い出した。


「…だから、何度も説明しているように家に帰ったらこの人がいたんです!」

「でも、家の鍵は閉まっていたんだよね?それにこのマンションオートロック式だよね」

「オートロック式でも入ろうと思えば誰でも入れますよ」

「そんなことないから。何処か壊したら大家さんにわかるからね」

「大家さんがトイレにでも行ってて気づかなかったんじゃないんですか?」

「いや、もしそうならトイレに行ってる時間が長すぎるよ!別の意味で警察呼ばれるところだよ!」


 正義の味方だと思った警察は私の言うことを何ひとつ信じてくれなかった。

 あれから一時間近くはこの警察官と言い争っている。いい加減、口を動かすのも疲れてきたよ。いや、大袈裟に言っているんじゃなくて本当に疲れてきた。そんな私を面倒なやつだな、と言いたげに表情を顰めながら、警察官は大きな溜息ためいきを零した。

 それ、正義の味方の警察官のする表情じゃないよね。絶対に市民に見せちゃいけない顔だよ、それ。


「とにかく、この人は連れて帰らないからね。君が面倒見るなりなんなりしてあげなさい」

「なんで?なんでそうなるの?」

「こんな話、信じられるわけがないからだよ!」

「努力して!信じてもらえる努力をして!」


 大丈夫、貴方ならできる。とガッツポーズをして応援をするものの、警察官はよし帰ろう。と達成感に満ち溢れた表情を浮かべていた。

 待って、待って、帰らないで。お願いだから私を一人にしないで。この人を置いていかないで。


「置いていかないで!ただのOLの私にはどうしようもできない!この人を養えるお金なんてない!」

「何もそこまで言ってないよ!自分の家に帰るように彼に頼めばいい話だよね?君の中ではどんだけ話が飛躍してるの?確かに私は面倒をみたら、とは言ったけど養えだなんて一言も言っていないからね!」


 口早にそう言うと警察官は素早く玄関の外へと出た。私が慌てて後を追って、扉を押さえようとするがそれを遮るように警察官が先にドアノブを掴んだ。


「じゃあ、あとは頑張ってね」


 そうにこやかに言い残すと、無情にも扉はバタンと閉められた。なんて薄情な警察官なんだ。か弱い市民を見捨てるだなんて。恨めしく思いながら扉を見つめるが、いくら見つめていてもあの警察官が戻ってくることはない。

 小さく溜息を漏らして、玄関からリビングの方へ目をやる。そこにはそわそわとした様子の不法侵入者がいる。ああ、本当にどうしたらいいんだ、私は。


「あ、あの…」


 リビングに戻った瞬間、不法侵入者さんに話しかけられる。あまりにも驚きすぎて思わずハイ、と裏返った声で返事をしてしまった。こういう時にこそ堂々としてないと絶対にめられる。不審人物に舐められるのだけは一番だめなやつだ。次に話しかけられたらものすごく低い声で返事をしよう。うん、そうした方がいい。


「ここは一体何処でしょうか…?あ、屋敷の中なのはわかっています。ただ、見慣れないものばかりで…」

「えっと、一応私の家なわけなんですが…」

「はい」

「その、貴方は何で私の家の中にいたんですか?鍵は閉めて、あったはずなんですけど…」


 私の問いに彼は気まずそうに眉を寄せた。


「なんというか…その、敵兵に見つかり私の役目は終わったのだと思いました。覚悟をし、目を閉じ…次に開けた時は黄泉よみの国ではなく、何故かこちらにいました。なので、どうやってここに来たのかはわかりません」


 あ、どうしよう。この人、話が通じないタイプの人なのかもしれない。本気で自分を戦国武将だと思い込んじゃっているタイプの人なのかもしれない。切実に誰かに助けてほしい。これは私にどうにかできるものではないと思う。


「あの、お名前をうかがっても…?」

「あ、はい。私は上田の真田さなだ左衛門佐さえもんのすけ信繁のぶしげと申します」


 ぺこりとご丁寧にお辞儀じぎをしてくれる真田左衛門佐信繁さん。うん、なんかどこかで聞いたことのある名前だよね。ちょっと前にうんざりするくらい見た気がする。あぁ、そうそう。少し前に騒がれていた大河ドラマだ。マジでそう思ってるのか。あ、どうしよう。ちょっと頭が痛くなってきたかもしれない。


「…冗談ですよね?」


 いやいや、そんなわけないって。そんなわけがあってたまるか。

 もしかして、甲冑を着てそんな名前を名乗るって本当に頭がおかしい人なのだろうか。それならどうしよう。さっきの警察官を呼び戻した方がいいんじゃないか。素人の私にどうこうできる問題ではないんじゃないか。そんなことを考えながら真田さんへちらちらと視線を向けてみれば、彼は不満げに唇をへの字に曲げていた。


「冗談なんかではありません」


 むっとした表情でそう言われる。

 ですよね。そうですよね。名乗らせておいてそれを冗談ですかって聞くなんて人としてどうかしてると思う。いや、既に事情を聞くもなく警察に通報している時点で私は人としての何かを失っているのかもしれない。


「あの、もう、とりあえず寝ませんか?」


 もう、考えるのはやめよう。もしかしたらこれは悪い夢か何かなのかもしれない。いや、こんな面倒なことは例え夢でもお断りなんだけど。

 とにかく、一度寝てしまえば現状を打開する何かいい案が思い浮かぶかもしれない。何故寝るのですか。と戸惑いの言葉をあげている真田さんにピンクの花柄のブランケットを押しつけ、私はそのまま自室に飛び込み、スーツのままベッドに横たわる。

 間違いなく、明日は全身筋肉痛でスーツはしわくちゃになっていることだろう。

 翌朝、目を覚ましリビングの扉を開ければ昨晩と同じようにそわそわした真田さんがいた。部屋の隅の方で正座し、ソファの上には丁寧に畳まれたブランケットが置いてある。

これは夢ではなかった。という現実を重く受け止めながら、私は静かに扉を閉めた。そして、重い溜息を吐くと、身支度を整えるためにもう一度自室へきびすを返した。


「おはようございます」


 身なりを整えた私を眩しすぎるくらい爽やかな笑顔で朝の挨拶で出迎えてくれる。朝から素敵な笑顔をどうもありがとう。

 とにもかくにも私は今日、真田さんをどうするべきか判断しなくてはいけないのだ。そのためには仕事を休むしかない。スマートフォンを片手にリビングに置いてあるソファに腰をおろし、通話帳から職場の連絡先を探し出す。ようやく見つけた電話番号をタップし、耳に当てれば何度も聞いたことのあるコール音が鳴った。しばらくしてから、事務所の人に繋がり部長か課長が出勤していないか尋ねる。


「申し訳ありませんがまだ出勤されていないようです。どなたか別の方にお繋ぎいたしましょうか?」


 そう言われ、ふと思い浮かんだ顔の人物の名前を告げる。少々お待ちください。と言い終わるか終わらないかのところで保留音が流れ始めた。そんなに時間が経たないうちにはい、と気怠けだるそうな声が聞こえた。


「朝早く、おはようございます…」

「あぁ、おはよう。どうしたの、こんなに朝早く電話だなんて珍しいじゃない」

「今日会社を休もうかと思いまして…」

「え、何かあったの?昨日すっごい元気にインスタントラーメンに埋もれて至福の時を過ごすんだって叫びながら帰ってたのに…」

「残念ながら、至福の時は過ごせませんでした」


 電話の相手は入社した時からずっとお世話になっている先輩だ。彼女なら部長たちと大差ないだろうから、何か言伝をしても問題はないはずだ。


「それで、どうして休むの?何か理由あるんでしょ?」

「昨夜、ちょっと色々ありまして…警察へ行ってこようと思うんです」

「え、ついに何かやらかしたの?もしかして、インスタントラーメンのストックが切れて万引きでもした?」

「してませんよ!ストックはばっちりありますから、なくなるなんて絶対にありえません!」


 インスタントラーメンがなくなったら私は生きていけない。私の命ともいえるインスタントラーメンたち。あぁ、思い出すだけでよだれと涙が出てきそうだ。そんな私のことがわかったのか。先輩は呆れたような声で笑った。


「まあ、それは冗談として…」

「笑えない冗談はやめてください」

「急用ができたから来れない、のね?」

「はい」


 わかった、上の方にも伝えておくね。と快く先輩は引き受けてくれた。ああ、なんて優しい人なんだろうか。この人が先輩でよかった、と実に単純な理由で喜ぶ私だったが、この時は忘れていた。

 一番、言伝を頼んじゃいけない人は先輩だったことを。

 会社への連絡が終われば、次は朝食の用意をしなくてはいけない。何かを考えるにも腹ごしらえは大事なことだ。昔から腹が減っては戦はできぬという言葉があるくらいなのだから。


「あの…」


 さっきからそわそわとしていた真田さんに突然話しかけられ、昨夜と同じ裏返った声でハイと返事をしてしまった。昨日の決意はどこへ行ってしまったんだろうか。そんなことを考えながらぱちぱちと瞬きを何度か繰り返してから、どうかしましたかと一言尋ねる。


貴女あなたの名前を聞いていないな、と思いまして。聞いても大丈夫でしょうか?」


 そういえば私、真田さんには名前聞いたのに自分は名乗っていなかった。彼に言われてから初めて気がついた。いや、よくよく考えてみれば、不法侵入者の人に名前を教えるのってどうなの。不用心にも程があるんじゃないか。そう思うものの、相手に名前を聞いておいて私だけ答えないっていうのもいかがなものかと思う。どんな相手にも必要最低限の礼儀は必要だと思う。それに、真田さんと出会ってからまだ半日しか経っていないけど悪い人ではなさそうだ。もし本当の悪人だったら出会った瞬間に殺されるなり、何か危害を加えられているはずだろうから。そう考えたら、少しだけ自分の大人げない対応が恥ずかしくなってきた。


「春瀬蜜って言うんだけど…」

「はるせみつ、殿ですか…」


 ゆっくりと彼の薄い唇からつむがれる私の名前。たったそれだけなのに、それだけのことなのに何故かふわふわした気分になる。


「よい名前ですね」


 優しく笑いかけられる。お願いだからそんな笑顔で見ないで欲しい。頬が熱くなるのを感じながら視線を横へ逸らし、それを誤魔化すように被りを振ってみる。そして、慌ただしく立ち上がり、リビングの扉へと向かう。


「…あ、朝ご飯用意しますね」


 逃げるようにキッチンへ駆け込む。冷蔵庫を開け、顔を突っ込んでとりあえず落ち着こうと努力をすることにしてみたが、寧ろ逆効果だったかもしれない。頭が冷えて冷静になればなるほど、あのやわらかい笑顔を思い出してしまう。というか、あの笑顔の不意打ちはずるいと思う。

 どうぞ、と真田さんに差し出したのは私が愛していると言ってもやまない醤油しょうゆ味のインスタントラーメン。朝からラーメンとかうわぁ、とか言われそうだけど気にしない。というか、殆どの食事をインスタントラーメンで済ませているから冷蔵庫にまともな食材がなかっただけなんだけど。


「……これは、なんという食べ物なんでしょうか?」

「インスタントラーメンですよ…もしかして、知らないんですか?」

「は、はい…。生まれてはじめて見る食べ物です」


 この近未来な時代に生きててこんなに美味しくて、便利なインスタントラーメンを生まれてはじめて見るだなんてあり得ない。そこまで徹底して武将になりきるものなのだろうか。

 いや、きっと何か頭の中で手違いがあったんだ。記憶の手違いだよ。絶対そうだって。私だってたまにあるもの。


「と、とりあえず食べてみてください。めんが伸びちゃうと美味しくないですから…」


 そう言って食べるようにうながせば、ぎこちない動きだったけど割り箸に手を伸ばしラーメンを食べ始めてくれる真田さん。途中途中、あれってなりそうな言葉が聞こえたような気がしたけど、それにつっこみを入れてしまったらダメな気がする。

 彼の言葉をひとまず、何も聞かなかったことにして私は愛おしいインスタントラーメンを味わった。うん、すごく美味しい。

 お腹がいっぱいになってかなり眠たくなってきたけど、真田さんをどうするか決めなきゃいけない。一生懸命に睡魔と戦いながら彼をどうするべきか、思考を巡らせている私を困ったように見つめている真田さん。


「その、春瀬殿…ここは本当にいったいどこなんでしょうか?」

「私の家です、マイハウス」

「ま、いは…?」


 私の言葉に首を右へかたむけながらくりくりした瞳をこちらに向ける真田さん。なんて、純真無垢な瞳なの。あなたの前世は犬か何かなんですか。


「…あのそういう真田さんはどこから来たんですか?」

「昨日も申し上げたはずなのですが……敵兵にたれたかと思ったらこちらにいたんです。それに何故か若返っているんですが…」

「よし、やっぱり警察を呼ぼう」


 やっぱりそれが一番な気がした。スマートフォンのロックを解除し、発信履歴で110を探す。目的の番号を見つけてそれをタップしようとした時、私の上に一つの影が落ちた。

 いったい何が起きたのか理解できないまま上を見上げれば、お世辞にも真っ白とは言えないけどもそれなりに白かった天井には丸い黒い染みができている。それが徐々に大きくなっていったかと思えば、そこから音もなく一人の男性が姿を現した。


「え、ちょ、えぇ…っ」


 反射神経がそんなに良くない私の上におおいかぶさるように男の人が落ちてきました。

 真田さんがその男の人を退かしてくれたおかげで、私はなんとか一命を取り留めることができた。そんな大袈裟に言うことだろうか。と思う人もいるだろうが、決して大袈裟ではない。大真面目で私は言っているのだ。まあ、そんなことはどうだっていい。今、冷静に考えなくてはいけないことがもう一つ増えてしまったのだから。


「……ここは、いったいどこなんだい?」


 実におっとりとしていそうな顔つきの男の人がそう尋ねてきた。かしゃんと音を立てるのは、見慣れないはずの甲冑。うん、素敵なデザインだね。真田さんのとは違ってまたいいと思う。


「…私の家なんですよね」


 先ほど、真田さんに言った言葉を改めて彼にも伝えるしかなかった。ああ、どうしよう。これってさ、もしかしなくてももしかしちゃうよね。

 私の日常への終わりを告げた瞬間だった。


「ふうん、ここは平成っていう時代なんだ。私たちがいた時代は戦国時代とそう呼ばれていると…」


 随分ずいぶんと面白いことを言う子だね。と笑われる。瞳は全くもって、1ミリも笑っていないけど。めちゃくちゃ疑ってます。みたいな目をしているけど。でも、少しは私の話を信じてくれてはいるのだろう。話を始める前に窓から外の景色を見せたし、多分その時代にはなかったであろう電気器具たちも見せたから。


「その、あなたのお名前は…」

「おや、人に名を尋ねる時はまずは自分からと両親に習わなかったのかい?」

「……春瀬蜜です」


 ごもっともすぎる意見に返す言葉もなく、ぶすっとした顔で名乗れば、うんうんと頷かれた。

 なんで頷くんですか。人の名前を聞いて頷く意味はあるんですか。


「私は安芸あき毛利もうり元就もとなりだよ。そこの君は…」

「上田の真田左衛門佐信繁と言います」

「真田…武田に仕えている一族だね」

貴殿きでん謀神ぼうしんと呼ばれた、毛利元就殿…」

「実際はそんなにたいしたことしていないのにね。周りが大袈裟すぎるんだよ」


 のほほんとした感じで話を進めないでください。そして、私だけを取り残さないでください。いや、全く彼らの話についていけてない私が悪いんだろうけどさ。そもそも歴史なんてただの通過点、今の日本ができるまでの過程としか思ってなかったもの。まさか、実際にその人たちに会うだなんて夢にも思っていなかった。


「それで話を元に戻すけど…」


 真田さんの方を向いて話をしていた毛利さんはご丁寧に私の方を向いて話しかけてくれた。


「ここは未来、なんだよね?」

「は、はい…あなたたちが本当にあの有名な武将さんなら……」


 いや、毛利さんの登場で過去から未来にタイムスリップしてきたっていうのは本当な気がする。そうじゃなければ人間が天井から降ってくることなんてまず、ない。

 だけど、いまいち信じられない。本当にそんなことがあるのだろうか。未来にタイムスリップしてしまうなんて。そんなことを考えていると目の前にいる毛利さんが不愉快そうに顔をしかめる。


「疑われてもしょうがないとは思うけどなんだか腹が立つね。まあ、そんなことはとりあえず置いておいて…蜜さんだっけ?」

「はい、春瀬蜜です」

「勿論、君は私たちを助けてくれるんだよね」

「…え?」

「え、じゃないよ。まさか…過去から来た何にもわからない私たちを放り投げて、自分は関係ありませんってするつもりだったわけじゃないだろう」


 ぐさぐさと痛いところをつかれる。彼の言う通り私は関係ないって感じでいるつもりだったんだけど。だって、ただのOLに男二人を養えるお金なんてあるはずがない。仮にこれが一人だとしてもやっぱり誰かを養うなんて無理だ。

 それにそもそもの話として、私は誰かと一緒に暮らすなんて向いていない。生活力は勿論、その他諸々。自由気ままに生きていきたいし、誰かのために自分の時間を割いたりするなんてできない。それならば警察を頼って、きちんと対応してもらった方が何倍も、何百倍も安全だと思う。


「駄目、ですかねえ」

「駄目、だねえ。少なくとも君のところに落ちてきた以上、君が最後まで責任をもって私たちの面倒を見るべきだと私は思うよ。真田くん、君はどう思う?」

「わ、私はどちらでも…しかし、状況を分かっている春瀬殿ならともかく、他の者に私たちのことを信じてもらえるのか……」


 そうですね、全く真田さんの言う通りだと思います。毛利さんもそう思ってるのか、うんうんと頷いてる。


「もう一度、確認のために聞くね。君は私たちを助けてくれるんだよね?」

「………ハイ」


 もう、こうなったらなるようになれ。人間、やる気を出せばどうにかできる。

 とりあえず、いつまでも甲冑を着たままでいてもらうわけにもいかないので、2人には私のフリーサイズのスウェットを貸すことにした。

 いったいどのくらいの期間、この時代にいるのかはわからないけども、ここでの生活が長引くならば彼らの洋服を見に行かねばいけないだろう。それ以外にも生きていく上で必要なものはたくさんある。そういうものも買い揃えていかなくてはいけないと今から考えると、なんだか憂鬱な気分だ。


「毛利さん、お腹空いていますか?真田さんと私はついさっき、朝食を終えたんですが…」

「いや、そんなには空いてはいないかな」


 リビングで現代の新聞紙を読みながら毛利さんは答えた。なんか違和感があるな。ものすごく綺麗な顔立ちをしているのに鼠色のスウェットを着ているせいなのか。


「それと蜜さん、私のことは元就でいい。毛利さんだなんて呼ばないでくれ」


 ちらりと新聞から目を離し、毛利さんこと元就さんはそう言った。彼には嫌だとは言わせないような圧がある。これが知将と呼ばれた人物のオーラなのか。

 とりあえず今は大人しくしていよう。だって命は惜しいもの。

 私は彼の隣でテレビを真剣な眼差しで見ている真田さんに目を向けてみた。薄い唇を僅かに開きながらテレビに見入っている。男の人にしてはあどけない顔立ちをしているせいか、少し間抜けな表情に見えるな。


「……春瀬殿、これはどういう仕組みになっているのですか?」

「テレビのこと?うーん、なんて説明したらいいんだろう…」

「この小さな箱の中に人が入っているのですか?」

「違いますよ。カメラっていう機械じゃなくて、えっと…からくりで遠くにいる人を映して、それをいろんなところで見られるようにしているんです」


 上手く説明することができない。テレビを誰かに説明するなんて、それこそ生まれてはじめてだ。現代社会においてテレビなどは必需品だし、当たり前のように存在しているものだから。

 そりゃあ上手い言葉が出てくるはずがない。


「……それでは、この箱の中には何が入っているのですか?」

「それもからくりですよ。それを映すために必要な部品たちです」

「そう、なんですか?」


 首を傾げながら私のすごく適当で雑な説明を真面目に聞いてくれる真田さん。なんだか、この程度の知識しか持ってないのに堂々と説明してて申し訳なくなってきた。今度、広辞苑でも用意して見せてあげるべきなのだろうか。それとも家電量販店の広告の方がいいのだろうか。

 そんなくだらないことを考えていた私と、きょとんな顔していた真田さんに元就さんが大丈夫だよ。と一言声をかけてきた。


「真田くん、無理に理解しようとしなくていい。そのうち理解できるようになるはずだからね」


 そう言うとお茶と、私に向かって言ってきた元就さん。私はあなたの召使めしつかいいでも何でもないんですけど。そう言いたげに睨んでみれば、早く持ってこいよとじとりと視線を向けられた。

 居候いそうろうのくせに随分と偉そうな態度ですね。そう言ってやりたがったが、私はかなりの小心者なので口には出さず、瞳にこれでもかって言うくらい感情を込めて睨みつけた。その視線に気がついたらしい元就さんが、首をくいっと前に動かした。

 え、もしかしてそれ早く用意しろってことですか。


「どうぞ、粗茶そちゃですが」

「あぁ、期待はしていなかったからそんなこと言わなくて平気だよ」


 元就さんは手渡した湯呑みを嫌味を言いながら受け取ると、ずずっとお茶を啜った。本当にこの人は何でこんなにも偉そうなんだろう。もう少し真田さんを見習って欲しい。彼はありがとうございます。とそんなにぺこぺこしなくてもいいのにっていうくらいに頭を下げて、ありがたそうに受け取ってくれているのに。


「春瀬殿」

「ん?」

「あれが…」


 湯呑みをテーブルの上に置きながら真田さんが指差したのは私のスマートフォン。バイブを鳴らしながら、机の上でカタカタと震えている。液晶えきしょう画面には先輩、という文字が点滅しているのが見えた。


「あ、あぁ、教えてくれてありがとうございます。ちょっと待っててくださいね」


 一言、二人に断りの言葉を述べてからスマートフォンを手にし、私は足早にリビングから出た。別に聞かれちゃまずいとかそう言うわけじゃないんだけど、なんかあそこで電話するのは面倒くさいように思えた。絶対に元就さんが何かしら言ってきそうな気がする。用心に越したことはないものね。

 通話ボタンをタップし、はい。と答えながらスマートフォンを耳に当て電話に出る。向こうでは吞気のんきそうに欠伸あくびをしている先輩の声が聞こえた。


「あー、蜜?」

「はい、何でしょうか先輩」

「あのさ、すっごい言いにくいことなんだけど…いい?」

「ちなみにそれって私にとって最悪のことだったりしますか?」

「うん。めちゃくちゃ最悪だと思う」


 あ、どうしよう。最悪のことなら電話切っちゃおうかな。ただでさえ今さっきから最悪なこと続きなんだもん。余計に聞きたくない。


「私さ、今日の仕事外回りで部長たちに会わない予定だった!」


 本当に最悪だったよ。部長に怒られるの間違いないじゃない。確定コースじゃない。なんでそういうことに気がつくの遅いかな。しかも、電話してからかなり時間経ってるよ。始業時間もかなり過ぎてるよ。

 先輩がまだ話しているにもかかわらず私はさっさと通話終了のボタンをタップした。そして、電話帳から部長の名前を探し出し通話ボタンを押す。コールがそんなに鳴らないうちに電話に出た部長からは案の定、マシンガントークでのお説教をされた。


「それは何というからくりなんだい?」

「あぁ、これはスマートフォンと言いまして現代人には欠かせないものとなっている代物しろものです」

南蛮なんばん語はあまり得意じゃないんだけど…」

「携帯電話です」

「……いいよ、説明されてもよくわからないからね」


 なら、聞くなよ。そう思ったのは私だけじゃないはず。だって少し遠くにいる真田さんも、私と同じようなことを言いたそうな顔をしているんだもん。私は間違っていなかった、いえす。

 お昼は皆あんまりお腹が空いていなかったのでなしにして、夕飯を早めにすることにした。まあ、元々昔の人は食事は二食だったと聞くし、一食抜いても問題はないだろう。

 ちなみに買い物には行かないつもりだ。仮に買い物に行ったとして、だ。この中で一体誰が料理をするというのだ。答えは簡単で、誰もいない。男子厨房に入らずで育ってきた真田さん、元就さんは料理なんてものができるはずもなく、私は面倒くさいことはやらない主義なので論外だ。


「夕飯もインスタントラーメンにします。私は醤油しょうゆラーメンアイラブなので醤油ラーメンにしますが、お二人はどうしますか?あっ、料理をするという選択肢はありません。お湯ひとつで出来るインスタント類しかこの家にはないので」


 私が大真面目にそう言えば元就さんは心底うざそうな顔をした。それはもう、言葉では言い表せないほどの歪みっぷりだ。

 というか、インスタントを何かわかっていないのに、そんな顔をするなんていったいどういう了見だ。なんなら、醤油ラーメンも何かわかってないくせに。あんなに美味しいものを理解できないなんて人生の半分は損している。


「他に何かないのかい?」

「ありま…」

「ない、のかい?」

「卵かけごはんぐらいなら、用意できますけど…」


 目を思いっきり逸らしながら答えれば、元就さんが盛大せいだいに溜息をついた。仕方ないじゃないか。料理を頑張る気がなかったらこうなってしまったんだ。それにまさか誰かと一緒に暮らすとは夢にも思っていなかったわけで。


「私は春瀬殿にお任せいたします。居候の身ですので、我が儘わがままなんて言えませんから」

「…わかりましたよっ!ファミレス行きましょう、ファミレス!」


 投げやりでそう言えば元就さんはにやりと笑った。

 彼らを連れてきたのは家から少し離れたところにあるファミリーレストラン。主婦や学生をターゲットとしているこのレストランは非常に私のお財布にも優しかった。一人でも千円行くか行かないか程度でお腹いっぱいになれるのだ。これなら成人男性のお腹を十分に満たせるわけだ。


「さて、何を頼みますか」


 メニュー表をばさりと広げながら彼らに尋ねれば、元就さんがまた盛大な溜息をついた。


「……私はこの格好で外に連れてこられたことが悲しくてたまらないよ」

「真田さんは何にしますか?ハンバーグセットとかにします?」

「は、はん、ばあ…?」

「私を無視して話をするのはやめてくれないかい?」


 スウェットの上に適当なパーカーを着せただけの格好で来たことが、元就さんはすごく気に食わないそうだ。真田さんなんてしっかりした体格なせいで、サイズが丁度良さげな上着が全然なくてその辺にあったコートだからね。それに比べたら元就さんはマシな方だと思う。


「真田さん、暑かったらコート脱いでもいいですからね。冬とはいえ、室内は暖房が利いていて結構あったかいですし…」

「この程度の暑さ、苦にもなりませんよ」


 にこりと笑った真田さんの頭を撫でたい衝動しょうどうにかられる。いやいや、それは流石に堪えなさい。我慢しなさい。いい年した女が自分よりも年下の子の頭を撫でているなんて知り合いに見られたら、根も葉もない噂を立てられてしまう。


「あっ」


 慌てて声がした方に顔を向ければ見たことのある顔がひとつ。ああ、そうそう、この顔はつい昨晩も見た顔だ。


「私のこと見捨てた警察官!」


 大きな声で指差してそう言えば、すごい速さで腕を掴まれ、そのまま外へ連れて行かれる。善良な市民なのに警察官に思いっきり頭をばしんと引っ叩かれる。地味に痛いんですけど。というよりも、仮にも警察官が市民を叩いていいと思ってるんですか。


「ああいうことをね、大きな声で言わないでくれるかな?名誉毀損めいよきそんうったえられるよ」

「本当のことを言うのは大切だと学校の先生に習いました」

「そうだね。それはすごく大事だね。でもね、時と場合ってものがあるでしょ」

「周りの人との情報の共有は大切だと幼稚園の先生に習いました」

「……君は人の迷惑になるのかなとは思わないのかな?」

「あなたの迷惑になれるなら本望です!」


 はきはきとして声でそう答えた私の頭を彼はやっぱり容赦ようしゃなく叩いた。

 ちょっと、善良な市民に対して理不尽すぎやしないかい。


「まだ昨日のこと根に持っているの?」

「死んでも忘れるつもりはありませんから安心してくださいねっ」

「君は小さなことを根に持つタイプなんだね…」


 あなたに助けを求めたのに見捨てられた私の気持ちがわかるのか。じとりと恨めしそうに睨みつけるが、彼は何とも思っていないらしい。澄ました顔のまま私を見下ろしている。


「…そろそろ向こうに戻らせてくれませんか。きっと二人が心配してます」


 そういえば、真田さんたちを残してきたんだっけ。そのことをようやく思い出した私がそう口にすれば、警察官は驚いたように瞬きを二、三度繰り返した。

 きっとメニューの横文字がわからなくて、真田さんあたりが困っていそう。元就さんは絶対に我関せずだろうし、私に早く戻ってきて説明しろよって思ってメニューを眺めていると思う。


「…あぁ、すまない。もう戻ってもいいよ」

「ありがとうございます。それでは人でなし警察官さん」

「待て待て待て。最後の一言が余計なんだよ、君は…って、もう!」


 最後の最後まで警察官に対して暴言を吐いてやった。ざまあみろ。人間の恨みほど恐ろしいものはないんだよ。次に会ったら何を言ってやろうか。そう思いながら、私はレストラン内に戻った。

 彼らのいるテーブル席に戻れば、予想していた通り真田さんが横文字と戦っていたし、元就さんはぼうっとしたように窓の外を見ていた。


「すみません、大丈夫ですか?」

「あ、春瀬殿…」


 私が声をかけながらソファに座れば、真田さんが嬉しそうに瞳を細める。まるで飼い主がようやく自分の元へ来てくれた時の犬のようだ。


「南蛮語もわかりませんが、この食べ物がいったい何なのかがいまいちわかりません…」

「そうですよね…すみません。警察官を見たら昨日の仕返しをしなければ、と思って…」

「昨日何があったかは知らないけど、私は食べる物は決まっているよ」


 意外とメニューをきちんと読んでたんだ。驚きながら決めるの早いですね、どれにしたんですかと尋ねれば彼は予測外のことを口にした。


「君と同じ。こんなに楽なものはないよ」


 爽やかな笑顔で言い切ったよ、この人。


「真田さんはどうしますか?あそこにいる人みたいに私が頼むものと同じにしてもいいですし、自分が気になるものを選んでも頼んでいいですよ」

「え、ええっと…ですね…」


 そう言えば彼はあたふたとしながら、メニューへ視線を落とす。五分ほどして真田さんはどれがいいのかわからず、元就さんと同じように私と同じものをと言った。


「いいですか。まずは氷を入れます。そしたらここから好きな飲み物を選んで……このボタンを押します。すると、湯呑みに飲み物が注がれます」

「おぉ…!」

「長く押しすぎるとコップじゃなくて、湯呑みに入りきらず零れちゃうので注意してくださいね」


 元就さんと真田さんにドリンクバーの使い方を細かく説明していく。それを真田さんは感嘆の声をあげてくれるが、元就さんはつまらなさそうな顔をしていた。うん、これ多分私がやれば早いじゃないかとか言い出すやつだよね。なんかちょっと、元就さんのことがわかるようになってきちゃったよ。


「君がやってくれればいいのに。私たちがわざわざ覚える必要もないと思うんだが?」

「いや、私元就さんの召使いじゃないので…」

「やって、くれるよね?」

「……や、やりますよ!お茶でいいですか?」

「それ以外の飲み物を飲んだことがない私たちに聞く必要はあるのかい?」


 ああ言えばこう言う元就さん。いちいち揚げ足をとってくるのは元就さんの専売特許か何かなんですか。

 むっとしたようにドリンクバーの機械のボタンを押して、お茶をたっぷりと注ぐ。いっそのことお茶でお腹いっぱいになってしまえ。


「私と話しているよりも、真田くんのことを見た方がいいんじゃないかな」

「え…?あぁ!真田さん零れてます!それに、これはほうじ茶じゃないです!色は似ていますがコーラという飲み物です!」

「えぇっ!そ、そうなんですか?」


 ぼたぼたとコップから溢れ出したコーラを見つめ、真田さんは本当に申し訳なさそうな顔をした。別に責めるわけじゃないけどな。

 とりあえず、大人しくテーブルの方で待っていてください。あとは私がちゃんとお茶を淹れて持っていきますから。

 とびきり可愛い店員さんに運び込まれたのは和風定食。からっと揚げられた竜田たつた揚げにたっぷりかかった大根おろしとねぎ、脇に添えられた山盛りのキャベツにプチトマト、味噌のいい香りのするわかめと豆腐のお味噌汁に、炊き立てであろうホカホカの白米、軽く胡麻ごまで和えられたほうれん草としゃきしゃきのかぶの漬物。私がこのファミレスで一番好きなメニューだ。低価格なのにすごくボリューミーだし、これぞ日本人の食事と思える献立こんだて。家でやろうと思ったらまず、簡単にはできない。手間も時間もかかってしまう。


「どれも美味しそうですね」


 お盆の上に置かれている箸を手に取りながら真田さんが微笑んだ。


「でしょ?この定食、私すごく好きなんです。安くて美味しいなんて最高じゃないですか」


 私が素直に答えれば彼は実に微笑ましそうな顔をする。ちなみに協調性に欠ける元就さんはいただきますも言わずにご飯を食べ始めていた。

 一口ひとくちが小さいのか。それなりに大きく切られている竜田揚げを一生懸命に噛み砕き、咀嚼そしゃくする。こくりと喉仏が上下すると、先ほど私が淹れてあげたお茶を一口飲み、彼は少しだけ表情をやわらかくさせた。


「…本当だね。これは美味い。君の言ういんすたんとらーめんよりも良さそうだ」

「食べたこともないインスタントラーメンを馬鹿にしないでください」


 お湯ひとつでできちゃう画期的な代物なんですよ。と元就さんにインスタントラーメンのいいところをプレゼンしてみるが、彼は全然話を聞いてくれない。私の話を右から左へ聞き流しながら、食事を再開してしまっている。本当に協調性ないな、この人。


「真田さんはどうですか?美味しいですか?」


 私がそう尋ねれば彼は柔らかくふわりと笑った。


「はい、とても美味しいです」


 嬉しそうに微笑む真田さんを見て私は思った。少し自炊してみることを考えた方がいいのかもしれない、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る