第3話

麻袋から出てきたものを見て、ベアトリクスは絶句していた。

 黒い髪に、同じく黒い特徴的なローブ。身長は高いと聞いていたけれど、やせ細った体のせいか、折りたたまれるとすごく小さく見えた。


「る、ルシファー王子殿下……?」


 疑問形になったものの、ベアトリクスはその正体をほとんど確信していた。

 なぜならルシファーこそ、ベアトリクスに「何でも拾ってきてしまう」呪いをかけた張本人。拾ってきた新聞に彼の絵姿が載っていれば切り抜き、ゴミに溢れた部屋の壁のわずかな隙間に貼って眺めているぐらいなのだから。


「もしもし、殿下!? どうなさいましたか? 大丈夫ですか?」


 顔を耳に近づけて叫ぶと、わずかに瞼が反応する。そして、引き結ばれた形の良い唇が動いた。


「め……飯……」

「ごはんですね! 分かりました。少々お待ちくださいませ!」


 昼食用に作り置きしているパンとスープ、チーズを取りに、ゴミをかき分けて厨房へ急ぐベアトリクス。この屋敷で働きたいというメイドはいないため、彼女は身の回りのことは一人でできるようになっていた。

 なお、厨房は引火したら危ないという理由から、屋敷内で唯一ゴミが積まれていない部屋だ。


「お待たせしました! 王子殿下には質素すぎるかと思いますが、今我が家にはこれしかないのでお許しくださいませ」


 パンを口元に持っていくが、目をつぶってぐったりしているルシファーは、自分で食べることができないようだった。

 仕方がないのでベアトリクスはパンをちぎり、ルシファーの口に押し込む。そして鼻の下と顎を持って上下に動かし、しっかりと咀嚼させる。水分も足りていないだろうからと、口からこぼれるくらいスープを流し込み、むせるルシファーを見てああ熱かったかしらと慌てて顔に水を浴びせた。


「――おい! 何してんだ! 死ぬぞ!!」


 ぐったりしていたのが嘘のように、勢いよく跳ね起きるルシファー。端正な顔から水が滴り落ちる。


「あら、殿下。ごきげんよう。すみません、少々やらかしました」

「少々!? 喉に何か詰まったと思ったら、いきなり熱いもんぶち込みやがって。おまけに水を浴びせたのに、少々っていうのはおかしいだろ」


 苦い顔をしたルシファーは、自分の喉に手を当てる。

 すると彼のしなやかな手から淡い光が広がり、喉に吸い込まれていった。


「治癒魔法、ですか」

「ああ。絶対火傷してるから」


 治癒魔法はとても高度な魔法だ。国一番と言われる魔法の使い手ルシファー王子だからこそできる芸当に、ベアトリクスは目を奪われる。


「それで、お前は誰だ? 俺はどうしてここに……」


 手当てを終えたルシファーが、周囲に目をやる。

 そして、ぎょっとした表情を浮かべる。


「え……? なんだよ、ここ……」

「あの。わたくしの屋敷でございます。少々散らかっておりますが」

「し、少々じゃねえだろ、これ!」


 恐らく玄関ホールであっただろう、広い場所。高い天井を生かした開放的な空間を生かして、うず高くゴミ袋が積み上げられている。ゴミ袋の間から飛び出しているのは、拾ってきた椅子の足であるとか、壊れた剣の鞘だ。

 光が入らないため薄暗い。積みあがるゴミ袋はおどろおどろしく、魔物のようにも見えた。


 この世の終わりのような顔をしたルシファーは、がたがたと震えだす。


「き、汚い……。何なんだよ一体……。お、俺、もう帰るわ。じゃあな」


 よろりと立ち上がるルシファー。力の抜けた身体で歩き出すが、ゴミ袋につまずいて無様に転んだ。


「って……。ちくしょう、出口はどこだ!?」

「あの、僭越ながらルシファー殿下」

「ひいっ!?」


 倒れ込むルシファーの横に、ゆらりと近寄るベアトリクス。

 その顔は満面の笑みを浮かべていて、彼の恐怖心を増幅させた。


「お、おまっ! どうして俺の名前を……!?」

「もちろん覚えておりますよ。わたくしにこんな素敵な呪いをかけてくださったんですもの。その節は、本当にありがとうございました」


 貴族らしい生活が肌に合わなかったベアトリクス。こうして自由気ままに暮らせるようになったきっかけを作ってくれたルシファーに、いつかお礼を言いたいと思っていた。

 しかし、彼女の行動は、彼に違う意味で捉えられてしまったらしい。


「あっ、あのときの令嬢か! お、脅しか!? くそ、何が目的だ。俺を監禁して、金をもらおうとでも思っているのか!?」


 倒れ込んだ状態で後ずさるルシファー。背中がゴミの山にぶつかり、ドサドサッと音を立ててゴミ袋が彼の上に落ちてくる。袋の間から顔だけが出ているという、おかしな状態になった。

 だがベアトリクスは至って真面目に続ける。


「とんでもございません。ただわたくしは心配なのです。――ルシファー殿下は、勘当されたと聞き及んでおります。本当は、お帰りになる場所なんてないんでしょう?」

「……っ!」


 ルシファーの紫色の瞳が、大きく見開かれる。

 かぜなら、ベアトリクスの言ったことは、まぎれもない真実だったから。

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