第41話

「こちらこそ大声を出してすみません。……危ないとは、どういうことでしょうか?」


 つい大声が出てしまったことを謝り、事情を受付嬢に尋ねる。

 彼女は特に気分を害した様子も無く、丁寧に事情を教えてくれた。


「今、ここオムニバランでは疫病が流行っているのです。領主様の命により、疫病の拡大を防ぐために、宿屋だけではなく食堂や小売店なども全て営業を一時停止しております。……そして、実は明日街門が封鎖される予定になっております。だから、王都へ向かうセーナさんが今日ここに来られたという意味では幸運だったと思いますが……」


 最短で王都へ向かうためには、ここオムニバランを通過しないといけない。

 もし一日でも到着が遅かったら、ここで足止めを食らうか、あるいは迂回路を通ることになっていた。どちらにせよデル様の討伐開始には間に合わないところだったのだ。受付嬢の言う通り、不幸中の幸いだった。


 気になるのは、「疫病」というワードの方だ。


(アピスでも流行病が出てるってマスターが言ってたわ。もしかして、同じものなのかしら?)


 隣街どうしであるから、人の行き来は当然あるだろう。ここオムニバランの方が程度がひどいということは、もっと王都よりの都市から広がっているのだろうか。あるいは、このあたりは国境に近い都市でもあるので、隣国からという可能性も考えられる。

 とにかく、街が一つ封鎖になるなんて相当まずい状況なのではないだろうか。政治のことはよくわからないけれど、仕事ができないイコール収入が得られないということだ。疫病が広がり、収入もない。そんな状況で街の皆さんが暮らしていると思うと、さぞかし不安だろうなと心が痛くなった。


「――だから、申し訳ないのですが街の中では泊まれないのです。宿屋がやっておりませんので。他の街に移動して泊まるか、街門の外でよければ野営していただくことは可能です」


 うーんと腕を組んで、どうしようかと考える。

 アピスも一つ先のゾフィーもそこそこ距離があるので、そこまで行くのは現実的ではない。馬も御者も1日働き通しだから、休ませる必要もある。


「――では、門の外で野営することにします。すみませんが、テントや毛布などを貸してしていただくことは可能ですか?」

「もちろんです。後方の扉にさまざまな物資が入っておりますので、ご自由にお使いください。領主様からのお心遣いですので、料金はかかりません」


 受付嬢が指差す先の扉を開けると、薄暗い倉庫のような部屋だった。

 折りたたんだテントのようなものや、薪、銅製の小さな鍋、毛布、水筒、干物等の保存食などが、きちんと分類されて置かれていた。


 それらを見てまず湧いてきた感情は、オムニバランの領主様は素晴らしいなという気持ちだ。災害時の備えとしては完璧なのではないだろうか。しかも、これらは全て無料である。この非常時に、よその街から来る者に対する気配りまで忘れないとは大したものだ。

 異世界には素晴らしい指導者がいるのだなあと感心したところで、ふとその頂点にいるのがデル様であることを思い出す。


(ひょっとして、デル様がこのような備えを指示していたのかしら? ……あり得るわね。だって、デル様は本当にお優しくて賢い方だもの。戦争も体験しているから、非常時の大変さは身を持って知ってらっしゃるだろうし)


 なんて素晴らしい国だろうか。

 日本と比べて工業や医療などの発展は遅れているけれど、この国は日本よりよほど豊かだと思った。「助け合い」の精神が隅々まで行き届いていることを、今身を以て感じた。デル様は、本気でこの国を良くしようとしている。いつもどこか飄々としていて、余裕あふれるデル様だけれど、その中身は国民第1の熱い心を持つ国王様だ。


 しみじみとデル様のありがたみを感じながら、野営に必要そうな物品を頂戴していく。

 受付嬢の手馴れた案内から察するに、他にも野営している人がいるのだろう。ポツンと野営するのは少し心配だったので、仲間がいると思うと緊張が和らいだ。


(あっ、そういえば御者くんはどうするのかな?)


 彼とは毎回街に入ると別行動をしている。出発時刻を決めて待ち合わせているのだが、今回は一緒に野営することになるのだろうか? 気になるけれど、オムニバランに入ってもう別れてしまった以上、彼と連絡をとる手段がない。


 まあ彼も大人だし何とかするだろう、と私は自分のぶんの物資だけ持って野営場所へ向かった。


 ――――人生初の野営は色々な収穫があった。


 街門の外側は、手入れのされていない草原みたいなところだった。ポツポツとテントが張られており、予想通り他にも野営している人がいた。

 クロスをひいて談笑している、優しそうな老夫婦の隣をキャンプ地とすることにした。やはり防犯面は気になるので、少しでも安全そうな人たちの近くが安心だ。

 夕焼けが草原を赤く染め上げるなか、テントを張った。テントのつくりは複雑ではなく、野営初体験の私でも困ることなく組み立てることができた。


 テントを張り、荷物を整え終わると、もう辺りは暗くなっていた。ホーホーと梟のような鳴き声が草原に響き渡る。 

 申し訳程度にテントの戸締りをし、ランタンに火を入れる。ふうと一息ついて、とりあえず食事にすることにした。今から火をおこして調理するのが面倒だったので、今夜はもらった干物と持参した携行食でしのぐことにする。


 袋から出した干物は、踏みつぶされたカエルのような姿かたちだった。トロピカリでは見たことがない食材だ。

 カエルはあまり食べたことがないなあと心躍らせながら、さっそく歯を立てる。


(――うん、いけるわね。例えるなら何かしら、この味は? ……ああ、あれに似てるわね。牡蠣の味だわ)


 濃ゆい、独特のお出汁のような味がする。干物になると旨味が凝縮されるというので、このカエルも旨味120%くらいになっているのだろう。悪くない。むしろ、美味しい部類じゃあないだろうか。もし家の近くにこの牡蠣ガエルが住んでいるなら、捕まえて普段の食卓に並べたいぐらいだ。オムニバランは食も素晴らしい土地だとは、これは一本取られたという気持ちになる。疫病が解決した暁には、暇そうなライでも誘って普通に観光をしに来たい。


(――疫病ねぇ……)


 不穏なワードを思い出してしまった。

 むしゃむしゃ干物を咀嚼しながら、状況を振り返ってみる。


 総合案内所は街門に近いところにあったから、街全体の様子が掴めたわけではない。

 しかし、受付嬢から話を聞いたあと、野営地に向かうまで少しばかり街を観察してみると、やはり異常だった。

 まだ明るいのに目に入る店は全て閉じていたし、人通りはほとんど無かった。たまたま通りかかった住民らしき男性は、私を見るなり一目散に駆けて行った。病気の感染を恐れていたのだろうか。あやしく静まり返った街の様子に、何とも言えない緊張感が湧いてきた。


(気になるけど、迂闊に病院に行ったら、自分まで感染するかもしれないし……)


 これだけ大規模に患者が発生しているのだから、なんらかの感染症ではないかと予測する。あるいは、公害病という線もあるなと思う。なんらかの健康を害する物質が生活水に混じっていて、それを飲んだ住民たちが病気になっているとかだ。

 もし感染症だった場合は、気を付けなければいけない。私が感染したらデル様のもとへ行けなくなってしまう。薬剤師兼研究者としてこの一連の疫病はすごく気になるけれど、まず優先するべきことは、一刻も早くデル様に討伐計画を報告することだ。そこを間違ってはいけない。デル様がもし討伐されるようなことがあっては、疫病の対応を指揮する人もいなくなってしまう。


 デル様はもう疫病の報告を受けているだろうか? 私が道中見てきた状況も併せて報告した方がいいかもしれない。

 もろもろ無事に済んだら、王都からの帰り道で病院に寄ってみよう。なにか役に立てることがあるかもしれない。


 ――結構空腹だったのか、あっという間に干物と携行食は無くなった。手と服についたカスを払い落とす。

 水筒から一口水を飲んで口を潤し、旅行カバンを枕にしてゴロンと横になる。なんやかんやと今日は疲れたなあと、ひとつ大きなあくびをする。


 ――――テントの天井を見上げると、大きな蜘蛛が張り付いていた。


 ランタンの灯りに浮かび上がるそれは、胴体が小さく、足が異常に長かった。

 ――図鑑で見たことのない種類だ。ブラストマイセス固有種に違いない。であれば、とる行動は一つだ。


「…………」


 むくっと体を起こし、ごそごそと腰元から毒団子を取り出す。

 団子を1つ地面に置き、落ちていた棒を拾って、蜘蛛をつついてけしかける。


 滑らかな動きで蜘蛛は天井を移動し、地面に下りる。

 目の前にある毒団子を一口かじったかどうかは見えないが――――コロリとひっくり返って動かなくなった。


「…………」


 ふさふさ毛の生えた珍妙な蜘蛛だ。これはいいものをゲットしたぞと頬が緩む。

 動かなくなった蜘蛛を棒でつついて、余っている布袋に押し込む。

 荷物につぶされないよう、タオルで優しくくるんでから旅行カバンに収納した。


 こういうこともあろうかと、解剖セットとスケッチブックは常に持ち歩いている。これらは命の次に大切なものと言ってもいいかもしれない。旅の間のいい暇つぶしが確保できた。


「ふぅ~」


 気を取り直して、再びゴロリと横になる。

 今度こそ寝るぞと思って、毛布を鼻の下まで引き上げる。


(……デル様はお元気かしら)


 ふと彼の顔が脳裏に浮かんだ。

 艶やかな黒髪、星空の瞳、無表情だけど時折浮かべるイタズラっぽい顔、意外なほどに温かかった体温……。

 存外すらすらと彼のことが思い浮かぶ。と同時に、なぜだか顔が熱くなってきた。

 何となく居心地が悪くなり、ゴロリと寝返りを打つ。


「…………会いたい、なぁ」


(昨夜マスターと楽しく騒ぎすぎたせいかしら。なんだか1人が寂しいわ)


 たぶんマスターのせいではないと気が付きつつも、これがどういう感情なのか自分でも分からなかった。本はたくさん読んできたけれど、私はまだまだ知らないことがたくさんあるなあと思う。死ぬまでに、その全てを私は知ることができるだろうか。


 ……ああ、人生とはあまりに短い。この世の全て、未知なるもの全てを解き明かすことが、私の生きる意味なのに。

 薬剤師になったのだって、突き詰めればそういうことだ。大切な人が病気で苦しんでいては、私の未知なるものの研究に差し障りがある。みんなが笑顔で健康でないと、安心して取り組めないではないか。

 医療者というと耳触りがいいけれど、結局のところ私は自分のことしか考えていないのだ。ひどい人間だなあと思う。



 彼に会える王都まではあと4日だ。長いな、まだ半分かぁ、…………

 

 そんなことを考えているうちに、私は夢の世界へおちて行った。


【後書き】

ちなみに、蜘蛛(オニグモ)は生薬として用いられることがあります。

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