第6話

どうにかドア前のゴミを退け、室内に入ることに成功したルシファー。しかし積み重なった疲労には勝つことができず、不本意ながらゴミを布団にして一夜を過ごした。


 早朝に何やらベアトリクスが外に出ていく音が聞こえたが、そのまま二度寝を決め込み、昼前にすっきりとした気分で目が覚めた。

 しかし、周囲に積みあがるゴミを目にして、一気に気分は沈む。


「今日こそ俺はやるぞ! ここを人間の住む空間にしてみせる!」


 部屋に積みあがる大量のゴミ。問題は、どうやって綺麗にするかだ。

 炎魔法で消炭にするか? 風魔法で粉々に切り裂くか? ――少し派手だろうか。ゴミにまみれたこの空間で使うには、あまり向いていない気がする。


「そうだ! 転移魔法を使うか。くくっ、父上と兄貴たちの部屋に飛ばしてやろう。驚くだろうな」


 自分を追い出した父王と、それを止めなかった兄王子たち。ルシファーは彼らに一矢報いたいと思っていた。

 我ながらいい案を思いついたとばかりに、にやりと笑うルシファー。紫色の瞳がアメシストのようにきらきらと輝く。


「נווד בזמן-מרחב」


 その声に呼応するように、かざした手の前に魔法陣が現れる。

 そして左手の指をパチンと弾く。すると、部屋に積みあがったゴミが、ぐんぐんと魔法陣に吸い込まれていく。


「ははははは! 行け行け! 俺を馬鹿にしたことを後悔するがいい!」


 つむじ風がルシファーの黒い髪を舞い上げ、ローブをはためかせる。


 魔法陣はすさまじい吸引力でゴミを吸い込んでいく。

 今頃王城の王と兄たちの部屋は、ゴミが滝のように流れ込み、大騒ぎになっているだろう。慌てふためく彼らの様子を想像すると、楽しくて仕方がなかった。


 一切の明かりが入らず、隙間なく積みあがっていたゴミが、三十秒ほどで半分に減る。

 数年ぶりに窓が窓としての機能を取り戻し、元々この部屋にあったであろう調度品が姿を見せた。


「……これはゴミじゃないからな。残しておくか」


 かつてベアトリクスが使っていたであろう、ベッドや収納家具。

 数年間にわたってゴミに埋もれていたせいか、黒ずみがひどい。しかし、洗浄魔法をかければ大丈夫だろう。ベアトリクスが不要と言うのなら、またそのとき考えればいい。


 元々あった調度品を残して、すべてのゴミが姿を消した。


「――よし。こんなもんか。次は洗浄魔法だな。ניקיון הוא צדק」


 魔法陣を収束させて、新たな呪文を口にする。

 どこからともなく大量の水が発生し、壁から床へと部屋を縦横無尽に駆け巡る。その通り道は黒ずみが消え、まるで別物かのように光り輝いている。


「久しぶりに魔法を使ったが、感覚は覚えているな。魔力のコントロールも問題ない」


 腕を組み、洗浄魔法が部屋を綺麗にしていく様子を眺める。

 一通り綺麗になったら今度は風魔法を発動して、水気を飛ばしていく。

 一連の流れを、付属している浴室と衣装室でも行った。


「――よし。これでいいだろう。見違えるほど綺麗になった」


 なんということでしょう。屋敷の最上階に位置するこの部屋には心地よい午後の日差しがさしこみ、十分な明るさがあります。真っ黒だった敷物は白くてふわふわの質感を取り戻し、思わず寝そべりたくなるよう。

 そして伯爵令嬢にふさわしい、豪華な調度品の数々。上質な寝具は快適な睡眠をお約束します。


 ――なんていう天の声が聞こえるくらい、ルシファーは自分の仕事に満足していた。

 もちろん一歩部屋を出ればゴミの山なのだが、自分の空間が心地よくなっただけで幸せだった。


「令嬢の部屋に住むなんて、なんだか変な気分だな。兄貴たちの筋肉部屋とは大違いだ」


 女姉妹がおらず、十八になるというのに面倒だという理由で令嬢との付き合いをしてこなかったルシファーは、初めて見る女性の部屋に物珍しさを感じた。

 兄王子たちの部屋にあった金属の鍛錬器具などなく、肉肉しい男性がポーズを決めているポスターもない。


 近くにある、猫足のついた白い引き出しに近づく。


「令嬢ってのは、どんなもんを持ってるんだ?」


 金色のノブをつまみ、手前に引く。中には、白い布のようなものがぎっしりと詰まっていた。


「中まで綺麗にできたのか。さすが俺だな。これはハンカチか?」


 冷静に考えれば、令嬢の私室にある引き出しを勝手に開けるなどマナー違反だ。しかし、一仕事を終えたルシファーは高揚しており、気持ちが浮ついていたのである。

 にこにこしながら白いものを一つ取り出す。手のひらでそれを広げて、彼は硬直した。


「こ、これは……!!」


 ブラジャーってやつじゃあないか?? 閨の教本でしか見たことないけど。これ本物??

 一気に顔が真っ赤になる。乱雑にそれを畳み、すごい勢いで引き出しに戻す。


「俺は何も見ていない! 見てないからな! ええい、この引き出しがこんなところにあるからいけないんだ! נווד בזמן-מרחב!」


 右手で熱が集まる顔を抑えたまま、左手で魔法陣を発動する。

 下着が詰まった引き出しは魔法陣に呑まれ、どこかへ消えていった。


 ぐったりと膝をつくルシファー。

 今のことは忘れよう。自分は何も見ていない。彼は顔を真っ赤にしながら、必死にそう言い聞かせたのだった。

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