第12話

「今日はお土産を買ってきたんです」


ガサゴソと三橋さんが紙袋たちを引き寄せる。


「『藤懸屋ふじかけや』さんの水ようかんです。

お口にあうといいんですが」


ぴくり、と祖父の眉が反応する。

水ようかんは祖父の好物だ。


「あとはいま話題のチーズケーキに、シュークリーム、おはぎと……」


次から次にテーブルの上に並べられていくそれらを、私も、両親も、祖父も、唖然として見ていた。


「あのー、三橋さん?」


「はい?」


どうかしましたか?

とでもいうふうに彼の首が僅かに傾く。


「ありがたいんですが、さすがにこの量は、ちょっと」



自分でも買いすぎだったと気づいたのか、みるみる三橋さんの顔……どころか身体まで赤くなっていく。

とうとう、両手で眼鏡の上から顔を覆って隠してしまった。


「すみません、あれもこれも可愛い鹿乃子さんに食べさせたいと思ったら、つい」


「いえ。

そういう気持ちはわからなくはないので」


すっかり背中を丸め、汚した眼鏡を三橋さんは拭いている。

一回りも年上なのに、そういうところが可愛い……とか言ったら、怒られるだろうか。


「まあな。

うちの鹿乃子は可愛いから、なんでも食わせたくなるのはしょうがない」


なぜか祖父まで少し赤い顔で、ぽりぽりと頬を掻いている。

ああ、うん、じいちゃんも同じだもんね。

出掛けたら鹿乃子に土産だー! って山ほど買ってくるところ。


「……持って帰ります。

本当にすみません」


しょぼんとせっかく出したそれらを袋へまた三橋さんが戻そうとする。


「あ、持って帰らなくても大丈夫ですよ」


「でも、ご迷惑では……」


上目遣いで彼がうかがってくる。


「あー、こういうのはまあ、慣れているので」


さっきも言ったように、祖父がよく大量にお土産を買ってくるのだ。

対処の仕方は慣れている。

それにおしゃべり好きのおばあちゃんに付き合わされている、お隣さんに差し入れしても喜ばれるし。


「それに持って帰ってどうするんですか」


「ひとりで食べます」


さも当たり前、というふうに三橋さんは言っているが、この量をひとりで?

家族に分けたりとかしないんだろうか。


「あの、いまさらですが、三橋さんのご家族は?」


朝食を食べたばかりなのに早速食べる気なのか、母は台所でコーヒーを淹れはじめた。

父は手慣れたもので、それぞれの賞味期限を確かめつつ、私たちの話に聞き耳を立ている。

祖父はといえば新聞を広げ、興味のないフリをしていた。


「祖父母と両親、それに弟がいます。

弟はすでに結婚して家を出ています。

私も実家には住まず、マンションでひとり暮らしですね」


「そうなんですか」


家族の話をするとき、三橋さんは酷く他人事だ。


「私は滅多に実家へ帰りません。

鹿乃子さんも私の家族とは必要最低限の付き合いでかまいませんよ。

いや、それすらしないでいいならさせたくないくらいです」


「……そりゃ、どーいうことだ?」


祖父が新聞をたたみ、じろりと三橋さんを睨みつける。


「言葉どおりの意味です。

私は極力、鹿乃子さんを私の家族と関わらせたくありません」


しかし祖父の方へと身体を向けた三橋さんの声は、淡々としていた。


「そりゃ、家族に問題あり、ってことか」


「……そう、ですね」


ぽつりと呟かれた声は酷く淋しそうで、胸が痛んだ。


「そんな、苦労させるのがわかっているような家へ、可愛い鹿乃子を嫁がせられるかー!

……あいたっ!」


椅子から足を踏み出し、三橋さんの着物の衿を掴んだ祖父だが……その拍子に腰がぐきりといった。

私の耳にもはっきりと聞こえるほどに。


「あいだだだ、俺は鹿乃子を、いだ、いだだだ、幸せにできねぇ、いだだだ」


腰を押さえて呻きながらも、祖父の手は三橋さんから離れない。

恐ろしい執念だ。


「親父、無理するなって」


父が祖父を三橋さんから引き離し、空いている場所へ寝かせる。


「とにかく俺は、許さねぇからな……。

うっ」


起き上がろうとしたものの、痛みで顔をしかめて体勢を元に戻す。


「許していただけるように精一杯、努力いたします」


畳に手をつき、三橋さんがあたまを下げた。


「えっ、あたまを上げてください!」


慌ててやめさせようとするけれど、三橋さんのあたまは上がらない。


「努力しようと認めねぇったら認めねぇからな」


祖父は完全にへそを曲げてしまった。

母がコーヒーをテーブルの上に並べたが、全くもってそういう空気じゃない。


「あ、えっと。

そろそろ行きましょうか!

母さん、コーヒー、ありがとう!

ごめんね!」


「いいのよー、いってらっしゃーい」


ほやほや笑いながら母が手を振る。

こういうとき、空気を読んでくれる母はとても助かる。

だから気難しい祖父ともやっていけているんだろう。


「ほら、三橋さん!

行きますよ!」


「……」


私に急かされ、渋々ながらも三橋さんがあたまを上げる。


「おじい様にお許しいただけるよう、頑張ります」


「ふん」


祖父に後ろ髪を引かれながらも三橋さんは立ち上がり、私と一緒に家を出た。


「不動産屋さんに行きますよね?

少し早いですが」


わざと少し明るい声を出したが。


「……このあいだ鹿乃子さんには、私の家の事情を少しだけですがお話ししましたよね?」


シートベルトを締めた三橋さんの声はどこまでも沈んでいた。


「……はい」


一瞬、エンジンをかける手が止まったが、かまわずにかけて車を出す。


「私は鹿乃子さんを絶対に幸せにします。

それは神に誓って絶対です。

でも、私の家族は……」


三橋さんは完全に俯いてしまった。

それは諦めるという字が辞書にはない三橋さんには見えない。


「なんで今日はそんなことを言うんですか?

私を絶対に妻にするんじゃなかったんですか」


この、変な空気を振り払いたい。

三橋さんにはあの、強引でなぜか自信満々なのが似合うのだ。

これは私の知っている三橋さんじゃなくて、戸惑ってしまう。


「はい、私は可愛い鹿乃子さんを絶対に妻にします」


三橋さんの顔が上がる。

気持ちは持ち直してくれたかと思ったものの。


「でも私の妻になって、鹿乃子さんが不幸になるのなら……」


しかしまた、みるみる視線が落ちていく。


「三橋さんは私を守ってはくれないんですか」


「守ります!

絶対に。

でも、私の家族は……」


でも、と繰り返す三橋さんに、だんだん苛々としてきた。


「なら、いいじゃないですか。

三橋さんが守ってくれるなら多少の嫌なことくらい、私は我慢できます」


「鹿乃子さん……」


ようやく完全に三橋さんのあたまが上がり、ほっとしたのも束の間。


「鹿乃子さんは私の妻になると、決めてくださったんですね」


嬉しそうな声で、自分の言ったことに気づいた。


「えっ、いや、私が三橋さんの妻だったら、って仮定の話であって、まだ結婚は断る気満々ですし」


「そんなに照れなくていいんですよ。

本当に可愛いですね、鹿乃子さんは」


私の話など聞かず、三橋さんはくすくすと楽しそうに笑っている。

勝手に決定されるのは嫌だが、……ま、いっか。

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