第9話

そのあとはひたすら、私の話をさせられた。


「可愛い鹿乃子さんの小さい頃はやっぱり、可愛かったんでしょうね」


「どーでしょうか。

勝五郎……あ、以前飼っていた柴犬なんですけど、その勝五郎をお供にして、うろうろしていたみたいですが」


小さい頃の写真には膝に絆創膏を貼った私の隣に、高確率で勝五郎が写っている。

私はお供のつもりだったが、勝五郎にしてみれば世話の焼ける妹分だったのかもしれない。


「へぇ。

ちょっと会ってみたいですね、その頃の可愛い鹿乃子さんに」


「幻滅しますよ、きっと」


しょっちゅう服を汚し、破いてきて、母は「少しは女の子らしくしてー!」と悲鳴を上げていた。

女の子は女の子らしく、なんて全く思っていなかったとしても、そう言いたくなる母の気持ちはいまならわかる。


「そうだ。

今度、来たときに写真を見せてください」


それがさもいい考えだ、と言わんばかりですが……あれは黒歴史なので避けたい。


「私より三橋さんはどうなんですか。

私が生まれたときって……小学六年生ですか」


一回り年上、なんてあまりピンときていなかったし、三橋さんはアラフォーというよりも三十過ぎたばかりという印象なのでさほど気にしていなかったが、こうやって具体的にしてみるとかなり年上なのだと気づいた。


「私の話はいいんですよ。

私は可愛い鹿乃子さんのお話が聞きたいです」


ぽい、と摘まんだお寿司を三橋さんが口へ入れる。

誤魔化された気がする、がしかし先ほどの話を聞けばそれ以上は聞けなかった。


食事も済み、車で駅まで三橋さんを送る。

私は駅で彼を降ろして帰るつもりだったが改札まで見送ってほしいと頼まれ、仕方なく駐車場に車を預けて構内に入った。


「次は五日後に来ます。

ちょうど日曜ですから……お休み、ですよね?」


向かいあって立つ私の手をそっと、三橋さんの手が取った。


「……はい」


「今度、来るときはちゃんと、お土産を買ってきます。

なにが欲しいですか。

……ああ、しまったな。

ご両親やおじい様、おばあ様が好きなものを訊いておけばよかった」


家族に取り入ろうと必死なのがなぜか、おかしい。


「別にお土産なんて、気にしなくていいですよ」


「そういうわけにはいきません」


どこまでも彼は真剣だ。


「じゃあ。

……また、来ます」


「はい」


けれど彼の手は離れない。

手を握ったまま、じっと私を見ている。


「……ダメだな。

五日後にまた会えるとわかっているのに、帰りたくない」


見上げた彼の顔、レンズの向こうの瞳は潤んでいた。


「……抱き締めてもいいですか」


「え……」


いいともなんと言っていないのに軽く手を引っ張られ、必然、彼の胸に飛び込む形になる。

背中に回った彼の手がぎゅっと、私を抱き締めた。

ふわりと香る、爽やかさを残しながらも甘く香る、官能的なラストノートの香り。

それに彼の汗のにおいが混ざったにおいに包まれて、くらっとした。


「……愛してる、鹿乃子」


甘い重低音が鼓膜を震わせる。

ゆっくりと顔を上げた視線の先、眼鏡の下で目尻を下げた彼が見えた。

その高い背を折って身を屈め、ちゅっと額に唇を触れさせて離れる。


「じゃあ、おやすみなさい」


ぼーっと、彼の背中を見送った。

改札を出て彼が見えなくなり、ようやく我に返る。


「えっあっ」


突っ立っている私へ、ちらちらと視線が向かう。

あの人はこんな人の多いところで、いったい、なにを。

人気のないところへ除け、携帯を出して超高速で文字を打ち込む。


【こんなところであんなことはしないでください!】


【次やったら、その時点で結婚の話はナシということで!】


メッセージを送ったが、既読にはならない。

まだホームを移動しているのかもしれない。


「……帰ろう」


駐車場へ戻り、車を出す。

運転中に何度か通知音が鳴った。

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