第18話

あの部屋から出た時の惨状を思い出すと、少し怖い。



倒れた男達を見下ろし、驚きと恐怖に震える姉と姉の友人であろう女達を見る、葛城琉玖夜のあの冷えた目。



私に向ける優しい目からは想像出来ない、冷たくて冷酷な目。



「今後コイツに何かしてみろ、いくら女でも容赦しねぇ……。次はねぇぞ」



すれ違いざま姉にそう言った恐ろしく冷えきった声に、姉は座り込み、友人達は体を固くしていた。



今回姉は関係ないにしろ、何かされる前にストップをかけてくれた事には、安堵していた。



荷物を纏めた私は、母に一言言ったけれど、相変わらず私には興味がないようで、簡単に「そう」と返事をした。



分かってはいたけれど、少し胸を締め付けた。



綺麗なマンションを見上げる。



オートロックを開けて、中へ入る。



高級そうなロビーを通り、エレベーターでどんどん上へ上がっていく。



「葛城、君は……」



「あ? 何で今更苗字なんだよ。名前呼べ。返事しねぇぞ」



怒られた。あの時は気がついたら呼んでいただけなのに、普通の時に呼ぶのは、少し勇気がいる。



「り、り……くや、は……」



「何だそれ。緊張してんなよ。お前、照れてんの? 可愛いね、ほんと」



頭をくしゃくしゃと撫でられる。



「もうっ……お金持ちなの?」



「親がな。でも俺、半分勘当されてっから。金渡すから、その代わり問題起こさず大人しくしてろってな」



荒れてたからって笑いながら言ったけれど、今も私みたいな人間からしたら、不良な部類に入るけど、とか思ったのは内緒。



結構な高さでエレベーターが止まり、広い廊下を通って葛城琉玖夜が足を止める。



慣れた手つきで鍵を差し込んで、扉を開けて促す。



「お邪魔、します……」



玄関で止まると、後ろにいる葛城琉玖夜を見上げる。



「遠慮すんな。入れよ」



靴を脱いで、遠慮気味に部屋へ入る。



シンプルで、あまり物がなくて、それでも本がたくさんある印象だ。



適当に座れと言われても、どこに座ればいいか分からず、とりあえずソファーの端の方に座る。



初めての男の人の部屋に、妙に緊張していた。



飲み物を持ってくる葛城琉玖夜が、私を見て笑う。



「今更何の緊張だよ、ガッチガチじゃん。もっとこっち来いよ。飲み物届かねぇだろ」



手を引かれ、ソファーの真ん中に座らされ、彼は隣に座る。



「何もしねぇから、とりあえずそれ飲め」



変なモノは入っていないと笑い、自分もコーヒーを口にした。



飲む姿をチラチラと見て、やっぱり自覚してしまう。



私は、葛城琉玖夜に惹かれ始めている。気がする。



少しだけ、何気ない行動が格好いいと、思ってしまっている、自分がいなくもない。



チョロ過ぎるぞ、自分。



でも、どうしても自分が助けて欲しい時に現れて、いとも簡単に助け出してくれるこの男は、格好いいし、絆されてしまう。



用意された紅茶を飲みながら、部屋を見渡す。



やっぱり気になるのは、本棚だ。



色んなジャンルの本が並んでいる。



「何? 気になる? 近くで見てくれば?」



言われ、心が踊る。大きな本棚には、魅力的な本ばかりがあって、楽しくて仕方ない。



届かない本に興味が湧き、少し葛城琉玖夜を見る。



こちらの視線に気づき、本棚まで歩いてくる。



「どれ? これ?」



「うん、あ、ありがとう」



本棚に向かう私の肩に片手を置き、本を取って渡され、振り返って見上げると凄く密着しているのが分かり、顔に熱が集まる。



「何もしねぇって言ったけどさ。あんまそんな顔で見んな。何かしたくなる」



「っ!?」



そんな顔ってどんな顔だろう。私はどんな顔をしてたのか。



髪を掬って口づける。



「つか、マジで本好きなんだな。本相手なのに妬ける」



耳元で呟いて、スッと体が離れた。



「何? 何かされるって、期待した?」



意地悪く笑う葛城琉玖夜に、更に顔が赤くなるのを感じる。



「し、してないっ!」



遊ばれてる。声を出して笑った意地悪な男。



ほんとに、何故この男なんだろう。



取ってもらった本を読む為にソファーに座る。



そんな私の太ももに、また当たり前みたいに頭を置いてスマホを弄る男。



抵抗したところで同じ事なので、特に何も言わず本に集中する。



静寂。時計の音がうるさいくらいに鳴り響くようで。



それでも、家にいるみたいに変な緊張感もなくて、平和でゆっくりとした時間が流れていて、居心地がよくて、ずっといたくなる。



慣れちゃいけないけれど、全てを委ねてしまいたくて。



困ってしまう。



本から目を離し、膝に頭を乗せて寛ぐ男を盗み見ると、すぐにその鋭い切れ目と目が合う。



ドキリとするけれど、目が離せない。



スマホを胸の辺りに置いて、手が私の頬に触れて滑る。



鋭いのに優しくて、どこか妖艶な光を揺らした目に引き寄せられるように、顔が近づく。



確実に私が近づけていくように、少し背を曲げる。



見つめあったまま、顔が更に近づく。



後頭部に手が添えられ、目を閉じると、唇に柔らかい感触。すぐに離れたそれに、私は少し物足りなさを感じてしまうのに、妙な熱さが体の奥から湧き上がる気がした。



「これ、どういう意味のキス?」



「わ、わかんない……」



雰囲気に流されただけなら、どれだけよかったか。



完全な好意かと聞かれたらまだ少し足りなくて、でも誤魔化せるほど軽くもなくて。



なんて言っていいのか分からない、凄く中途半端な感情。



「期待して、いいやつ?」



「まだ、よく……分からない……。でも、嫌じゃ、ない……」



そう言った私の膝から、頭の重みがなくなって、彼はソファーに横向きに座り直し、体ごと私の方を向く。



気だる気なのは相変わらずなのに、真剣な目。



「ちょっとは、俺を意識してくれてるって思っていい? 後、もうちょい?」



「……意識は、してる、かな……もうちょいかは……分からない、けど、ちゃんと……しっかり、考え、ます……」



それだけ言って横目で見ると、彼はソファーの背の部分に頭をもたげ、息を吐いた。



「ゆっくりでいい。でも、すぐ俺でいっぱいにするから。俺じゃなきゃ駄目だって、言わせるよ、絶対」



「凄い自信」



笑った私の髪をまた掬う。



そちらを見ると、凄く優しく微笑んでいて、また心臓が大きく跳ねた。



彼の自信が現実になる日が近いと、私を納得させるには十分だった。

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