第36話

「でも、さっきはびっくりしたぞ、冬樹…。お前が喧嘩してるなんてなぁ…」


そう言われて、冬樹はハッとした。


(いけない!!ダメだ、気を抜いてたら…)


素に戻ってしまっている自分に気が付き、内心慌てていつもの無表情の仮面を貼り付ける。

意図的に無表情を装っている訳ではないのだが、それは『冬樹』である為の夏樹なりの身の守り方だった。


(知ってる人なら、尚更だ…。油断するな)


他人を深入りさせない為の牽制けんせい

そして、自分自身へのいましめ。



突然、感情を隠すかのように表情を消した冬樹の様子の変化に、直純はすぐに気が付いた。だが、


「まぁ…そんなことはどうでもいいが…」


そう言って、変わらず笑顔を向けながら話題の切り替えを試みようとした、その時だった。


「あっいたいた!!中山さーんっ!!」


その大きな声に、言葉は遮られてしまった。


二人が声のする方を振り返ると、公園に面した通りから直純に向かって手を振る一人の中年男性がいた。

その男は、大げさな程に心底くたびれた顔をして、こちらに近付いて来た。


「もぉーっ!どこ行っちゃったかと思いましたよーっ。いきなりいなくなっちゃうんだからーッ」

「あぁ…ごめんごめんッ。忘れてた…」


直純は、頭を掻きながら苦笑いを浮かべている。

どうやら、直純の知り合いだったようだ。

二人が話を始めたので、冬樹は邪魔にならないようにこの場をそっと離れようとした。が…、


「冬樹」


それに気付いた直純が、冬樹の背に声を掛けてきた。


「もっとゆっくり話をしたかったんだが、約束があるんだ」

「………」


冬樹は、何も言わずに直純を振り返る。

目が合うと、


「また…今度な」


そう言って、優しい笑顔を向けてくる直純に。

冬樹が小さく頭を下げると、それを見て直純は笑みを深くした。


「あと、これ…。お前のだろ?」


さっき拾ってきた…そう言って渡されたのは、先程まで持っていた求人雑誌だった。


(あ…すっかり忘れてた…)


あの路地で落としていたものを、逃げる際に咄嗟に拾ってきたのだろうか?


(さすが直純先生…。すばやい…)


心底、感心してしまう冬樹だった。



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