第12話

「具合が悪いなら最初にそう言ってください! いきなり倒れるから、心臓が止まるかと思いましたよ!」

「……すまない……。家に着いたときは大丈夫だったんだが、茶を飲んで気が抜けたのかもしれない」


 急に倒れ込んだデルさん。

 慌てて抱き起こしてみれば、身体は燃えるように熱かった。色仕掛けでも何でもなく、ただ単に具合が悪かったようだ。


 前回と同じように担いで室内に運び込み、えいやっとベッドに放り込んだ次第だ。


「デルマティティディスさんって、しっかりした体つきをしてますけど虚弱なんですね。私も少し理解しましたから、今後体調が芳しくない時はちゃんと申告してくださいよ? ほら、薬を選定するので脈と舌を見せてください」


 私の勢いに気圧されたのか、大人しく従うデルさん。気まずいのか、目が少し泳いでいる。

 裏・熱・実の状態と判断し、白虎加桂枝湯びゃっこかけいしとうをチョイスする。


 薬を調合し、夕飯のパンと豆のスープを提供するころには、すっかり日が暮れていた。


(もう19時かぁ。そろそろ寝る準備をしないと)


 この世界に来てから、かなり朝型になった私である。毎日19時には寝る準備をしている。

 家の裏手の五右衛門風呂で入浴を済ませ、タオルで髪の毛を適当に拭いておく。ドライヤーなんてものは無い。


(えーと、予備の毛布はどこにしまったっけ……あ、あそこか)

 

 ベッドの下からずるずると予備の毛布を引っ張り出す。

 デルさんはまだ具合が悪そうだから、泊まっていくだろう。前回と同じように私は床で寝ることにする。研究員時代は会社に寝袋を持ち込んで泊り込んだこともあるし、こういう状況は特に苦ではない。


「…………何をしている?」


 ごそごそ動き回る私に、横になっていたデルさんが声をかける。


「あ、すいません、起こしちゃいましたか? この家にベッドは一つしかないので、私はこちらで寝ます。あ、気を使わないでください。デルマティティディスさんは病人なんですから。私、昔からどこでも寝られるタチなんですよ。……近くで転がっているのは気になるかもしれませんが、調剤室は衛生を保ちたいのでこの部屋で寝るしかなくて――」

「2人でベッドで寝たらいいだろう?」

「……は?」


 一言、絞り出すのに精一杯だった。目の前の男は、固まった私の様子を見て、意地悪くニヤリと笑った。


(ずっと無表情だったのに、どういう風の吹き回しなの!?)


 私の知るデルさんは、礼儀正しくて親切な人だったのに――――。

 そのイメージが、音を立てて崩れていく。


「分かっているかもしれないが、私のこれは体質によるものだ。人にうつる類いの病ではない。安心せよ」

「だとしてもおかしいですよ! 冗談が言えるほど元気になったのなら帰ってもらえませんか?」


 思ったより大きな声が出た。

 気安くアラサーをからかわないでほしい。


 デルさんは女性の扱いなんて百戦錬磨で朝飯前なんだろうけど、私は違う。男性経験と言えるようなものは、中学生の時一瞬付き合った男子と手をつないで下校したことぐらいなのだ。修学旅行のノリでくっつけられただけなので好きだという感情もなく、別れて悲しいとも思わなかった。


 そして高校は女子校、大学は実験に明け暮れていたため、恋だの愛だのとは無縁の生活をしていた。「いつか結婚できればいいや」と、それぐらいの軽い感覚しか持ち合わせていない私は、恋愛していなくて困ったことがなかった。


 そう、今この瞬間までは。


 いくらなんでも、好き同士でもない男女が同じベッドで寝るというのはおかしいだろう。

 間違いない。私はナメられ、からかわれているのだ。

 

(冗談じゃないわよ。私が経験少なさそうだからって、ふざけすぎ!)


 ぷぃっと背を向けて自分の寝床に潜り込んだ。――――はずなのに、体が宙に浮いた。


「ひゃっ!?」


(お、お姫様抱っこされてるっ!)


 フッと胃が浮くような感覚に、落ちないよう慌ててデルさんの胸元の服を掴む。人生初めてのお姫様抱っこにトキメキを感じる余裕はもちろんなく、予想以上の高さと焦りでどぎまぎする。


「ほら、隣。私は女性を床で寝させる趣味はない」

「あ、はぁ……」


 思いがけず優しい扱いでベッドに降ろされる。


(私を床で寝せないため、か……)


 からかい方はともかく、根底は私に対する思いやりだったことに安堵する。


 有無を言わせない雰囲気に逆らえず、ベッドの隅でデルさんに背を向けて丸くなる。がさがさリネンの音がして、彼も横になった気配を感じた。

 と、お腹に彼の腕が巻き付いた。


「ベッドから落ちないように抱えておこう」


 確かにこれはシングルベッドなので、デルさんと2人で寝るにはとても狭い。うっかり寝返りでもしたら100%落ちてしまうだろう。


 ……でもやっぱり、無理に2人で寝る必要はあるんだろうか? 全然床でも寝れるのに。――とは言えず、私は完全に彼のペースに呑み込まれていた。


「あ、はい……なんかすみません」

「おやすみ、セーナ」

「……おやすみなさい」


 耳元で聞こえる優しい低い声に、返事をする。


 ――背中越しに伝わる温かなぬくもり。この世界に来てからそういうものに触れたのは初めてで、胸の奥が、きゅんと切ない気持ちになった。


(なんだろう、この気持ち)


 しばらくじっとして自分の心に尋ねてみるが、よくわからない。

 混乱している間にもそれはじわじわと熱く広がっていき――堪えていた何かが溢れ、一筋頬を伝った。


(……ああ。もしかして私、結構無理して過ごしてきたのかな)


 自覚はなかったが、見て見ぬふりをしていた感情があったのかもしれない。

 声を殺して涙を流した私は、いつのまにか意識を手放していた。

 


 翌朝。

 目覚めると、何かにしっかりとくるまれている。毛布……だろうか?

 さらさらした黒髪に包まれた視界に、ここはどこかとぼんやりと考える。

 ――昨夜の出来事に思い当たり、急速に顔が熱くなる。


(そうだ、一緒に寝たんだった!)


 イケメンに抱き枕状態にされて寝れるか! と思ったのもつかの間、どうやら私は「どこでも寝られる」という特技を遺憾なく発揮したようだ。もちろん破廉恥なことは一切なかった。


 チラリと彼の顔を見上げると、面白そうな色を浮かべた瞳と目が合った。


「お、起きてたんですか!!」

「おはよう。少し前に目が覚めたが、そなたを眺めて楽しんでいた。はは、実に興味深い顔をしていたな」


 ニヤリと少し口角を上げて笑い、夜空色の瞳が細められる。

 朝の澄んだ空気よりも爽やかなイケメンがそこに居た。


(……っ!! 来たわ、フェロモン攻撃だわ!)


 心臓がぎゅっと締め付けられ、反射的にガバッと飛び起きる。


 まずい。早めにこの攻撃に対する対処法を見つけないと、体調がおかしくなりそうだ。たしか、フェロモンの中には相手の感覚器官を乱し、悪影響を与えるものがあったはずだ。デルさんが出すものも同種なのかもしれない。


「し、失礼ですよ! 昨夜は不可抗力で一緒に寝ましたけど、二度はありませんから! か、顔洗ってきます!」


 そう早口で告げてバネのようにベッドから飛び出し、外へ向かって駆け出す。

 後ろから聞こえる笑い声を振り切るように、私は湖へ全力疾走したのだった。



【後書き】

☆白虎加桂枝湯とは☆

名前の通り、白虎湯に桂枝を加えた処方。

原典:金匱要略

適応病態:高体温や激しい口渇があり,気逆の症候を呈するもの

弁証:裏・熱・実/津虚/脾・肺

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る