第34話
「初釜ですと、あまり華美にならないものの方がいいかと」
「そうね……。
でもこの若草色は地味すぎない?」
「こうやって帯をあわせれば、十分華やかですよ。
それに、この若草色は金池様のお顔の色を引き立てます」
隅っこ……と思っていたのに、遠慮せずにもっと真ん中に座りなさい、と金池さんに勧められ、比較的近くで三橋さんの接客を見ていた。
……〝和風ホスト〟がいるとしたらこれだな。
物腰柔らかく、それでいてテキパキと三橋さんは仮着付けしていく。
当然、手は身体を触るし、密着もする。
しかも、あの顔だ。
「いかがですか?」
常に優しげに笑みをたたえ、さらに目があったらにっこりと微笑む。
あれだと勘違いするなという方が難しい。
ただし、私にはあれが、完璧な作り笑顔だというのはわかるが。
「やだ、相変わらず漸さんは口が上手いんだから!」
……もしかしたらケラケラと明るく笑いながら、三橋さんの背中をバシバシ叩いている金池さんにもバレているのかしれない。
そしてそういう人だからこそ、私に会わせたのかも。
初釜用の着物、と言っていたのに、どっちにも決められないからー、と金池さんは帯もあわせて二セット、お買い上げになった。
嫁いだとはいえ父親は代々政治家のあの人、と聞けば納得だ。
「鹿乃子さん。
どうして栄一郎様の作品はあまり世に出ていないのかしら?
もうご高齢であまり作られてないとか?」
出されたお茶を飲みながら、もう友達感覚で金池さんが話しかけてくる。
「あ、えと。
もう七十と歳は歳ですが、本人はまだまだ現役バリバリでいく気なので」
私はといえば、ガチンゴチンに緊張していた。
……もし、粗相とかしたらどうしよう。
私のせいで金池さんが機嫌を損ね、三橋呉服店と手を切るようなことがあったら……想像するだけで、怖い。
「あら、私と同じ年なのね」
ケラケラと金池さんが笑う。
え、髪は白いがもっと若いのかと思っていた。
「それならまだまだ、大丈夫だわ。
でも私は栄一郎様ほどの作品が、注目されていないのかが不思議でしょうがないの」
「それは……」
祖父の作品が素晴らしいのは私もわかるが。
「有坂栄一郎氏は作家であることよりも職人であることを選んだからですよ」
宅間さんに指示し、伝票等を作っていた三橋さんが話に加わってくる。
「作家として高い評価を得るよりも、職人として質の高い作品を作りだす方が栄一郎さんの肌にあっていたんです」
「あ……。
そう、ですね」
祖父は自分を、加賀友禅の作家だとはいわない。
自分はあくまでも職人だという。
芸術性など知らん、俺は職人として最高の作品を作りだすだけだ、と。
二ヶ月半ほどの付き合いの中で、三橋さんはすでにそんな祖父のこだわりに気づいていた。
「なので自分の作りだしたものの作品価値に無頓着なんですよ。
もっと自分の作品の価値を考えてください、とは言ったんですが……」
はぁーっ、と三橋さんの口から苦悩の色が濃いため息が落ちていく。
『俺がこれでいいって言ってるんだからこれでいいんだ!
てめぇが口出しするな!』
と、祖父が三橋さんに怒鳴ったのはいつだったか。
あれは、そういうことだったんだ。
「そういう人だからこそこんな素敵な作品が生み出せるんだろうけど、悩ましいわね……」
はぁーっ、と金池さんの口からもため息が落ちていった。
「あの。
祖父に金池様のこと、お伝えしておきます。
きっと、喜んでくれると思うので」
消費者の声が届くことはほとんどない。
知れば祖父のことだ、きっと照れながらも喜んでくれるはず。
それに。
「あと、祖父はけっこう、おだてられると弱いので、それとなくお願いしたら金池様の着物も作ってくれるかもしれません」
「ほんとに!?」
期待を込めためで見つめられ、もし祖父がその気にならなかったらどうしようと不安になってくる。
「その、……かもしれない、ってだけで」
「それでもいいわ!
ああ、これで楽しみができたわ」
金池さんは上機嫌になっているが、確約はできないんだけれど大丈夫なんだろうか……。
「大丈夫ですよ、鹿乃子さん。
おじい様はきっと作ってくださいます。
それは私が、保証します」
器用に三橋さんが、ぱちんと片目をつぶってみせる。
その自信って、どこから出てくるの?
「今日は鹿乃子さんにお会いできて本当によかったわ。
栄一郎様によろしくお伝えください」
「私も金池様にお会いできてよかったです。
祖父にもしっかり、伝えておきます」
三時間ほどの滞在で、このあとは用事があるからと金池さんは帰っていった。
「金池さんって気さくな方ですね」
三橋さんの話から、三橋呉服店のお客は全員、自分は特権階級だと笠に着た嫌な人間ばかりなのだろうと思っていた。
でもそれは、私の偏見だったらしい。
「金池様は数少ない、いい方ですよ。
だからこそ、鹿乃子さんに会わせたかったんです」
金池さんを見送り、中へ戻っていく三橋さんのあとを着いていく。
「もしかして私がいるから、金池さんを呼びましたか?」
「それは内緒です」
ふふっ、と小さく笑い、唇へ人差し指を当てる。
いたずらっ子のようなその顔は、なんだか可愛かった。
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