第35話

ユリウスとて鍛え上げられた騎士だ。

 ハイキックをもろに食らうことはなかったが、ものすごいスピードで死角から飛んできたものだから、のけ反って避ける際にピンヒールの先で頬を切った。


 痛みを感じたところを抑えてみると、指に赤いものが付いた。


「……ほう」


 不敵に笑うユリウス。一方、彼の後ろにいるカロリナは口と腹を抑えて笑いをこらえるのに必死な様子である。そしてルシファーは表情を失い、石のように固くなっている。


 ベアトリクスは目を細めて優雅に微笑む。歪められた口元には、壮絶な色気が漂っていた。


「ユリウス殿下、ごめんあそばせ。少々聞き捨てならないお言葉がありましたものですから、勝手に体が動いてしまいましたわ。ああ、わたくしはベアトリクス・フォン・ブルグントと申します。しかしながら実家とはほぼ縁が切れておりますから、只今の責任はわたくし一人で負わせていただきたく」

「――ゴミ屋敷令嬢風情が。わたしに傷を付けるとは、どういうことか知らないようだな?」


 一気に殺気を膨らませるユリウス。ただでさえ窮屈そうな筋肉がぶわっと盛り上がり、騎士服のボタンが一つ二つ弾け飛び、ティーカップの中にぽちゃんと落下する。

 通常の令嬢であれば気を失うような恐ろしい圧力にも、ベアトリクスは一歩も引かない。好戦的な表情を浮かべて言い返す。


「もちろん不敬は承知しておりますわ。しかしながら、いくつか訂正させてくださいませ。わたくしの命と引き換えに」

「面白い。命と引き換えの意見か、言うてみよ」

「お、おい。お前ら何を言ってるんだ」


 ようやく我に返ったルシファーが慌てて彼女とユリウスの間に入る。

 ユリウスは狡猾で、残虐な男だ。自分に盾突く者であれば、女子どもであっても厳しい処分を下す奴である。本当に殺されてしまうかもしれない。


 しかしその肩を押し出して、ずいと前に出るベアトリクス。


「まずですね。ルシファー殿下はゴミではありません。あ、いえ、ゴミだと勘違いして拾いましたけれど、ゴミではありません」

「ややこしいな」


 思わずツッコミを入れるルシファー。しかし彼女は聞こえていないかのように続ける。


「ルシファー殿下はお優しくて聡明なお方ですわ。ゴミ屋敷令嬢となったわたくしを差別することなく、善き同居人として日々接してくださいます。少々ひねたところはありますが、性根は素敵な方なのですわ」


 凛とした態度で言い切るベアトリクス。

 しかしユリウスはにやりと面白そうに笑った。


「ルシファー。お前、ゴミ屋敷令嬢と共に住んでいるのか? 随分と落ちぶれたものだ。そこまでして王都に未練があるのだと思うと、なんだか追放したことが可哀想に思えてくるな」

「おい。俺のことはいいが、ベアトリクス嬢のことを悪く言うな」

「それと、居場所がないという件ですけれど。それも間違っております」


 まるっきりルシファーの言うことを無視してベアトリクスは続ける。

 青い瞳が爛々と輝き、まるでユリウスを見下すかのように目を細める。


「ルシファー殿下は有能です。剣と魔法に長け、国民のことを第一に考えていらっしゃる。仮の住まいとしてわたくしの屋敷で過ごされておりますけれど、どこに行ってもご活躍できるお人です。――そう気づけない王族方のほうが可哀想だと思いますわ」

「ちょっと、ベアトリクス様!」


 最後の一言に、ずっとニヤニヤしていたカロリナも口元に手を当てて顔色を悪くした。

 第三王子に怪我をさせたうえ、他の王族を含む不敬な発言。直ちに斬り捨てられてもおかしくないレベルである。


「カロリナ様、すみません。ご婚約者様のことを悪く言ってしまいました」

「そ、そんなこと……っ」


 気にしないでと言いたいのに、声が小さくしぼんでいく。

 カロリナとて馬鹿ではない。ユリウスの性格が悪いのは十分把握しているし、ルシファーが有能であることには気づいている。しかし立場上、ユリウス側に付かねばならないのだ。


 友の立場を十分に理解しているベアトリクスは、再びユリウスと対峙する。

 彼は額にぴくぴくと青筋を立てていた。そして腰にはいた大剣に手をかけながら唸った。


「言いたいことはそれだけか、ゴミ屋敷令嬢」

「すみません、最後にもう一つだけ」


 驚くほど冷静なベアトリクスはルシファーの方に向き直り、初めて目を合わせた。

 決意に満ちた青い瞳は凛々しく、はっとするほど美しい。


「殿下。わたくし、あなたと出会えてよかったですわ。ゴミ拾いの毎日に満足しておりましたけれど、それとは違う幸せや楽しさを、あなたが教えてくれました。……殿下はゴミなどではありません。この世に不要なものなどないのですから。わたくしにとって殿下は幸福の種のようなお人でした。願わくば共に花を咲かせ、温かい陽だまりの中で生きていきたかった」


 つうと一筋、彼女の白い頬に透明なものが伝う。

 可憐な笑顔にひどく似つかわしくないそれに、ルシファーの胸は締め付けられる。

 彼女はユリウスの方に向き直り、静かに目を閉じた。


 カロリナの甲高い悲鳴が響き渡る。

 ルシファーが何か言おうとする間もなく、大剣が振り下ろされた。

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