第35話

「片付けと事務作業が終わったら、鹿乃子さんを実家へ連れていきます。

少し、待っていてくれますか」


実家、と出た途端に、それまで楽しそうだった三橋さんの顔から一気に表情が消える。


「はい」


嫌、なんだろうな、実家。

さらに私を親に会わせるのは。

関わるのは必要最低限、それすらしなくていいならさせたくないと、前に三橋さんは言っていた。

三橋さんのご両親ってどんな人なんだろう。


商談スペースで彼の仕事が終わるのを待たせてもらう。


「……」


私より少し年上の女性が、お茶を出してくれた。

がしかし、無言で睨んでいる。


「ありがとうございます」


それににっこりと笑って返した。


……完全にアウェイだよね。


さっきから不躾に、従業員の方たちからじろじろ見られている自覚がある。

このお茶がぞうきんの絞り汁だったとしても不思議はないが……さすがに、そこまではないか。


待っている間、暇なので持ってきたタブレットで図案を考えて待つ。


「今月分の売り掛けが入金されていない方がいるのはどういうことですか」


事務所からは三橋さんの、冷たい声が響いてきた。


「すみません、諸事情あって今月分は少し待ってくれと言われまして」


それに答えている宅間さんは、出てもいない額の汗を拭いている。

他の人間も、いつ三橋さんに叱責されるのかと戦々恐々しているように見えた。


「すぐにお宅を訪問して、今月分をいただいてきてください」


「あの、しかしながらそちらのお宅はつよし様の奥様が懇意にされている家で、少しの遅れくらい……」


「……それが、どうかしたんですか?」


果敢に宅間さんは反論を試みたが、それはすぐに三橋さんに封じられる。

しかもその声は魂から凍りついてしまいそうなほど冷え冷えとしていた。


「弟の嫁が懇意にしている家だから、とか関係ありません。

さっさとアポイントを取って、回収に行ってきてください」


「は、はい!」


冷酷に回収してこい、なんて言う三橋さんはまるで、血も涙もない借金取りのようだ。

いや、売掛金の回収だから、借金の回収でほぼ間違いはないけれど。

私には遠くからだから表情はよくわからないが、きっとあの三橋さんを相手にしたら泣いちゃう。

でも、私が知っている三橋さんは問屋からの入金が遅れていると聞いても、事情を知ってそれなら仕方がないと笑っていた。

ここでの三橋さんは私が知っている彼とは違う。


……ううん。

そういえば初めて三橋さんと会った日、宅間さんを諫める三橋さんはこんな感じだった。

宅間さんが反射的に後ずさり、額を床に擦りつけて土下座をしたほどだ。


「どっちの三橋さんが本当の三橋さんなんだろう?」


私にはわからない。

でも、三橋さんには金沢にいる三橋さんでいてほしい。

あっちの方が好きだし、幸せそうだから。

ここの三橋さんは強そうだけれど、全然幸せそうじゃない。


「すみません、鹿乃子さん。

お待たせしてしまって」


二時間ほどで三橋さんの仕事は終わった。


「いいえ、全然」


「それ、新しい半襟の図案ですか?

凄くいいと思います」


閉じようとした画面を見て、三橋さんが褒めてくれる。


「でも、それだと手間がかかりませんか?」


忘れたわけじゃない、柄を減らして手間を省きましょう、って言われたこと。

でもこれには、考えがあるのだ。


「柄を少し、簡略化しました。

それで、型染めにしようと思います」


型染めでも複雑な模様だとズレないように神経を使う。

けれど柄を簡単にすれば重ねる回数が減るから手間は減る。

あと、型染めだと同じものが幾つも作れる。


「手書きの凝ったものと、手軽に買える可愛い半襟は別ラインにしようと思って」


これなら三橋さんに原価計算! って怒られないと思うんだけど、……どうかな?


「やはり可愛い鹿乃子さんはできる子ですね」


褒められるのは嬉しいが、いい子、いい子とあたまを撫でられるのは……。


「……子供扱い」


ぷーっと頬を膨らませたら、むにっと潰された。


「そんなに可愛いことすると、キスしちゃいますよ?」


ふふっ、とおかしそうに笑われて、頬が熱くなっていく。


「……ダメ」


「はい、わかりました」


また、ふふっ、と小さく笑う。

いつもはあまり意識しないけどこういうとき、三橋さんは一回りも年上だから簡単に手のひらで転がされている気がする。

それはいいけれど、さっきから三橋さんを見る従業員は、信じられないものを見る目付きになっていた。

まあ、普段の三橋さんがあれだとそうだよね。

私は反対に、あの三橋さんが信じられないけれど。


「それじゃあ、行きましょうか」


「はい」


店を出てタクシーに乗った三橋さんは、硬い顔をしていた。

両親へ私を会わせるのだ、緊張しない方がおかしい。


「……嫌いになりましたよね、店での私を見て」


ぽつり、と三橋さんの口から呟かれる。

それにどう、答えていいのかわからない。


「怖かった、です」


ぴくっ、と三橋さんの身体が反応した。

あの三橋さんが怖くなかったかといえば嘘になる。

でもあれはきっと、彼が望んだ自分自身ではないと思うのだ。


「なら……」


「でも、私はあの三橋さんは、三橋さん自身も嫌いなのをわかっていますから。

早くお家から解放されて、三橋さんになりたい三橋さんになりましょう。

そのために私、頑張りますから」


「鹿乃子さん……」


ぎゅっと彼の手を、指を絡めて握ると、力一杯、握り返された。

それすらも、愛おしい。

私はこの手を、絶対に離さない。

大丈夫だよ、安心して。

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