第40話
私が初めて王都アナモーラに行くと知ったマスターは、様々なことを教えてくれた。
「南門すぐ横の食堂はとっても美味しいのよ。特に客の目の前で捌く海蛇の刺身がおすすめよ」
「
「あとは、何と言っても騎士団のみなさまね!王都の警備を担当する第1騎士団って、イケメン揃いの騎士団のなかでも別格なの! 強い上に顔までいいなんて、最高すぎないかしら? はあ、王都の住民が羨ましいわ……私もイケメンに守られたい……」
頬にごつい手を当てて、悩ましげな表情をするマスター。
マスターも十分強そうな筋肉を持っていると思うけど、自衛には使えないのだろうか。突っ込み待ちなのかそうでないのか分かりかねたので、私ははははと曖昧な笑みを返した。
「……中央市場はとても興味があります。トロピカリにない素材などがあれば買って帰りたいですね」
「トロピカリは農業都市だからね。国全体から見たら田舎だし、手に入るものは限られていると思うわ」
「確かに田舎ですね。人間より動物のほうが多い気がします。……家から市場に行くときに牧場の横を通るんですけど、あまりに景色が変わらなすぎて、歩きながら寝そうになっちゃうこともあります」
「あはは、セーナちゃんたら! あなた面白いこと言うのね!」
大きな口を開けて、豪快に笑うマスター。
大ウケするようなエピソードではなかったと思うけど、こうやって笑ってもらえると心地よい気持ちになる。さすがバーを経営しているとあって、お客さんとの会話スキルが高いなあと変に感心してしまう。
その後も、あれやこれやと王都のお得情報を教えてくれたマスターであった。
◇
「――――でね、仲良くなったセーナちゃんに、ちょっとお願いがあるんだけど」
「何でしょうか? 私にできることならいいのですが……」
果たして今は何時になっただろうか。
賑やかな話がひと段落したところで、マスターが少しだけ真剣な表情で切り出してきた。その表情の変化に、自然と背筋が伸びる。
「王都に行く途中にゾフィーっていう街があるんだけど、そこに住んでる知り合いに手紙を渡してもらえない? お礼は、そうね、今日のお代は無料ってことでどう?」
「ああ、それぐらいならお安い御用ですよ! って、私かなりお酒飲んでますし、駄賃にしては多すぎるぐらいですけど……」
アピスオリジナルカクテルが美味しすぎて、あれもこれもと頼んでいるうちにもう10杯は飲んでしまっている。日常的に
「いいのいいの、気持ちのいい飲みっぷりでアタシも楽しかったから。……本当は郵便ギルドに頼めばいいんだけれど、最近便が減っちゃってね。手紙1通のために馬車を借り上げると高くつくし、どうしたものかと困っていたのよ。引き受けてくれて助かるわ。――じゃ、これが手紙ね。あて先はゾフィー東部の診療所よ」
郵便馬車とは、名前の通り郵便物を運ぶ馬車のことだ。
手紙や荷物を送りたいときは、『郵便ギルド』にそれを持っていくと、代金と引き換えに運搬してくれる。各領地によると思うけれど、トロピカリでは1日1本、反時計回りに国をまわる郵便馬車が出ていたはずだ。トロピカリより栄えているアピスで便が減るというのは、いったいどういうことなのだろうか。
差し出された封筒を受けとりながら、マスターに返事をする。
「便が減ってしまうと困りますね。あて先は、ゾフィーの診療所……ですか?」
「そう、昔の常連さんがそこに勤めているの。――実は今、アピスでの一部で流行病が出ていてね。こっちの医者もお手上げだから、1回診に来てもらえないかと思って。郵便馬車が減ったのも、その流行病で職員の数が減ったからなのよ」
「流行病!? それ、大丈夫なんですか?」
「幸いこの店のあたりではまだ病人は出ていないんだけどね。聞いた話よると、高熱やら蕁麻疹が出たりするみたいなの。風邪にしては治りが遅いし、若いのに亡くなる人もいて、恐らくなにか新しい流行病なんじゃないかって話よ。病人は街外れの病院に隔離していて、健康な人との接触はないようになっているわ」
「そうなんですか……。それは心配ですね。早いこと原因を明らかにして、解決させたいですよね。分かりました、手紙は必ず届けます。それで、あの――実は私、薬師をしてるんです。王都での用事が終わったら帰りここにまた寄ります。病院で力になれることがあれば、ぜひ協力させてください」
流行病だと事情を聞き、薬剤師としては聞き捨てならなかった。
ここは日本よりもはるかに医療が遅れた世界だ。日本では助かるような病気でも、ここでは助からないことだって十分あり得る。私の知識が少しでもこの世界の役に立つのなら、それを普及させていくのが医療者としてすべきことだと思うのだ。
今はとにかくデル様へ討伐の件を知らせることが先だけれど、それが無事に済んだ際には、流行病の対応について出来ることを探そうと決意する。
「セーナは薬師だったの! 小さいのに、すごいのね! ありがとうっ!」
感極まった様子のマスターが、カウンター越しに抱きついてきた。
嬉しいけれど、胸毛がちくちくと頬に当たり、地味にダメージを与えてくる。
「ごふっ、い、いいんですよ。みんなの健康と笑顔を守るのが薬師の仕事ですから! それに、マスターと仲良くなれたのもご縁です。仮にマスターが流行病にかかってしまったら、美味しいお酒が飲めなくなるじゃないですか。それは困りますからね。――マスター!! 痛い、痛いですっっ!!」
なぜかぐいぐいと力を強めるマスター。筋肉に締め殺されそうだ。ここで命を落とすわけにはいかない私は、ボンボンとマスターの背中を強めに叩く。
他の客の生ぬるい視線を受けつつ、BARゴールデンボールの夜は更けていった。
◇
――翌日。
結局日付が変わるまでマスターに捕まっていた私はとても寝不足だ。
ただ、嫌な気分ではない。マスターの愛情表現は嬉しかったし、ほっぺたの筋肉が痛くなるほど笑ったのなんて、人生で初めてだ。
贅沢な疲労感を感じながら馬車にゆられ、いつの間にか寝てしまった私が次に目を覚ましたのは次の街に着いたときだった。
「セーナ様。お休み中恐縮ですが、オムニバランに到着しました。もう夕方ですので、本日はこちらで宿泊されるのがよろしいかと存じます」
御者に肩をトントンされて、ガバッと起きる。まずい、寝すぎた!
トロピカリから一緒に出てきている御者は帽子を目深にかぶっているものの、口元がクスリと笑みをこぼしたのが見えた。
(……あれっ、この口元、どこかで)
なんとなく既視感を覚えたが、それよりも笑われた恥ずかしさが勝り、すぐに気持ちは切り替わった。
「コホン。……起こしてくれてありがとう。では、今日はこの街に泊まります」
今更キリッとしてみせても何の意味もないのだけど、それは細やかな抵抗というやつだ。
移動中まるっと熟睡してしまった私はすこぶる元気だ。例によって宿を確保して街をうろついてみようと思ったのだが――――
「え?泊まれないってどういうことですか?」
オムニバラン領の入場門近くにある総合案内所で、私は大声を上げてしまった。
「ごめんなさいね、意地悪を言っているのではなくて、今この街は危ないの」
受付嬢が大変申し訳ないという様子で眉を下げた。
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