第10話

「ただい、……うわっ」


「おうっ、三橋のボンは帰ったのか」


家に帰り、玄関の戸を開けたら祖父が立っていた。

車の音を聞きつけて待っていたらしい。


「帰ったよー。

また来る、って」


「なんか変なことはされなかっただろうな」


「変なこと……」


別れ際のあれが思いだされて一瞬、止まる。


「ナイナイ。

カフェでお茶して、不動産屋行って、夕ごはん食べて帰っただけだから」


「ナイナイって、鹿乃子!

いまの一瞬の間はなんだ!

それに不動産屋、って!」


「あー、うん。

ほんと、なんでもないから。

お風呂入ってきていい?

まだ夜になっても暑いから、汗がベタベタするー」


「おい、鹿乃子!

鹿乃子」


祖父を軽く無視して自分の部屋へと退散する。

着替えを持ってお風呂へ向かう頃には祖父はいなくて、ほっとした。


「はーっ、疲れた……」


浴槽でゆっくり手足を伸ばす。

今日は冬向け半襟の新柄を考えるはずだったのだ。

けれどほぼ半日、三橋さんに振り回された。


「本気で家、借りるつもりなのかな……?」


三橋さんは柔和な見た目と違い、強引だ。

人に訊ねていてもその時点で決定事項になっている。

そもそも、諦めるという言葉はあの人の辞書にはない。

これからも私は、こうやって振り回され、最後は結婚を押し切られるんだろうか。


「いやいや。

ちゃんとお断りするし」


ぶるぶるとあたまを振ったせいで、滴が飛んでいく。

今日、彼の境遇を聞いて同情もした。

力になれたらとも思った。

しかし、それと結婚は別の話だ。


最後だったので掃除までしてあがる。


「……あつ」


冷蔵庫を開けたところでちょうど、母が通りかかった。


「母さんも飲む?」


取り出した麦茶のボトルを少し上げる。


「もらおうかな」


「わかった」


もうひとつグラスを出して麦茶を注ぎ、ボトルを冷蔵庫へ戻す。

母は茶の間へ置きっぱなしだった携帯を取りに来たようだ。


「おじいちゃん、鹿乃子が帰ってこないってずっと、うろうろして待ってたのよ」


台所へ来た母が、ダイニングチェアーへ座るので、私も座った。


「ふーん、そうなんだ」


麦茶を三口ほど飲み、グラスをテーブルの上に置く。

連絡はちゃんと入れたのだ、三橋さんと夕食を食べて帰るから遅くなる、って。


「頭ごなしに反対しちゃいけない、ってわかってるけど、おじいちゃん、爺バカだから」


「……だよね」


母が小さく笑い、私もつられて笑う。

小さい頃からそれこそ、目の中に入れても痛くないほど可愛がられた。

悪いことでない限り、私のすることはなんでも喜んでくれた。

そんな孫の求婚相手など、認められないのはわかる。


「明日、じいちゃんの好きな麩まんじゅう、買ってくるよ。

それでご機嫌、治らないかな」


「鹿乃子が買ってきてくれたんなら、一発よ。

……じゃ、おやすみ」


「おやすみなさい」


麦茶を飲み終わった母が先に椅子を立つ。

グラスを洗って私も、部屋に戻った。


「……あ。

そういえば、メッセ、届いているんだった」


放置してあった携帯を見たら予想どおり、三橋さんからメッセージが届いていた。


【あんなことって、なんですか?

私、なにかしましたっけ?】


「なにかしましたっけ、ってさ……」


とぼけるのか、あれを


【今日は抱き締めた可愛い鹿乃子さんの感触を思い出しながら寝ます】


【次、会えるのを楽しみにしています】


【おやすみなさい】


分身のつもりなのか、同じ眼鏡男子のスタンプが混ぜて貼ってある。

しかも、言うことがなんだか恥ずかしい。


「いますぐお試し期間終了、とか言いたい……」


いや、今日一日で彼のすべてがわかったわけじゃない。

ただ、私はあの人の、TL小説ヒーローぶりが非常に恥ずかしいだけで。

ええ、三橋さんは少女まんがでは鉄板、なんて言っていたが、同じくその設定が鉄板なTL小説の愛読家ですが、なにか?


「年末までってけっこうある……」


まだお試し期間ははじまったばかりなのだ。

これから先が……不安。

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