第32話

タクシーで店に向かう。

ご両親に会えるのは夜だけれど、それまで三橋の店を見学させてもらおうと思う。


「……」


三橋さんは窓の外を見たまま黙っている。

店用の装いなので下にシャツを着たりとかもないし、眼鏡だってシルバーのリムレスだ。

というか、眼鏡も父親から禁止されたんだって。

酷くない?

いま、テレビに出ている着物姿の男性で眼鏡の人なんて珍しくもないのに。


「……ああ。

すみません」


視線に気づいたのかこちらを向き、小さく笑う。

なんだかそれだけで、泣きたくなった。


「大丈夫です。

私を信じてください」


「そう、ですね」


隣りあう手は指を絡めて握ったまま、離れない。

絶対に、離さないんだ。


銀座でタクシーを降りて、少し早めの昼食を取る。


「ときどき、お客様と来るお店なので大丈夫だと思うんですが……」


メニューの向こうから三橋さんが自信なさげに私をうかがう。

高級なお番菜の店に不満などないし、これは彼が私に美味しいものを食べさせたいのだというのは理解している。

けれど、ときどきお客様と来るってなにそんな親しい客がいるのと一通りムカつきはした。

でもそんな、ホストの同伴みたいなことは彼が望んでいないのはわかっているし、だからこそ味がわからないから不安なのも。


「こういうお店、憧れだったんです」


三橋さんの不安を払うようににっこりと笑う。


「よかったです」


少しだけ、彼が笑う。

昨日からの三橋さんは私の知らない三橋さんで、つらい。

ううん、知らなかったわけじゃない。

これがいつも、三橋さんが傷ついた顔で帰ってくる理由なのだ。


無難に、お昼のコースを頼んだ。

普段なら、これ美味しいですね、これは熱いから火傷に注意ですよ、なんてにこにこ笑いながら食べている彼が、黙ってもそもそと箸を進める。

私がどんなに言葉を尽くしても、彼の不安は取り除けない。

なら私は。


――絶対に三橋さんを奪い取り、金沢の家に連れて帰る。


食事のあとは少し歩き、表通りから一歩入った静かな区画にやってきた。


「ここが、三橋呉服店ですか?」


「はい」


小さなビルの一階には小料理屋が入っているだけで、看板すらない。


「こちらです」


三橋さんと入ったビルの奥には、小さいけれども年代を感じさせないエレベーターがあった。

それに乗り、二階へと上がる。


「ようこそ、三橋呉服店へ」


エレベーターを降りた向こうには別世界が広がっていた。

三と大きな字が染め抜かれた、紺ののれんの掛かるそこはまるで、江戸時代からタイムスリップでもしてきたかのようだ。


「どうぞ」


「あ、はい……」


圧巻されていたところへ三橋さんから声をかけられ、こわごわ中へ入る。

店内は畳敷きになっていた。

一部、棚に置いてあるもの以外はなにもなくて、がらんとしている。


「あの……」


これで、店なんだろうか。

私が知っている呉服店とも、問屋とも違う。


「うちはお得意様以外はご紹介がないと店にも入れない、完全予約制です。

商品はお客様のニーズにあうものをその都度、お出しします」


「へー」


三橋さんが案内してくれた店の奥には、絵羽や反物が丁寧に積んであった。


「若旦那、お疲れ様でございます」


「はい、お疲れ様です」


作業をしていた三人の男女が三橋さんに気づき、あたまを下げた。


「通販もしていますからね、小物の類いは発送もします。

とはいえ先ほども言ったような店です。

いまどき、ホームページすらありません。

お得意様からの注文だけです」


「え、そんなので大丈夫なんですか……?」


この、斜陽産業の呉服業界でそんな保守的な経営なんて、反対に心配になってくる。


「うちは、銀座の一見様お断りの高級クラブだと思っていただければ間違いないですから。

そしてホステス……というかホスト、ですね。

ホストは私と弟です」


おかしくもないのにくすくすと三橋さんが笑う。


「その、弟さんも……?」


こういう仕事は嫌がっているんだろうか。


「弟には天職ですよ、この仕事。

下のものを見下し、上のものには媚びへつらうのが大好きな人間ですから。

一昨年、結婚しましたが、お相手はどこぞの政治家の孫でしたね。

確か……相楽さがら、とか言ったか」


興味なさげに三橋さんは流したが、相楽って先々代の総理大臣のとき、官房長官だった方ですよね!

いまだってもちろん、参議院議員だし、次の総理大臣は……なんて噂もされている。

それを、「……相楽、とか言ったか」で済ませる、三橋さんが怖すぎる!

だってあれ、絶対、知っていてわざとだよ怖い怖い、怖いよー!


「お疲れ様です」


「若旦那!

お疲れ様でございます」


事務所らしきところへ入った途端、全員が立ち上がった。


「今日の予定は金池かないけ様だけでしたよね?」


「はい、そうです」


他の人は挨拶が終わり座ったけれど、いまだに立ったまま対応している人には見覚えがある。

私がお茶をかけた、宅間さんだ。

彼の視線はちらちらと、私へ向かっていた。


「では、準備をします。

……ああ。

鹿乃子さんは私の妻です。

粗相のないように」


「若旦那!

志芳しほお嬢様とご結納なさったというのにまだ、そんなことを仰るのですか」


三橋さんの言葉で、宅間さんの不満が爆発する。

三橋さんが私に求婚したとき、しかるべきお嬢さんと、と彼は反対した。

あのときはそれが当たり前だって私も彼に同意だった。

でも、それは間違っていたっていまならわかる。


「……黙りなさい」


すっ、と一気に周りの温度が下がった……気がした。

それほどまでに、三橋さんの声は冷たかった。


「私が生涯、妻と呼ぶのは鹿乃子さんただひとりです。

たとえ、鹿乃子さん以外の方と結婚しようとも」


眼鏡の奥で目が細められ、少しでも動けば切れてしまいそうな鋭い日本刀を思い起こさせる。


「……はい」


消え入りそうな声で宅間さんは返事をした。

納得してなくてもそうせざるをえなかったのだろう。

それほどの気迫を、三橋さんは発していた。


「わかっていただけたのならいいです。

……さて、鹿乃子さん。

準備から接客まで、見学されますか?」


振り返った三橋さんはさっきまでの空気が嘘のように、にこやかに笑っていた。


「えっと……。

いいん、ですか?」


さっきから、ちょいちょい三橋さんの様子が気にかかる。

あれも、私が知らない彼なんだろうか。


「はい。

金池様には見習いに仕事を見学させていただけないかとお願いします。

あの方はできた方なので、了承していただけるかと」


「……じゃあ、お願いします」


三橋呉服店の接客が、というよりも、三橋さんの接客に興味があった。

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