第5話

異世界に来て、はやくも3カ月が経った。


 日々農民のようにあくせく畑を耕し、森で薬草採集を続けた私は、すっかり日焼けをして、およそ薬剤師らしからぬ容貌になっていた。日ごろ薬局や病院に引きこもっている薬剤師という生き物は、通勤でしか陽に当たらないため、色白な者が多いのである。

 薬剤師で色黒な場合、いわゆる「パリピ」という分類になる。例外は、異世界で農作業をしている私ぐらいだろう。


「――さて、そろそろお金を数えてみようかな!」


 朝の農作業を終えて、家に入る。

 手を洗って向かうのは、押し入れだ。扉の立てつけが悪いので、完全には閉まらず、常に隙間が空いている収納である。


 毛布やら衣類やらをかき分け、その隅っこに置いている麻袋。軽く揺すると、硬貨がチャリチャリ言う素敵な音がして、思わずニンマリ頬が緩む。これが、私の貯金である。


 日々の売上や生活費を切り詰めた結果、ノートパソコンぐらいの大きさの袋がようやく満タンになった。今日はそれを数えて――足りそうであれば、薬師業に必要な調合道具を買いに行こうと思っている。


「必須なものは……薬研、乳鉢、乳棒、薬匙、天秤あたりかしら。あ、あと生薬を保存する瓶も必要ね。小刀もあると便利かしら」


 思いつくものを指折り数えていく。


 薬研とは、生薬をひいて粉末にしたり、汁を得るために使うローラーと受け器のこと。乳鉢と乳棒はすり潰しに使うすり鉢と棒のことで、薬匙は薬を計り取るスプーンのようなものだ。

 日本で見かけたものズバリそれでなくとも、近しい道具があることは既に市場でリサーチ済みである。ほしい道具には目星をつけているので、問題はお金が足りるかどうかだ。


 さっそく机に移動して、袋から硬貨を取り出し、色別に10枚ずつ積み上げていく。

 この世界の通貨単位は「パル」という。最小単位は10パルで、鉄っぽい硬貨。その上が100パルで銅っぽい硬貨。ついで1000パルが銀色の硬貨で、一番価値のある硬貨が10000パルで金色の硬貨だ。

 私の感覚では、10パルは100円ぐらいの価値があるように思う。ちょうど卵を6個買えるのが10パルだからである。


「ん~、鉄と銅の硬貨ばっかりねぇ。大丈夫かしら……」


 半分ほど袋が軽くなったところで積み上がったのは、鉄色の山が5つと、銅色の山が2つである。そして銀色が1枚。


「この銀は何を売った時のものだったかしら? ……あ、冬虫夏草とうちゅうかそうだったね」


 冬虫夏草。

バッカクキン科冬虫夏草菌の子実体と、寄生主の幼虫の死体。

 ざっくり言うと、キノコに寄生された幼虫の死体のことである。


 滅多に見かけない貴重な生薬で、喘息や腰痛に効くほか、インポテンツといった男性機能の改善にも効果があるとされている。この世界にバイアグラ的な薬は無いようなので、こういった生薬は欲しい人がたくさんいるらしい。


「今思えば、これは銀硬貨5枚でも良かった気がするけどね。ちょっとナメられてたかもしれないわ」


 ここに来たばかりの頃、市場に卸売りに行っても、よそ者の私を相手にしてくれる取引先はほとんどなかった。必死に顧客を開拓して、今でこそ信頼できる相手を見つけられているけれど、冬虫夏草を買ってくれたのは薬草に疎いオジサン店主だった。まあ、この辺は物の相場を知らなかった私にも非があるんだけどね。


 そんなことを考えながら、カウントを続けた。


 ――――最終的に、私の目に積み上がったのは、鉄色の山が8つ、銅色の山が4つ、そして銀の硬貨が1枚だった。つまり5800パル、日本円にして58000円の金額である。


「58000円……。ちょっと心もとないけれど、値引き交渉を頑張ってみよう。薬匙なんかは食事用のスプーンで代用してもいいしね!」


 ぎりぎり足りなさそうな額ではあるけど、一秒でも早く調合道具が欲しい私は、何とかなるだろう精神で強行突破することにする。私は農民ではない。薬剤師なのだ!調合とか実験がしたい!!


 うきうきする心のままに私は家を飛び出し、市場へ向かった。


 案の定お金は少し足りなかったのだけれど、道具屋さんの大掃除を手伝う事で不足分をチャラにしてもらい、私は希望の調合用品を手に入れたのであった。

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