Episode 10【柳と椿】

【柳と椿】

──扉が開く……


 部屋の中には、黒い革の長ソファーが置いてあった。

 そのソファーに堂々と座る、黒い髪の男。

 壁には、【紫王シオウ】と大きく書かれた旗のような物が飾ってある……


「〝レッド エンジェルのお嬢様を見付けた〟という話は、確かか?」


 ソファーに座った黒髪の男が、部屋に入って来た男たち数名に聞いた。


「もちろんです。連れて来ました」


 〝手柄をあげた〟と、男たちは上機嫌だ。


 その例の“連れてきた人物”を、男たちは、長ソファーに座る男の前に連れて来る。

 連れて来られた女は、ロープで拘束されていて、頭には黒い布を被せられていた。

 女の顔は見えないが、脅えているのは確かだっただろう。

 それを見るなり、長ソファーに座る男が、険しい表情をした。


「馬鹿が! レッド エンジェルに取り入る為の大切な女に、なんて乱暴な真似してんだ!」


 ──そう言い放つと男はソファーから立ち上がり、ナイフで女を拘束するロープを切った。

 役目を終えたナイフが、床へと転がる。

 そうして次に男は、頭に被せられた黒い布を取り払った……──


「総長! どうですか?! 正真正銘、本物に間違いありません!」


 手柄を立てた男たちは、やはり上機嫌である。


 ──“総長”と呼ばれたこの男は、“紫王”というグループの所属だ。つまり、〝紫王の総長〟である。

 そうこの男、黄凰や白麟と一緒にこの間の集会に参加していた、黒髪短髪の総長だ。


「……――」


 上機嫌な男たちとは違って、総長は女をじっと見て、固まった。──そうして、呆れたように口を開く。


「おい、お前ら……バカか?! この女はレッド エンジェルのお嬢様じゃねぇ! この女は、ブラック オーシャンの人魚姫だろうが!」


「「「え゛っ?!」」」」


 そう、この場に連れて来られたのは、ドールではない。だった。


「そんな?! ……この間の集会で黄凰の丸島が見せた写真は、確かにコノ女だった筈だろ?!」


「その後に見せた写真が、レッド エンジェルのお嬢様だ! 話を聞いていなかったのか?!」


 そうあの集会の時、丸島は初め、誤って絵梨の写真を見せた。そのせいであの場にいたメンバーたちの記憶は、どちらの人物が誰なのか……そこのところが、あやふやになってしまっていたのだ。


「黄凰の馬鹿総長が! 紛らわしい事しやがって!」


「馬鹿はお前らだ! これが黄凰の策略だったらどうするんだ?! 黄凰の思う壺だろうが!」


「は~い……」


 見るからに残念そうに、ガックシとする男たち。

 ……──そう、間違いだ。だが部下たちを叱りながらも、総長はじっと、何か興味深そうに絵梨を眺めている。


「だが、ブラック オーシャンの人魚姫か……面白い」


 そうして総長は絵梨を見ながら、微かに笑みを作った。


「ブラック オーシャンの人魚姫……──つまり、西のトップ、白谷の女」


「総長、何を考えているんですか?」


「歴史を思い出せ。ある権力者が滅ぼされる時、その権力者の妻や愛人は、大抵、有無を言わせず次の権力者のモノになる。それと同じだ。──奪った女は権力の誇示」


「ブラック オーシャンは俺らが消す……──つーことは、人魚姫は俺らのモノって訳か」


 総長たちの会話を聞きながら、やはり絵梨は、恐怖で震えていた。

 すると総長が、絵梨を見下ろしながら言う──


「怖がることはねぇ。優しく可愛がってやるよ」


 絵梨には、悪魔の囁きにしか聞こえない。

 紫王に捕らわれた自分に、良いことなどある筈がないという事は、目に見えている。


 ──そうして総長は、絵梨の腕を掴むと、部屋を出ていってしまった……──


 総長が部屋から出ていった後に、残された男たちは安堵したような表情を作った。


「……メッチャクチャ、怒られるかと思ったぜ……」


「少し怒鳴られる程度で良かったよな……」


「間違えって言っても、ブラック オーシャンの人魚姫だもんな。……超可愛いし……」


「にしても、総長も手が早ぇな。ご機嫌で連れて行ったぞ?」


****


 ──絵梨は紫王の総長に腕を掴まれたまま、グイグイと連れて行かれてしまう。

 恐怖で抵抗すら出来ない。ただ不安な表情を浮かべたまま、引っ張られて行くしかない。


 ──しばらく歩くと、ある扉が現れた。

 紫王の総長が、その扉へと手を伸ばす……──

 ──その時、後方に人の気配を感じた。

 それに気がついた総長が、後ろを振り返る。

 するとそこにいたのは、黒髪の女だった。女は涼しげな表情で煙草を吸いながら、こちらのことをじっと見ていた。


「椿、何か用か? ジロジロ見てんじゃねぇーぞ」


 ──総長はその女を【椿ツバキ】と呼んだ。


「“その女”に用だ。別にアンタなんかに用はない。自惚れんじゃないよ、柳」


 ──そして椿というその女は、総長のことを【ヤナギ】と呼んだ。柳と言うのは、紫王の総長の名だ。


「ハァ?! なんだとクソ女が!」


「黙りな、サル」


「サルじゃねぇーよ! 黙れサル!」


「私は人間だ。キャッキャと騒ぐんじゃないわよ」


 椿と柳は言い合いを始めている。

 椿と柳の言い合いを、絵梨は混乱する頭のまま、ただぼんやりと聞いていた。

 椿は呆れたように、柳を鼻で笑った。


「こんなガキ相手に上機嫌だなんて、馬鹿みたい。笑っちゃうわ。──まぁ仕方ないわよね? サルな訳だし」


「上機嫌だと?! どこがだ!」


「フン……」


 椿は不機嫌そうに視線を反らす。──一呼吸置いてから、その不機嫌そうな視線を、もう一度、柳に向けた。


「柳、手、貸して……――」


 そう言うと椿は、柳の片手を掴んだ。


「は? 仲直りの握手ッてか? よく分からねーけど、可愛いところもあるんだな」


 柳は椿を馬鹿にしたように笑みを作った。


「誰が握手って言った?」


 椿はすごい形相で、柳を睨み付ける……──


しようとしたのよ!」


 椿は掴んだ柳の手に、自分が吸っていた煙草を押し付けた……――


「熱ッ――……ッ!! ……――――椿てめぇ! 何しやがる……!」


 やはり椿は、不機嫌な表情で柳を睨み付ける。


「コノ女に用があるって言ってるのに、渡さないからこうなるのよ」


 すると椿はそのまま、柳から絵梨を引ったくった。

 こうして絵梨は、今度は椿にグイグイとどこかに連れていかれる……──

 絵梨は何が何だか分かっていない。けれど、絵梨は椿が同性であるから、いくらか安心したようだ。“助けられた”ような気がしているから……──


「あの……ありがとう、ございます……」


 絵梨は引っ張られながら、椿にぎこちなくお礼を言った。

 けれど椿は、キッとした目で絵梨を睨み付けた。


「助けたりした訳じゃない。勘違い」


「え?」


 椿は不愉快そうに、表情をしかめる……


「『助けてない』って言ってるの! アンタが邪魔だから、ここから追い出したいのよ!!」


 椿に思いきり怒鳴られた。

 びっくりして、絵梨はいくらか涙目になっている。


「少し可愛いってのと“人魚姫”ってだけで、柳に気に入られて……調子に乗るんじゃないよ!!」


 椿が自分絵梨を柳から引き離した理由が、絵梨にもなんとなく分かってきた……


 ──そのまま、痛いくらいに腕を引っ張られて、絵梨は椿に連れて行かれる。


 しばらく歩いて、椿がある扉を開いた。

 部屋の中へ。その部屋は、一番初めに絵梨が連れて来られた部屋だった。

 その部屋には、絵梨を拘束してきた男たちが、まだいた。

 男たちは椿と絵梨を、驚いたように見ていた。


「椿さん……と、人魚姫? どうしたんですか?」


 男の呑気な反応が、椿の機嫌を更に悪くする……──


「この女を連れて来たのは、アンタたちよね?」


「そうですけど? 何か……?」


「余計な奴連れて来てんじゃないわよ!!」


 椿に怒鳴られるのが意外だったらしく、男たちは唖然とした。


「椿さん?! 落ち着いて下さいよ?! 何かあったんですか? ……」


「うるさい! 別に何もない!!」


 椿を宥めようと、男たちはソワソワと落ち着かない。

 すると椿が絵梨のことを、男たちに突き出した。


「さっさとこの女を捨てて来て!! こんな女、邪魔なのよ! ……――」


「落ち着いて下さいっ! 椿さん!」


「捨ててきて!! 金にでも変えちゃえば良いのよ!」


「わっ分かりましたから! ……」


 男がそう返答すると、椿はようやく少し落ち着いた。


「けど……総長に許可、取ってるんですか?」


「“取ってある!!”」


 男たちは不思議そうにしている。先程の様子からしたら、柳が絵梨を、簡単に手放すようには思えなかったからだ。


「私がこう言ってるんだから良いのよ!!」


「わっ分かりましたから……落ち着いて下さい……」


 結局、椿の気迫と迫力に負けた男たちは、椿の言う通りにすることにした。


「じゃあ、頼んだからね?」


 念を押すような言葉を残してから、椿は部屋の外へと出て行った──


「総長には怒られなかったが、椿さんに怒られるとわな……」


「なんだかショックだ……」


 唖然とする男たち。


「仕方ない。捨ててくるか……」


「待てよ、どうせなら、“売ろうぜ”?」


 『売る』その言葉に、唖然としていた男たちの表情が変わった……──


「ブラック オーシャンの人魚姫……──良い金になるな」


 男たちが口角を上げた。

 〝今度は、どうされてしまうの……?〟と、また、絵梨の心に恐怖がわき上がった……──


 部屋にいる男たちは、全員で8人。そのうちの4人が、絵梨を連れて部屋を出て行った──


 そして部屋に残った男たちは……


「どうしていきなり、総長は人魚姫を手放したんだ?」


「……柳さんの考えが、よく分からないよな」


「椿さんの激怒にも驚きだ……」


 やはり、現状を把握しきれない男たち。

 ──その時、部屋の扉が勢いよく開いた……──

 勢い良く開いた扉の音に驚いた男たちは、開いた扉を反射的に見た。すると……


「おい!! 椿はどこに行った!!」


 扉を開いたのは柳だ。しかも、一体何があったと言うのか、柳は目が血走っており、鬼の形相だ。

 柳はタバコの火を押し付けられた腕を冷水で冷やしてから、椿と人魚姫を探してこの部屋まで戻って来たのだった。

 ──椿同様、鬼の形相である柳を前に、男たちはまた唖然としている。


「柳さんまで?! どうかしましたか?!」


「黙れ!! 椿はどこだって聞いてんだ!!」


「すっすみませんでしたっ……」


 柳にも怒鳴り付けられ、ビビりまくる男たち……──


「『すみません』じゃねぇーよ!! 答えろ!! 椿はどこだ!!」


「椿さんなら、さっき部屋を出て行きました……」


「どこへ向かった!!」


「そこまでは分かりません。……」


 柳は不機嫌に舌を打ちながら、壁を殴った。


「あの椿ッ!! 俺から人魚姫を引ったくりやがった。何処へ連れて行きやがったんだ!!」


 〝へっ?!〟と、男たちは呆然とするしかなかった。


「どういう事ですか?! 総長! 人魚姫を手放したのではなかったんですか?!」


「椿さん……『許可取った』って言ってたじゃないですかぁーー~!? ……」


 部下たちの嘆きを聞き、だいたいの現状を理解した柳が、黙り込んだ。……──そうして次第に、柳からブラックオーラが漂い始める……柳は現在、かなり、機嫌が悪い。

 そして、柳の怒りのオーラに気が付いた男たちの顔が、サッと青ざめた。


「総長?! 俺らに非はありません! ……椿さんが『総長に許可を取った』って……」


「あ゛?……黙れ。ド阿呆共!? いきなり姫を手放す訳ねぇーだろうが?! 頭を使えやボンクラが!?」


「総長~?! 勘弁して下さいよぉ?!」


「勘弁なんて、誰がするか!? 覚悟しろクソ野郎共ー~~!!」


 ──そう、何だかんだと言って、最終的に柳が怒りの矛先を向けるのは、椿ではないのだ。とばっちりと言うのか、八つ当たりと言うのか……いつも身代わりに叱られるのは、紫王の男たちなのだろう。


 ──このあと柳の気が済むまで、この男たちは、散々に柳に追いかけ回され続ける事となる──


「椿ーー~~!! 覚えとけよ?! クソ女ぁ~~~ーー!!」


「総長ッ?! だからッッ!! 椿さんを追いかけ回して下さぁーー~~い!!」


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