【囚われ 2/2 ─ 北の右腕 ─】

 ──その頃、純とドールは、秋の色へと変わり、色づき始めた公園にいた。

 大きな湖がある自然公園だ。水面の上を、水鳥が泳いでいる。

 二人で秋色の並木道を歩いた。


「待ってよ純くん! ……」


「あ、悪い……」


 どうやら歩幅の違いで、ドールといくらか距離が出来ていたらしい。呼び止められ気が付いた純が、ドールへと向き直る。


「純くん速いよー! 置いて行かないで」


「悪かった。遅めに歩いていたつもりなんだけどよ」


「えー! 速いよぉ……──あっ! そうだ! ねぇねぇ、見て! 純くん!」


 『速い』と言ってプクッと頬を膨らませた後、ドールはすぐにヘラッと笑顔を作る。そうして、一つの“どんぐり”を純に見せた。


「……お前、そんなん拾ってるから、俺に置いていかれたんだろ?」


「えへへ♪」


 図星だったらしく、ドールが誤魔化すように笑った。


「あ! どんぐりまたあったー!」


 道の先に新たなどんぐりを見つけたドールが、走り出す。


「化粧して大人みてぇーなのに、やっぱり子供だな……」


「だって子供だもん♪」


「…………」


 純は言葉を詰まらせる。……──だがそうしていると、新たな何かに興味を引かれたように、ドールがクルッと方向を変えた。


「みずうみだぁー!」


「湖?」


 湖を見つけたドールが、湖の方へと走り出した。


「ドール、落ちるなよな?!」


 〝危なっかしいんだよ……〟と、純もドールを追って、湖へと向かった。


 ドールは湖の前で足を止める。

 ──そうしてドールは、湖に写った自分の顔を、じっと見ていた……――“水面に映る、女の顔”……──自分だと分かっている筈なのに、不思議な感覚になった。


 ──ドールはまだ、じっと湖に映った自分を見つめている……──


 ……その時、頭の中で“パチン”と、音がした気がした。それは自分にしか、聞こえない音……──

 ──ドールは目を見張る。瞬間、目の前が真っ暗になった――

 ──目の前が真っ暗になった替わりに、脳裏には、切り取られたかのようなシーンが浮かんだ……──

 ──そのシーンには、一人の男が映っていた。茶色い髪をした男……そのシーンでは、男は横を向いていた。顔は、よく見えない……――それが誰なのかは、分からなかった。

 ──ただ何故だか、不安な気持ちになった……

 ──一瞬にしてそのシーンも頭から消えて、その後はただ真っ暗な視界が、肉眼と脳内を支配した……――



――「危なっ?! お前ッ何してんだよ?! ……」



 ──後ろから声が聞こえて、意識が鮮明に戻るように、真っ暗だった視界が晴れた。


「あっ! 純くん!」


「『あ』じゃねぇーよ! バカか! 思いっ切り落ちかけてるじゃねーか?!」


「え?」


「「…………」」


 気が付くと、自分ドールの身体が、随分と傾いている。

 傾いていく身体を、純がギリギリで引き止めたらしく、二人はなんとも不安定な格好で止まっていた。


「『落ちるな』って言っただろうが……」


「おっ落ちてないよ……まだ……」


「バカ。俺がいなかったら落ちてんだろ」


 純が傾くドールの身体を、岸の方へ、強く引いた。


「あっ……ありがとう。純くん……」


「ヒヤヒヤさせるなよ……」


 さておき純は、ホッと胸を撫で下ろした。


「ごめん……ごめんね?」


「あ? ……別に、謝るなよ」


「だって……」


 ドールは不安そうな顔をしながら、純を見た。


 ──化粧で、大人びた顔。けれど化粧をしていても、可愛らしい顔立ちはそのままの面影を残している。

 こんな顔を見てしまうと、説教じみたことなど、言う気も失せる……それどころが、全く関係のない感情が込み上がってくる──


「気を付けろよな……」


 不安そうな表情をする目の前の女を、そっと抱き締めた。

 子供をあやすように抱き締めたのか、一人の異性を抱き締めたのか……自分の中に、妙な疑問が浮かんだ。

 そしてそれは、ドールも同じだった。先ほど水面に映る自分を見てから、頭の中にあのシーンが浮かんでから、変な違和感が自分の中に生まれていたのだ。

 ──〝抱き締められている〟……抱き締めてもらうことが、好きだった。落ち着く事が出来るし、安心出来るし、怖くなくなるからだ。

 けれど今は、そんな気持ちの中に、新たな感情が芽生えている気がした。

 何故だかドキドキが止まらなかった。さっきは真っ暗だったのに、今度は頭が真っ白になった──

 とにかく今は、とても嬉しくて、何故だか怖いくらい幸せな気分なのだ。

 ……──けれど変な違和感が、幸せな気分を少しだけ邪魔をする。何故だか、悪いことをしている気分に陥ったのだ……

 ──違和感を感じながら、それでも幸せを感じながら、不思議な時間が流れていく──


 公園の木々は、もうその身を秋の色に変え始めた。黄色、朱色、茶色、多様な色の葉が、地面を埋め尽くしている。

 二人はベンチに座りながら、穏やかな時間を過ごした。


「こんなに穏やかな時間を過ごすの、久しぶり」


 温かいココアの缶ジュースを飲みながら、ドールが嬉しそうに笑った。


「俺も久しぶりだ」


 嬉しそうに笑うドールの顔を見てから、純も答えた。 二人は目配せを交わす。ドールはまたニコッと笑った。


「向こうの組織で過ごす時間はね、なんだか安らがないの。どんなにゆっくりとした時間を作っても、その時間は、結局寂しいだけの時間になる」


 ドールが話し始めた心の内、その声に、純はそっと耳を傾ける。


「あそこにね、ドールの居場所なんてないの。自分があの場所にいる理由、どうしているのか、最近じゃ何も分からないよ……」


 あの場所に〝自分が存在する理由が分からない〟と言っているのか、それとも、〝どのような経緯で自分があの場所にいるのかを覚えていない〟と、そう言っているのか、それは詳しくは分からなかった。──けれど、どちらの意味もある気がした。


 パーティーの日、ドールは『忘れる筈のない人を忘れた』と、そう言っていた。

 ──それ自体は誰かに指摘されて気が付いたのだろう。そしてその経緯も得て、ドールは自分という人物を、自分で理解出来なくなったのかもしれない。

 考えを巡らし、混乱する頭で答えを求め、忘れているであろう人物を、必死に思い出そうとして……──結局思い出せなくて……答えを求める脳が、また、あらたな疑問に気が付かせてしまった。〝自分は何故、此処にいるのだろう? 〟と……──そしてそれは確かに、自分の一部の記憶が、“抜け落ちている”という証明になってしまった。


「居場所なんて、どこにあるのかな」


 まるで何とも思ってないような、ごく普通な口調で、ドールはそう言った。


「気にするなよ。俺にもそんなモノねぇーよ」


「同じだね」


 “居場所がない”と感じるのは、自分のせいだった。

 居場所がない訳じゃない。

 “ここが自分の居場所”だと、そう思う自信に欠けていた。


 すると得に取り乱したりもせず、落ち着いた様子で、純も自分の事を話し始める……


「もう何年前だろうな? 俺の親友、バイク事故で死んだんだ」


 ドールも取り乱したりせずに、自然な態度で話を聞いている。


「ソイツも俺と同じ、ブラック オーシャン。 ──俺と一緒に族やってたけど、本当は育ちの良い奴でよ……大病院の一人息子だった。──けど妙に気が合うことに、お互い気が付いて、初めは戸惑ったけど、結局仲良くなって、ソイツもブラック オーシャンになった」


「…………」


「……──完全に、俺がコッチの道に引き込んだんだろうな。 一緒に族やるのは愉しかったし、だからあの時は、“別にいいかな”って思ってた」


 ──そう話しながら、純は黒い瞳をドールへと向けた。何も映していないかのような、真っ黒な瞳を……──


「けど、死んだんだ」


──光のない瞳。それは、訳も分からずに喧嘩に荒れ狂う、その時の瞳と同じだった。


 その瞳から悲しみや後悔を感じ取り、静かに話を聞いていたドールの表情も、辛そうに歪んだ。


「意識不明の状態が丸一日続いて……大病院の息子だったから、その病院で、息、引き取った」


 話しながら、純の声が揺るえた……──


「……俺、病院に入ることも許されなかった。通夜にも葬式にも、参加させてもらえなかった。──雪の積もった葬式の日……家に入れてもらえなくて、玄関の前で、馬鹿みたいに……涙流しながら、手を合わせてた……」


 ドールの辛そうな表情は、直らないまま……──


「純くん……――」


 純がいつもドールにするように、ドールも、横からそっと、純のことを抱き締めた。──抱き締めた純の身体は、少しだけ震えてた。


「火葬場に行く時、玄関の扉が開いた……ソイツの名前を呼びながら、棺桶に駆け寄った。俺はソイツの父親に、すぐに棺桶から引き離させて……思い切り、殴られた」


「…………」


「その場にいる母親とか……とにかく、女が、嗚咽まじりの短い悲鳴を上げてた。 ……──父親の目、俺の存在を全否定するような目だった……『二度と息子の名前を呼ぶな』……――そう怒鳴られて、気が付いた時、馬乗りにされて、殴られてた。何の抵抗もせずに、殴られてた……『お前さえいなければ、息子は死ななかった』……『お前なんかと関わらなければ、こんな事にはならなかった』……父親の言ったて言葉が、頭に残ってる。──それで、母親が泣き崩れながら、俺を殴る父親を、止めようとしてた。結局、何人かの男が、怒り狂う父親を俺から引き剥がした。俺を殴り続けた“医者”の手は、傷だらけになってて……何事もなかったように、親族たちは火葬場に向かって行って……俺はしばらくそのまま、雪の上に落ちた、自分の血を眺めていた……――」


 ドールは純を抱き締める力を、キュッと強めた。


「純くん……もう、そんな悲しそうな目、しないで……ドールが……私が――……抱き締めるから……」


 そう言ってドールは、いつも純がしてくれているみたいに、純の体を抱き締め続けていた……──


 ドールは必死に、純を抱き締めている。けれど少しすると、ドールは純に頭を撫でられる。

 頭を撫でられてドールが顔を上げると、純の瞳は、いつも通りに戻っていた。


「どうしてお前が、そんなに辛そうにするんだよ? ありがとな……」


 けれどドールはまだ、必死に純を抱き締めている。“傷を癒すにはコレが一番利く”のだと言う事を、前に純が教えてくれたから……──


「だって純くんが……」


「……大丈夫だ。こんな暗い話して悪かった。……なんとなく、ドールには話しておきたかったから……」


 自分を抱き締めてくれる一人の女の事を、純も抱き締め返した……──

 すると気分を落ち着かせてから、純がある話を切り出す──


「そうだ、ドール。この間の話だけど……」


「この間?」


「あぁ。この間の話だ。 『テレビで可愛い動物が』……とか、この間、ドールが言ってただろ?」


「あー! あれね! 言ってたよ。お鼻とお鼻をチョンッ! てやって、スリスリするの! こみゅにけーしょんなんだって! コミュニケーション!」


「そのことで、お前に教えておいてやりたい事がある」


「ん? 何ぃ?」


「それは、あくまでも、その動物のコミュニケーションの手段であって、人間のコミュニケーションの取り方じゃない」


「…………?! ……」


「俺はあの時、お前にそんな鼻チョン……なんてしようとした訳じゃない」


「…………?! ……」


「何しようとしたのか、分かるか?」


「……えっと……」


「教えてやろうか?」


 何故か少し身構えながら、ドールが控えめに頷く。

 するとドールが頷いてすぐに、唇が重なった──

 ──一呼吸置いて、すぐに重なっていた唇が離れる。

 ……──ドールはこれまでにないくらいに、顔を赤く染めて、アワアワとしていた。


「じゅっ純くんッ?! ……何を……!? ―――」


「は? 何って ……分からなかったか?」


「わわわわわ……分からなくないもん! ……純くん! ドールをからかってるの? ……」


「からかってない」


「…………?! ……」


「──なぁ、ドール」


「……なっなに?! ……」


「“ディープキス”って、知ってるか?」


「?! ……しっ知らない ……」


「教えてやる――……」


 唇と唇が再び近づく──


「まっ待って……待って?! ……」


「……嫌か?」


「なっ何するの?」


「ディープキス」


「待って待って?! ……」


「嫌だったらすぐに止めるから」


 〝我慢も限界だっての──……〟

 ──少し強引に、口を犯した。

 だが、その時……──


「……んっっ……──っ?! ……!! ……」


 ──ゴチン!☆ ガリッッ!!


「っ?! ☆*#➰★?! ――――」


「はぅっ?! ずっ頭突きしちゃった……唇噛んじゃった?! ……じゅっ純くーー~~~ん!!? ……」


 ──*この日、ドールと無事に帰宅した純の唇には、くっきりと、歯形が残っていたんだとか……──



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 ──姉が姿を消した。


 ──妹は途方にくれた……


 悲しみは癒えなかった……


 また、海を見に来た……──


 そうして今日も、日が沈む……


 絵梨はフラリと立ち上がった。姉のいない家へ、帰る為に……──


 その時、一台の黒い車が、絵梨の前に停まった……――


 ──それは一瞬の事だった。ただ家へと帰ろうとしていただけの少女が、一瞬にして、姿を消した。


 人魚姫は、逆賊の手によって、囚われた……――


 ……──けれど人魚姫はこの事件によって、ある真実を……知る事となるのだ――……



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