第10話

しばらく留守番していたルシファーだったが、こういう時に限って来客はない。というか、来客側もベアトリクスは食事どきと夜しか家にいないことを知っているので、午後のこの時間には来ないのだ。

 持て余したルシファーは、街へ出かけることにした。


 犬の姿に化けて、ゴミ屋敷を出発する。


『街に出るのは、あの日以来か……』


 城を放り出されて、当てもなくさまよっていた時以来だ。

 あれから何となく気分が乗らなくて外には出てこなかった。しかし、安定した生活を手に入れたことで、城ではない外の世界に興味が湧いてきたのだった。


『せいぜい王都しか出かけてこなかったからな。平民街を探検してみるか』


 王子として育てられた彼は、庶民の暮らしがどんなものか気になった。とっとこ足を走らせて、平民街に入っていく。


 綺麗に区画分けされた貴族街と違って、平民街は雑多に建物が立ち並んでいた。美しく整えられた貴族の庭のかわりに、軒先には洗濯物が干され、シャツ一枚の子ども達が座り込んで地面に落書きをしている。

 大通りに出ると、冒険者の格好をした屈強な男たちが行きかい、活気にあふれていた。


『ちっ、どいつもこいつもムキムキじゃねえか。…………でも、なんだか楽しそうだ』


 素直にそう思った。

 民の表情は明るくて、生き生きしている。


 ルシファーは、兄王子たちから「お前は目が死んでいる」とよく言われていたことを思い出していた。そうなったのは、いつからだっただろうか。


 ゴミ一つない清潔な地面に座り込み、彼は人々を眺め続けた。


 ◇


 ぽかぽか陽気にあてられて、うとうとしていたらしい。

 周囲が騒がしくなったことで、彼は目を覚ました。


『なんだ? 騒々しい』


 起き上がり、身体を震わせて砂を払う。

 周囲を見回すと、大通り沿いのとある建物に男たちがばたばたと駆けこんでいく様子が目に入った。建物には「冒険者ギルド」と看板が出ている。


 近づいてみると、中から男の野太い声が聞こえた。


「西の森でサイクロプスが出た! 木こりの小屋が襲われたらしい! 今すぐクエストに出れる奴はいねえか!?」


 サイクロプスか。

 大きな一つ目を持つ巨人で、人間を食らう獰猛な魔物だ。

 弱くはないが、歯が立たない相手でもない。腕のいい冒険者が討伐に出れば問題なく始末できるだろう。まあ、西の森の木こりは不運だったが――


『……西の森』


 最近、その言葉を聞いたような気がする。はて何だったかと、ルシファーは首をかしげる。

 そして、はっと思い出した。


「今日はこれから西の森に行くのです。街のゴミを拾いつくしたので、少々足を伸ばしてみようかと」


 確か、ベアトリクスはそう言っていた。


『っ、ちくしょう! あんな令嬢、格好の餌食じゃねえか!』


 柔らかい女の肉なんて、魔物の大好物だ。

 今から冒険者が向かっても間に合うかどうか分からない。今この瞬間にも、ベアトリクスは危機に直面しているかもしれない。


 そう思ったら、身体が勝手に動いていた。

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