麗しき女性監督「早乙女麗奈」

Wildvogel

第一話 早乙女麗奈

 「ありがとうございました」



 三月のある日、ドアベルの音とともに、一人の男性客がバーを出る。カウンターに立つ「Bar Saotome」の経営者でバーテンダー、早乙女麗奈さおとめれなはテーブルのグラスを下げ、洗い始める。


 水を止め、タオルでグラスの水気を拭き取り、棚へ。それから間もなくして、一人の男性客が来店。


 

 「いらっしゃい」



 麗奈の声に笑顔で頷き、彼女の正面の椅子へ腰掛ける男性客。彼はこの店の常連客だ。



 「いつもの」


 「ハイボールね」


 「ああ。頼むよ」



 麗奈は棚から取り出したグラスに氷を入れ、ハイボールを注ぎ、男性客へ。



 「ありがとう」



 男性客はお礼を伝え、グラスを右手に持ち、傾ける。


 氷がグラスを叩く音と同時に、BGMが切り替わる。


 男性客はグラスをゆっくりとテーブルへ。


 麗奈はカウンター内でフードメニューを調理。料理を器へ盛ると同時に、男性客からの視線に気付く。


 麗奈は彼からの視線で何かを察した。



 「何かあったんでしょ?」



 麗奈の問いに男性客は核心を突かれたように口元を僅かに緩める。



 「鋭いね、麗奈ちゃん」


 「和也かずやさん、分かりやすいから」



 男性客、城石和也しろいしかずやは口元を緩めたまま、目を閉じ、腕を組む。



 「今日はね、ちょっとした相談があってね…」


 「相談?どんな?」



 麗奈はカウンター内の椅子へ腰掛ける。同時に、和也は目を開ける。



 「こんなお願い、引き受けてくれないとは思っている。だけど、麗奈ちゃんしか頼める人がいないんだ」


 

 和也の言葉に思わず腕を組む麗奈。



 「俺が城学しろがくの男子サッカー部の監督をしてるのは知ってるよね?」


 「ええ。勿論」


 「実はね、最近体力的に辛くなってきてるんだ。顧問の先生にもそのことを伝えていてね。それで、今年度末に退任が決まった。だけど、次の監督が決まっていない。誰がいいか先生と話し合いを重ねる中で、ある人物の名前が出たんだ。その人物が」




 和也は再び口元を緩める。そして、視線を麗奈へ。



 「私…!?」



 麗奈のかすれたような声に小さく頷く和也。



 「ちょ、ちょっと待って。他に候補はいたんでしょ?」


 「まあね。だけどその人物は皆、県外。こっちに戻るのは厳しいだろう。だから、今こっちにいて、サッカー経験のある人物。早乙女麗奈ちゃんにオファーを出そうという話になった」



 麗奈は「まったくもう…」と言うように目を閉じる。


 

 「校長先生も承認済みだ。後は麗奈ちゃん返事を待つだけの状態なんだ」



 そう話し、再びグラスを右手に持つ和也。


 麗奈は氷がグラスを叩く音で目を開ける。



 「確かに、サッカー経験はあります。だけど、性別が違う。男性が女性チームの監督はよく聞きますけど、その逆はほぼないに等しい。私の言うことなんか聞いてくれないと思いますよ」


 

 和也はグラスをテーブルへ。



 「まあ、そう言うだろうと思っていた。全然驚いていない。でも、俺も先生も本気で麗奈ちゃんにお願いしたいと思っているんだ」



 麗奈は唸るように息をつくと、天井を見つめる。そして、何かを呟くように言葉を発することなく、口を動かす。


 再び唸るように息をつき、視線を和也へ。



 「お店のこともあるし…。今は回答できないな。ごめんね」


 「いや、いいんだ。こちらこそごめんな」



 和也は明るく振舞うと、グラスを傾ける。グラスはあっという間に氷だけに。



 「おかわり、もらえるか?」



 笑顔でグラスを軽く揺らす和也。


 麗奈は「はい」と応え、グラスを受け取る。そして、新しいグラスに氷を入れ、ハイボールを注ぐ。



 「ありがとう」



 テーブルに置かれたグラスを右手に持ち、傾ける和也。


 麗奈は美味しそうにハイボールを味わう和也を見つめ、心の中で謝罪の言葉を述べる。


 それからすぐに、氷がグラスを叩いた。



 

 午前三時過ぎ。営業が終了し、洗い物を進める麗奈。



 「監督か…」



 そう言葉を漏らすと、水を止め、グラスの水気を拭き取る。



 「でも、私の言うことなんか聞いてくれるはずがない」



 その言葉と同時に、グラスを棚へ。


 戸を閉めると、麗奈は天井を見つめる。



 「お店のこともあるし…」



 そう言葉を吐くと、麗奈は店内の照明を消した。




 翌日、午後七時過ぎ。麗奈の友人、福山澄玲ふくやますみれが来店。麗奈は澄玲と雑談。



 「へえ。やってみたらいいじゃん」


 「でも、女性が男子サッカー部の監督って」


 「そんなの関係ないよ。大事なのは選手をどう育てるか、どう起用するか。それじゃない?」


 「でもさ…」



 躊躇いの表情を浮かべる麗奈を見つめ、カクテルのグラスを傾ける澄玲。


 麗奈の表情は変わらないまま。


 しばらくし、グラスを置いた澄玲が麗奈に言う。



 「違った形にはなるけど、また全国を目指せるんだよ?悪い話じゃないと思うよ?」



 麗奈は言葉を発することなく、澄玲を見つめる。



 「受けるか受けないかは麗奈次第。お店一本でも、監督と掛け持ちでも私は応援するよ」



 そう言い残し、カクテルを味わう澄玲。そして、グラスが空に。


 

 「おかわり」


  

 笑顔の澄玲を見つめ、頷く麗奈。そして、空になったグラスを下げ、新しいグラスを取り出す。


 お酒をシェイカーへ。そして、振り始める。



 店内を包むシェイカーの音は何かのカウントダウンの開始を告げているようだった。

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