異世界銃士は脱走中
佐藤すずもと
1-1 脱走兵
この極寒の山中を、部隊ではなく単独での偵察を命じられた理由は、山に慣れた猟師だったという程度のものだった。
要塞内および周辺にいる兵だけでも四万を数え、装備も充実し、さらに万を数える後詰めも存在するらしい。
軍全体が勝ち戦だと思い込み、完全に緩みきっていた。
偵察が任務である以上、銃を使って獣を狩ることも、火を使って調理することもできない。
夕暮れから食事も取らずに過ごし、すでに深夜となっていた。
倉庫から密かに持ち出した干し肉を噛みしめながら、流れるような星空をたどって元いた要塞方向に、ふと何かの予感に駆られるように視線を向けたその時だった。
静寂と表現するにふさわしい星々の沈む山間は、突如赤い光に包まれ、巻き上がる土埃に覆われていく。
十数秒の遅れを持って地を揺るがす轟音がこの場所にも達した。
しばらくの時間が経過し、山々を包む光が次第に薄れると共に、その先にあるはずの要塞から間欠的に花火のような軽い誘爆音が耳に届く。
舞い散る火の粉が上昇気流に乗るように、青白い光の粒が夜空に吸い込まれて消えていくのが見えた。
ただ一人孤立し、取り残され、そして戻る場所もない。
この男の名をメレクという。
変化に乏しい夜の山中を、メレクは味方のいるであろう方向とは逆に向かって歩いていた。
あの爆発が事故であるという楽観的な考えは、到底持てるはずがない。
すでに退路は断たれていると考えるべきだ。
故郷への愛着など無い自分が愛国心など持ちようがなく、機能しているかどうかも定かでない原隊に復帰するリスクを冒すよりも、このまま山中に紛れて残兵狩りから逃れることを優先すべきだ。
食料は先ほど噛じった干し肉だけで、水も残り心もとない。
銃は当面使えないだろうが、罠を仕掛けるなどして食料を確保したい。
まずはとにかく移動だ。
肺が凍りつくような寒空の下、当面雪が降らないでほしいと切望しつつ夜空を仰いだその時だった。
先ほどまでかすかに聞こえていた、木々のこすれる音に混じった夜鳥の気配が消えていた。
それに代わって、草の擦れる音がかすかに全周から耳に届く。
明らかに包囲されていた。
その中から、何の危機感もないように気楽に低木をかき分け近づいてくる人影に見覚えがあった。
「……アレン」
同郷の地方貴族の子息であるアレンは、徴兵されたメレクとは違い、この戦争に志願して参加していた。何を考えているのか永遠に分かりそうもない、そんな男だった。
社交界ともなれば、年頃の令嬢などが身の回りを彩る花のように寄り添ってくるような、こんな山中にはそぐわない美丈夫である。
戦争など無縁でいれば良いものの、彼は彼の理念で理解不能な概念でメレクを振り回す。いわば疫病神のような存在でもあった。
この数日、全く姿が見えなかったというメレクにとっては実に快適な日々を過ごしていたと思えば、よりによって敵方を通じていたとは。
アレンは気安く人に好かれる笑みを浮かべ、軽く手を広げてこちらに歩み寄ってきた。
「やぁメレク、探したんだぞ」
包囲の気配は徐々に狭まってきていた。
囲まれている段階で、好意的な状況でないことは明らかだった。
メレクは目の前の、この状況を作り出したであろう見た目だけは麗しい優男と静かに向き合った。
「アレン、俺を売ったのか」
「そんな! 売っただなんて!」
演技的に頭を振るアレンは、一呼吸置くように目を伏せ、ペンダントのように首から下げた手のひらの半分くらいの銀色に光る金属の板を取り出し、それを差し出すように向けてきた。
「君の、魔道具を作る技量が認められたんだ」
それはメレクが故郷を離れるときに、思うところがあってアレンに渡した魔道具だった。
「メレク。君は訳の分からない呪いのせいで人里には近づけない。
これはいい機会とは思わないか」
アレンは静かに言いくるめるように言った。その表情、その笑顔は、メレクには実に胡散臭く感じられた。
やがて包囲していた気配は警戒感を失ったのか、軽い足取りでそのまま近づいてくる。
その中の一人がアレンの後ろから、堂々とした態度を見せつつ歩み寄ってきた。
「信じられんな。聞いてはいたが、本当に魔力が感じられん。
そんな人間がいること自体驚きだが、平民が魔道具を作るなどと戯言か、もしくは落ちぶれた貴族の所業かとも思ったが」
その男は自身が上位の貴族であると主張するかのような見事な装備で身を固めていた。
周りの男たちと同じ外套は、彼らが同じ所属の騎士団であることを示していた。
彼はメレクを侮蔑を含んだ表情で見下ろし、落胆とも失望とも言い難い表情でこう告げた。
「自慢の魔道具あれど、肝心の魔力が無いのではな」
騎士団長と思しき男は威圧的にこう続けた。
「大人しくついて来い。
それともそのチンケな銃で手向かってみるか? 魔力障壁に銃など通用すると思っているのであればな」
常識の範疇として、高度な魔道具で身を固めた相手に対し銃撃は意味を持たない。
軽く夜空を見上げたメレクは大きく嘆息し、ゆっくりと騎士の方に視線だけを向け、宙を舞う白い息をかき消すように苦々しくこう吐き捨てた。
「チンケな銃でも当たれば痛いんじゃないか」
虚空に散ったメレクの白い息が溶けて消えると同時に、彼の姿も音もなく消え失せた。
まるで最初からそこに居なかったかのように自然に、である。
「……落ち着け。話に聞いていた認識阻害だ。手順通りに対処しろ」
「魔力が無いならどうやって起動を……」、誰かがそうつぶやきながらも、騎士たちは洗練された動きでその場から散開しながら距離を取っていく。
この手の争いに慣れているのか、彼らは明らかに手練れであった。
どこかこの状況を愉快そうに、また傍観者のように眺めていたアレンは、絶好の観戦場所へと悠々とその場を離れていく。
彼は高台の特等席で、今にも始まりそうな戦場という舞台を鑑賞しようと優雅に腰を下ろした。
しかし背後に気配を感じたアレンが恐る恐る振り返ると、そこにはメレクが無言で佇んでいた。
「や、やぁメレク、さっきぶり……」
メレクは冷淡な視線をアレンに向け、舌打ちをすると、そのまま躊躇なく強烈なケリを彼に食らわせた。
「そんなぁああああああああああぁぁぁぁ……」
アレンは間の抜けた絶叫を上げながらそのまま崖下へ転げ落ちていく。
それを無感情に観察するメレクの背後では、騎士たちが魔力を帯びた青白く光る剣を抜き襲いかかろうとしていた。
暗視魔術によって微かに赤く光る彼らの目には、不気味さすら漂っていた。
通常なら致命的な高さの崖から突き落とされたアレンだが、メレクが持たせた魔道具の効果か、軽度の擦り傷と打撲程度で済んでいた。
しかし、急斜面を転がり落ちた衝撃で吐き気を催すほどの激しい眩暈に襲われ、落ち着くまでその場に横たわるしかなかった。
崖上からは戦闘の喧騒に紛れて銃声が響いてくる。
やがてそれらの音は銃声だけが際立つようになり、最終的にはそれも夜空に吸い込まれるように消えていった。
静寂が戻ると共に、かすかな夜鳥のさえずりが辺りを包み、その中から草を踏み分ける足音が近づいてきた。
そこには何事もなかったかのように、無傷のメレクが無表情で歩み寄ってきた。
「ぼ、僕を撃つのか。……鹿も、鹿も撃てないくせに!」
メレクは冷徹な眼差しで、先ほどとは明らかに異なる銃をアレンに向け、静かに言い放った。
「お前は鹿じゃねぇだろう、アレン」
魔力障壁は時に水面と小石に例えられる。
投げ込まれる小石の速度が速ければ速いほど、軽ければ軽いほど、角度が浅ければ浅いほど弾き返される。
故に銃は魔力障壁に対して無力であり、法的に魔力の扱いを禁じられている平民の武器として魔道具を持つ貴族には通用しないと認識されていた。
その認識が、常識が、今日事情を知る者には衝撃として覆されるのである。
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