第37話
「いいか。最初に喧嘩を売ってきたのはあいつだ。王族とはいえ、正当な理由なく他者を侮辱していいわけじゃない。……平民になった俺はともかく、貴族であるお前への暴言は咎められるべきものだ」
「……わたくしは、自分のことなどどうでもよかったのです。殿下が実際とは違って悪く言われていることが許せませんでした」
下がっていた眉に力が入り、一転して悔しそうな表情へと変わる。
それは普段明るく我が道を行くベアトリクスが初めて見せた苦しげな表情だった。ルシファーを見下ろす青い瞳が、水面のように揺れる。
「俺のことを心配してくれたのは嬉しいが、自分の命を大切にしてくれ。……ユリウスは冷酷な男だ。最後のあれは、本気でお前を斬る太刀筋だった」
子どもに言い聞かせるような口調に、彼女は口を尖らせる。
「暴漢に襲われて死ぬのは不本意ですけれど、大切な人の名誉を守って死ぬのであれば上等ですわ。誇りを失った生に何の意味があるというのでしょう」
「……お前は騎士か?」
貴族令嬢とは思えない台詞に、ルシファーは久しぶりにツッコミを入れる。
あんな性格で騎士団長を務めるユリウスより、よっぽど男らしくて清々しいことを言っている。まあ、ユリウスは清廉さではなく、冷酷残虐な面を買われて団長になった男であるが。
「とにかく」
そう言ってルシファーは立ち上がる。
「あいつのことだから、何らかの方法でお前を追い詰めてくるはずだ。プライドの高い男だから、恐らく自分自身では来ないだろう。身を守りつつ、今後のことを考えていこう」
「……承知しました」
ぽんと頭の上に乗せられた大きな手。
そのぬくもりが嬉しくて、まだ言いたいことがあったものの、ベアトリクスは口を閉じた。
◇
その晩、ルシファーは眠ることができなかった。
ベアトリクスが自分のために怒り、命を懸けてでも名誉を守ろうとしてくれたことに大きな喜びと感動を覚え、気持ちが昂っていたからだ。
ゴミだ、無能だ、必要ない。そう言われて生きてきた十八年。誰かに受け入れられることを諦めていたルシファーにとって、ベアトリクスの言動は信じられないものだった。
彼女がユリウス相手に行動を起こした時、反応できなかったのはそのためだ。自分のためにここまでしてくれたことが衝撃的過ぎたのである。
「それに――あの言葉。ベアトリクス嬢も、俺のことを良く思ってくれているのだろうか」
ユリウスが斬りかかる直前の言葉――『願わくば共に花を咲かせ、温かい陽だまりの中で生きていきたかった』という台詞を思い出して、ぼっと顔を赤くする。
掛け布団を抱き込み、ごろりと寝返りを打つ。
枕元にある時計を見ると、午前二時を指している。心臓がどきどきして、全く眠れる気配がない。かれこれ四時間はこうして布団の上を転げ回っているのだ。
再び寝返りを打ち、窓の外に目をやる。深い闇の中に、点々と白く輝く星が浮かび上がっていた。
――ふと、ユリウスとカロリナ嬢の会話を思い出す。
「落とし子か……」
落とし子とは、異世界からこの世界に「落ちてきた者」のことである。
どのような仕組みでやってくるのかは解明されておらず、そのタイミングであったり、どんな人物が来るかということも分からない。
しかし、過去の経験から確実に言えることが一つだけある。それは、落とし子たちは皆固有の能力を持っており、この国にとって利益をもたらす存在であるということだ。王城に保護され、手厚い待遇で過ごすという。
五十年ぶりのことだから、父王の治世では初めての落とし子だ。さぞ王城は盛り上がっていることだろう。
「ま、俺には関係のないことだ。勝手にやっててくれ」
そのうち歓迎のパレードでもやるんだろうか。そうなると、放られた紙吹雪や酒瓶でベアトリクス嬢のゴミ拾いが大変になるな。
そう思うルシファーだったが――なんとなく胸騒ぎを覚えた。
「いやいや。どんな奴であろうと問題ないし、俺には関係ない」
胸をよぎった一抹の不安を打ち消して、いい加減眠ろうと目を閉じる。
あと一時間後には起きて朝食の仕込みを行い、剣の鍛錬をしないといけない。
再び今日の幸せな思い出に想いを巡らせているうちに、ルシファーは温かいまどろみの中に落ちていったのだった。
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