第2話
「中毒を起こしていると思われます! すぐに救急車を呼んでください!」
「きゅう……? 何だって?」
「救急車です、救急車。119番してください! ……Please call an ambulance!」
「おいおい何言ってるか全然わかんねぇよ。それより娘は助かるのか!?」
(救急車が全然分からない!? そっちのほうが意味分からないわ!)
どうしよう。私は今スマホを持っていないし、この森を抜ける土地勘もない。
…じわり、と嫌な汗が背中をつたう。
目の前には、真っ青な顔で倒れている女の子が1人と、救急車を知らないと言った父親。
私が駆け付けるとほとんど同時に、母親らしき女性はどこかへ走り出していった。助けを呼びにいったのだろうか。
女の子は5歳もいかないぐらいの小さな子だ。すぐ側には一口かじられた茶色いキノコが落ちている。額には脂汗が浮かんでいて、腹を抱えて苦しげな表情だ。状況から、かじったキノコによる中毒症状ではないかと思われた。
(……このキノコは知っている。クサウラベニタケだわ。シメジに似ているから間違えやすいのだけど、れっきとした毒キノコ。少しでも早く解毒処置を行わないとまずい)
おろおろと女の子をさすっている父親。気持ちはわかるが、それで治るはずもない。
ここはどこか、私はなぜパジャマ姿なのか、色々気になることはあるが今は後回しだ。
――私は覚悟を決めた。
◇
――時はおよそ2時間前にさかのぼる。
私はいつものパジャマを着た姿で森をさ迷っていた。
パジャマというか、まあ、高校時代のジャージとクラスTシャツと言うべきか。着心地がいいので捨てるに捨てられず、アラサーとなった今でも愛用している。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ…………いったい、ここはどこなの~!!」
木の幹に手をつき、思わず叫び声を上げる。
やや湿気た空気に、森特有の土っぽい匂い。苔むした木々が生い茂り、足元にも草や花がポツポツと生えている。
正直、全く心当たりのない場所だ。
……確か私は布団に入って寝ていたはずなのだ。
それが、目が覚めたら見ず知らずの森にいた。
どうにか森を抜けようと歩き回ってみたものの、同じような景色ばかりが続いている。天然パーマの髪の毛に枝や葉っぱが絡まるし、目にかかる長い前髪がうっとうしい。疲労も重なって気分は不愉快極まりない。
この森はけっこう深いようで、木々の隙間から街でも見えないかと目をこらしてみても、それらしいものは全く見えなかった。
誘拐されたのか、はたまた突然夢遊病になってしまったのか分からないが、とにかく私は途方に暮れていた。
――――助けを求める声が聞こえたのは、川で水を飲んで休憩していた時だった。
「誰かー! むっ、娘が倒れた!!」
(意外と近くに人がいたのね!)
そのことに少し安堵しながら声のほうに向かって走り出す。
……倒れただなんて怪我でもしたのだろうか。あるいは貧血とか、持病かなにかの可能性もあるけど……。安堵とともに、緊張感に身が引き締まる。
とりあえず、救急車が来るまでの軽い対応ぐらいは役に立てるだろう。
――――私は薬剤師だから。
◇
(救急車を呼べないとは大誤算だわ。ここは無医村とかなのかしら?)
人を呼びに行ったらしき母親がいつ戻るのかは分からない。
早く処置をしないとこの女の子の命が危ないと判断し、私は決意を口にする。
「私は薬剤師の資格を持っています。応急処置をしていいでしょうか?」
「やく……ざいし? やく、って薬師みたいなもんか?」
「ええ、まぁそんな感じでしょうか? この毒キノコは知っているので、取り急ぎの処置は可能です」
「そうか! 頼む、この子が助かれば何でもいい!」
父親は涙を浮かべてそう言った。
横たわる女の子は小さな体を丸めて依然苦しんでいる。急がないとどんどん毒が吸収されてしまう。こういう応急処置は普段の業務ではしない。正直慣れていないが、自分しかいないのでやるしかない。
(冷静に、冷静に)
ひとつ深呼吸をして、指示を出す。
「では、水を汲んできてもらえますか。あと植物をすり潰したいので、適当な板と棒もほしいです」
「あっ、ああ、分かった。すぐに見つけてくる」
一目散にかけていく父親の背中を見ながら、他に必要なものを整理する。
あと炭も必要だけど、すぐそこに焚火をしたような跡があるのでそこから取ることにする。
(それと、もう一つ重要なのはあれが近くに生えているかどうかね)
この森をさ迷っていた時に気づいたのだが、ここには薬草の類が豊富に生育していた。
日本にあるはずのないものや、この季節には育たないものなど、それは様々生えていた。それは「ここはどこ?」という不安を助長させたものの、薬剤師である私にとってヨダレが出るような光景でもあった。
(これだけたくさんの種類が生えているのだから、あれも絶対あるはずなのよ)
きょろきょろと首をふりながら、迷子にならない程度に森を進む。
目的の植物が見つかるのにそれほど時間はかからなかった。
「…………あった!」
小さな白い花と赤い実をつけたその植物―――
群生しているところから2、3本根っこごと引っこ抜き、急いで女の子の元に戻ると、ちょうど父親も戻ってきたところだった。
「言われたもの見つけてきたぞ」
「ありがとうございます。ここからは分担して作業します。あなたはそこの炭をすり潰してもらえますか? 飲めるぐらいの細かさにしてください」
焚火の跡を指差す。
父親は訳が分からない顔をしていたが、娘をチラリと見た後「わかった」と返事をした。
「私は吐根を処理します」
吐根。
漢字の通り、体内にとりこむと吐き気をもよおす薬草だ。南アメリカの先住民の間で古くから使用されていたもので、日本でもタバコや医薬品を誤飲したときの応急処置として用いられている。今回のように毒キノコを食べてしまったときにも有効だ。
(本来は乾燥させた根っこを使うのだけれど、そんな暇はないから生でいくしかない)
根っこをブチブチちぎって細かくしていると、父親から「終わったぞ!」と声が掛かった。
「では、親指、人差し指、中指でそれをつまんでください」
「こ、こうか? これがどうしたんだ?」
「それを『1つまみ』とします。30回つまんで水に溶かし、娘さんに飲ませてください」
「す、炭を飲ませるのか!?」
「炭は毒物を吸着する性質があります。私は薬師ですから信じてください。どうせ炭ですから、飲んだところでそれ自体が毒になるわけではないのはあなたも分かるでしょう?」
「う、うぐ……」
気持ちは分かる。この緊急事態に炭を飲ませるなど、医療に通じていない者からすればふざけていると思うだろう。でも今言ったことは本当だ。炭は毒物を吸着する性質がある。毒が体内に吸収されきってからでは効果が薄れるので、一時間以内に投与するのが望ましい。
「さあさあ、こうしている間にも娘さんの体に毒キノコが吸収されてしまいますよ! どうしますか?」
こういう脅すようなやり方は心苦しいが、たきつけた方が動いてくれる場合もあるだろう。今一番重要なのは、炭と吐根を飲ませて娘さんを解毒することなのだ。
「わ、わかったよ!」
半ばやけくそになった父親は、急いで炭をつまみとって水に溶かす。
右腕で女の子を抱き起こし、誤飲しないように気を付けながら少しずつ飲ませていく。
(よし、とりあえず処置がひとつ完了ね)
額の汗を右腕でぬぐう。取り急ぎではあるが、ひとつ対応が打てたことに安堵する。
ごりごりと吐根の根っこをすり潰しつつ、次の方針を考える。
すぐ吐根を飲ませてしまっては折角の炭が出てきてしまう。毒を吸着する前に吐き出してしまっては本末転倒だ。
炭の繰り返し投与が終わりしだい、念のためという感じで吐根を飲ませるのが最善だろうか。
それにしても母親はどこまで行ったんだろう。あんな小さな女の子と一緒ということは、さほど集落から離れていないように思うけれど――――
そんなことを考えていた時、茂みの奥からガヤガヤと騒がしい声と、草を踏みしめる複数の足音が聞こえてくる。
「こっちです! 早く!」と叫ぶ女性の声。
(ああ、戻ってきたみたい!)
ふう、これで私はお役御免だ。あとは救急隊なりお医者さんなりに引き継いで終了。
ここはどこか聞いて早くお家に帰らなきゃ。明日も仕事だし――――
――――そんなのんきな考えは、早々に打ち破られることとなった。
【後書き】
☆炭とは☆
医療現場で使われているものは「活性炭」と言う。体内で薬物を吸着して、下から出すお薬。
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