第37話

「あと、これも…」


そう言って、素早くペンを取り出すとサラサラと何かを書き出した。


「はい」


そう言って雑誌の上に乗せられたのは、小さな名刺だった。


「今度この近くで店をやることになったんだ。これは、俺の名刺…」


直純は軽くウインクすると、


「今度遊びにおいで」


そう言って、「またな」…と笑った。



直純と別れた後、冬樹はそのまま家へ帰ることにした。

再び、賑わっている繁華街を通り抜けていく。


(何だか、疲れたな…)


カツアゲの現場に首を突っ込んだのは自分だから、これは自業自得。仕方はないが…。


(まさか、直純先生に会うなんて…)


本当に驚きだった。


(この町に戻ってきた以上は、今日みたいなこともあるんだな…)


今更ながらに、改めてそれを実感する。

嬉しいような、気まずいような…複雑な気持ちだった。


(でも、昔のようには戻れないから…)


冬樹は人混みの中、一人ひっそりと溜息をついた。


ふと、先程渡された名刺が気になって、冬樹は歩きながらそれを手に取った。

どうやらお店の名刺らしい。

だが、一般のサラリーマンが持っている名刺のような硬いイメージとは違って、随分とお洒落なつくりになっている。


『Cafe & Bar ROCO』


(へぇ…カフェバー…?)


『master 中山直純』


(直純先生がマスターなんだ…?すごいな…)


心の内で感心しながら、ふと何気なく裏をめくると、裏にも店への簡単な地図などが書いてあった。

その余白には直筆で小さく何か文字が書いてある。


(そういえば、先生…さっき何か書いて…)


そう思い出したところで、冬樹は思わず足を止める。


『アルバイト大歓迎!』


そこには、そう書かれていたのだ。

冬樹は、手に丸めて持っていた求人雑誌に視線を移す。


(もしかして、オレがアルバイト探してるって気付いたから…?)


『またな』と笑った、先程の笑顔が浮かぶ。


(これって、社交辞令のようなものだよな…)


本気で雇う気は無いにしても、そんな小さな心配りに。

冬樹は、胸の奥が小さく痛むのだった。


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