第13話

ベアトリクスが後片付けをしていると、聞き慣れた声がした。


「おう」

「殿下!」


 くるりと振り返って驚くその表情は、優雅な貴族令嬢そのものだ。つい今さっきまで見ていた鬼神はどこへ行ってしまったのだろうか。


「なんか、大変そうだったな」


 彼はそう言って、目の前に横たわるサイクロプスを憐みの目で見る。


「み、見てらしたんですか! すみません、お見苦しいものを……」

「助けに来たつもりが、必要なさそうだったから見学してた。……見事だった」

「い、いえ、そんな!」


 顔を赤くして可憐に恥じらう様子は、やっぱり先ほどと同一人物には見えない。


「戦いなんてどこで覚えたんだ? 貴族令嬢は剣なんて嗜まないだろう」


 グラディウス王国は剣と魔法の国。しかし血気盛んなのは男性だけで、女性は家にいるのが一般的だ。控えめでおっとりした性格が好まれるため、貴族令嬢は当然そのように育てられる。剣の代わりに針を持ち、刺繍などを学んで育つのが普通だ。


「実は、ゴミ拾いをしているうちに少々鍛えられまして」

「ゴミ拾いで、少々?」


 ベアトリクスの「少々」は程度がおかしいことをルシファーは学習している。しかし、ゴミ拾いと戦いのスキルが結びつかず、腕を組んで小首を傾ける。


 おもむろに、ベアトリクスはベージュ色のキュロットパンツの裾を持ち上げた。


「なっ! 何をしている!?」


 なるべく肌を見せないことが貴族女性の美徳だ。

 急に足をあらわにした行動に、ルシファーは顔を赤くする。


「ほら、ご覧になってください! 毎日ゴミを拾い続けましたので、足腰の筋肉が素晴らしく発達したのです!」

「はあ?」


 混じりっ気のない笑顔が眩しい。


 恐る恐る露出したふくらはぎに目をやると、そこにはしなやかで形のいい筋肉がついていた。

 男たちのごつごつした筋肉とは違い、白い足に可愛らしく飛び出た腓腹筋とヒラメ筋。彼女のすらりとした白い足が、一層美しく感じられた。

 筋肉にトラウマのあるルシファーだが、彼女の健康的な筋肉は不思議と嫌な気持ちにならなかった。


 にこにこしながらベアトリクスは続ける。


「腰回りも、いい具合に引き締まっておりますの。同居のよしみで特別にお見せいたしましょうか?」

「いやいい」


 食い気味に返事をするルシファー。


「あら、そうですか。――それでですね、剣の扱い方は騎士をしております父と兄の鍛錬の様子を思い出しました。この森にゴミ拾いに来るようになってからは魔物と遭遇することも多いので、あとは実践で経験を積みました。もちろん、敵わない相手と遭遇した時は、戦わずに全力で逃げますが」

「な、なるほど……?」


 なんだか、当然のように語っているが。貴族令嬢が見よう見まねで短刀を振り回し、A級冒険者がクエストを受けるようなレベルの魔物を倒すなんて、とんでもない話だ。

 ゴミ拾いが鍛錬になっているなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。この女は、いつも想像の斜め上を超えていく。


 周囲を振り回し、放漫だ、どら息子だと言われていたルシファーが、今や一人の令嬢に圧倒されていた。


 どっと疲れを感じた彼は、もう帰ることにした。


「俺、帰るわ」

「承知いたしました。わたくしはここを片付けてから帰ります。お気をつけて」


 いまだ顔を赤くして恥ずかしそうなベアトリクス。戦う姿を見られたことが、そんなに気になるのだろうか。筋肉自慢のときは嬉々としていたのに、女心は分からない。


 いや、目の前の令嬢が特殊すぎるだけか。

 彼女と出会ってから、常識とはなんだったかと、自問自答することが増えた気がする。


「……お前もな」


 そう言って、裸のルシファーは再び鷹に変化し、ゴミ屋敷を目指して飛び立ったのだった。

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