第7話

(これは、解剖できるのかしら……?)


 未知の物体を見かけると、条件反射でそう思ってしまう。

 悪い癖だと自覚はあるので、理性で押さえつける。家の中に心当たりのない何かが転がり込んでいるのだ。普通に考えて、今は緊急事態だ。


「……鍵に傷は無いね。私がかけ忘れたのかな。……あの、どちら様ですか?」


 無意識にドアを開けていたけれど、出かけるときに施錠し忘れていたため、黒いものの侵入を許したみたいだ。背中から差し込む弱い夕日は私の影を伸ばすばかりで、光源としては機能していない。


 とりあえず灯りをつけて近いてみる。

 床にうずくまる黒い塊――――それはこの世のものとは思えない程、とても綺麗な男の人だった。


 黒曜石のように深く鋭い輝きを持つ黒髪は非常に長く、腰元まで天鵞絨のように広がっている。うつぶせに倒れているため半分しか顔は見えないけど、雪のように白い肌に完璧な配置の眉、鼻筋。世の女性みな羨むであろう長いまつげが顔に影を落としている。

 頭には、これまたビックリするほど美しい流線型の角が2つ生えていて、琥珀色の輝きを放っていた。


身に付けている服は、元の世界で東南アジアを旅行した時に見かけた民族衣装に似ている。ただこの人が着ているのは上下真っ黒なものだけど。


(なんて美しい人なんだろう……)


 しばらく目を奪われる。


 こちらに来てから角がある人を見たのは初めてだ。けど、まるで芸術品を観賞している気分で、見知らぬ男の人なのに怖い気持ちにはならなかった。


 よくよく観察を続けると、男はハアハアと肩で息をしていて、白い顔は青白くも見える。とても具合が悪そうだ。

 それに、うしろ髪には生卵がべったりと付いている。なかば乾いていて、綺麗な髪の毛がそこだけカピカピになっていた。…………なんだか、訳ありそうな感じがする。


「う~ん、行き倒れてしまったのかな……? え、と。脈は――あるみたいだね。少しおでこが熱いかな? こんなボロ小屋だけども、薬剤師としては手当をするほかないかぁ……」


 あいにくこの掘っ立て小屋にベッドは1つしかない。

 うんしょ、と男を担ぐが、相当身長が高いのか上半身しか持ち上がらなかった。床に引きずる形になってしまうが仕方ない。勝手に私の家で行き倒れた方が悪いのだ。


 どうにかベッドに転がして、水をはったタライと布を用意する。顔にかかった髪を退けると恐ろしく整った顔が現れる。左右見事に対照で、黄金比ってこういうことなんだろうなと思った。


 イケメン耐性の無い私は少々居心地の悪さを感じつつ、髪の毛に付いた生卵を拭きとっていく。

 カピついたそれは中々取れず、髪をたらいに浸しながら丁寧に洗った。


 別の清潔な布を用意し、濡らしておでこにのせる。


「誰だか知りませんが、早く良くなってくださいね」


 角があるからには、人間ではないのだろう。じゃあ何者だ、と考えてもここは異世界。すぐに正解は分からない。

 彼が何者であっても、私は薬剤師なので助けるまでだ。


 病人は嫌いなのだ。みんなが健康で笑っているのがいい。だから私は薬剤師になったんだもの―――。そう昔のことを思い出して懐かしくなった。


 ◇


 結局その晩、謎の男は目を覚まさなかった。ベッドが1つしかないため、私は床に予備の毛布を敷いて横になったのだった。


 翌朝、いつものように鳥のピヨヨヨヨという鳴き声で起きる。湖に面した窓から陽の光が射し込んで気持ちがいい。


「うぅ~~~ん! ……ふぅ」


 渾身の伸びをしてベッドを見やる。男はまだ目覚めていないようだ。近くによって様子を観察する。


 きめの細かい白い肌にはうっすら汗が滲み、頬は赤みがさしている。

 恐ろしく整った顔に緊張しながらも、失礼しますと断りを入れておでこを触る。熱い。


  「発熱あり、汗びっしょり。脈は早めで舌は乾燥、と。一晩寝ても容体に変わりなしかぁ。……薬を飲ませてみようかねえ」


  おでこの濡れ布を取り替えて、顔や首など、出来る範囲で身体の汗も拭きとる。

 薬で楽になるといいなぁと思いつつ、早速調合に取り掛かる。


  「症状から、清熱瀉火剤の適用かな。今ある材料で作れるのは……」


 目の前には、私自慢の薬棚。こちらの世界に来てから少しずつ作った、生薬の瓶が並んでいる。

 何往復か眺めたところで、考えがまとまった。


  「…………白虎湯びゃっことうにしてみよう!」


白虎は伝説の青龍・白虎・朱雀・玄武の四神の一つであり、四季では秋を表すという。次第に涼しくなる季節であり、熱を抑制する意味がある。――――と大学時代に習った。とにかく熱を清して潤す感じの漢方薬なのだ。


「えーと、石膏せっこう知母ちも粳米こうべい甘草かんぞうを用意してと」


 それぞれの薬びんにさじを入れて、分量をはかりとる。「舟」と呼ばれる自作のトレイに1日分を置いていき、調合する。

 素材を薄紙のパックに詰め、鍋で30分ほど煮出せば完成だ。


「ついでにスープも作っておきましょうか」


 今日のスープは冬瓜と黒きくらげのスープにすることにした。この掘っ立て小屋の回りは驚くほど多種多様な植物が自生しており、薬やスープの素材には何ら困らない。


 薬にも毒にもなるようなものが沢山生えているためか、動物の類いは滅多に見ないけど。鶏が居たら卵が採れるのになぁと、それだけがちょっとした不満なのだ。


 ――そんなことを考えながらスープを作り終え、男のベッドサイドに椅子を移動して腰かける。


「味は良くないですけど、我慢してくださいね」


 飲みやすい温度に冷ました白虎湯を一匙すくい、口元に運ぶ。

 ちょん、と軽く触れると整った唇が少し開いたので遠慮なく流し込む。


 流麗な眉がちょっとしかめられた気がするが、起きることはなかった。余程しんどいのだろうな、可哀想にと思いながら薬の投与を続けた。


 ◇


 特に何事もなく昼過ぎになったので、私は男を放置して畑仕事をすることにした。


 医者に連れて行こうかとも悩んだけれど、村外れにあるこの掘っ立て小屋から、市場のさらに向こうに建つ診療所はかなり遠い。男の容態が悪化するようならやむを得ないと思ったが、昨夜から特に変わりないので投薬の効果を待つのがいいと判断した。


 2,3時間畑仕事をして――――休憩のお茶を淹れるために一旦室内に入ったところ、声をかけられた。


「世話をかけたな」


 思わずビクッとしてしまう。作業に没頭していたため男の存在を忘れていて、完全に油断していた。


「ああっ、はい! 目が覚めたんですね。大丈夫ですか? 昨日この家で倒れているのを見つけまして、ひどい熱があったので処置させてもらいました」


 寝顔の段階ですでに相当整っていた。けれど、目を開いてしゃべるお顔は本当に人外の美しさだった。

 目は切れ長でややつり目。無表情なためか冷たい印象がある一方で、発熱により紅潮した顔と、乱れた襟元が何とも言えない色香を漂わせている。


(――この色気はすごいわ。何らかのフェロモンが出ているのかしら? 昆虫なんかはメスがオスを引き寄せるために出すみたいだけれど)


 私がフェロモンのことを考えているとはつゆ知らない男は、重みのある低音の声で話を続ける。


「そうか。突然邪魔したにも関わらず対処してくれて助かった。……回復にはあと少しかかかるだろう。すまないが、今日もここで過ごさせてもらえないだろうか」

「……食事も質素ですし、おもてなしは出来ないですよ? それでも良いのでしたら、構いませんけど……」


 角があって普通の人間ではなさそうな男だが、話した感じは紳士的だ。一応女性1人暮らしなので防犯には気を付けているが、彼はそういう輩ではなさそうに感じる。動けるようになるまでということであれば、薬剤師として面倒をみてもいいかと思う。


「問題ない」


 男はふぅと短く溜め息をつき、再び眼を閉じた。


(まだ相当しんどいのね)


 少し早いが夜の分の白虎湯を与え、顔の汗をぬぐってやった。


 その晩も私は床で眠り、時折男の様子を窺ってはおでこの濡れ布を取り替え、毛布をかけたりどけたりと、出来る限りの看病をしたのだった。


【後書き】

☆白虎湯とは☆

原典:傷寒論

適応病態:陽明病期の実証で,高体温や激しい口渇があるもの。糖尿病の喉の渇きに用いられることもある。

弁証:裏・熱・実/津虚/脾・肺

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