第5話
「母さん、車借りるねー」
「どーぞー」
玄関から声をかけると、すぐに奥から母の返事があった。
置いてある鍵を掴み、踏みだしかけて、止まる。
「……このままは、ヤバい」
「え?」
ぼそっと呟いた私を、怪訝そうに三橋さんが見る。
今日は一日、どこにも出掛けない予定だったので、よくて近所のコンビニへ行けるくらいのTシャツとハーフパンツ姿だ。
しかも髪は無造作……と言えば聞こえはいいが、雑なお団子だし。
こんな格好で顔面偏差値高い、しかもお洒落着物な三橋さんとなんて出掛けられない。
「三十分……いや、十五分、待ってもらえますか?」
「はい?
別にかまいませんが」
「じゃ、そういうことで」
マッハで三橋さんを茶の間へ座らせ、冷蔵庫から出した麦茶を置いて二階の自分の部屋へ引っ込む。
「で、なにを着ますかね?」
三橋さんが着物なら私も着物を着たい。
着たい、が、いつものパパッと適当着付けでも、十五分で着替えから髪のセット、化粧直しまでは厳しい。
「せめて連絡くれればいいのにー!」
なんていまさら、呪ったところで遅い。
少しだけ考えて、パステルの着物ブラウスと水色のプリーツスカートの組み合わせにした。
このブラウスは自分で染めて、縫ったものだ。
和裁はこの仕事をはじめるにあたって必要だと思ったので、祖母に習った。
祖母と母は和裁士の資格を持っている。
髪は今度こそ、まともな無造作お団子にして、やはり自分で作ったかんざしを挿す。
「まあ、よし!」
鏡の中の自分にゴーサインを出し、茶の間へ急いだ。
「そうなんですか。
それは羨ましいです」
「だからね、あなたもきっと、大丈夫よ」
三橋さんの声と共に、祖母の声も聞こえてきた。
「お待たせしました」
「いえいえ。
おばあ様が話し相手になってくださったので」
いつのまにかコーヒーが出され、しかも祖母がお気に入りのきんつばまで置いてある。
あれは買ってきても絶対、祖父以外には分けないのに。
「鹿乃子は素敵な人と結婚するんだね」
祖母はすでに決定事項のように話しているが……なんの話をしていた?
ちらりと見た、壁に掛かる時計はどうみてもあれから二十分もたっていない。
「あー、うん。
まだわかんないけど。
ちょっと出てくるね、ばあちゃん」
「では、失礼いたします」
祖母に会釈した三橋さんを急かすように家を出た。
駐車場へ周り、母のものであるピンクの軽自動車へ乗る。
「どこへ行くんですか?」
「少し行ったところのカフェです」
エンジンをかけ、車を出す。
流行の背の高い軽自動車ではない母の車だと、三橋さんは少し窮屈そうに見えた。
父の車を借りるべきだったか、とも思ったが、納品用も兼ねた父のステーションワゴンは長いので、私の手には余る。
「その服、可愛いですね」
「えっ、あっ、ありがとうございます」
さらりと褒められるのは、なんだか恥ずかしい。
「もしかしてご自分で作られたのですか」
「ええ、はい。
でも、どうしてわかるんですか」
この着物ブラウスは一見、柄さえ除けば浴衣の裾を切ったようにしか見えない。
だからこれを着て回っても、浴衣のそういう着こなし方としか見られないのに。
「そうですね、微妙に着物の仕立てとは違う気がするので」
……ビンゴ。
細かいところでいえば衿の繰りなんか調整してあるし、大きなところだと身八ツ口は開けていない。
作りは甚平の袖の振りが大きいもの、といったところか。
これも私と、例のコスプレ好き友人とでの研究結果だ。
「よく見てらっしゃるんですね」
「そりゃもう。
なんていったって、可愛い鹿乃子さんが着ていらっしゃるんですから」
私を見て、にっこりと三橋さんが笑う。
「それにそれ、鹿乃子さんの手染めですか」
「あ、えっと。
……染めが雑……ですよね」
はぁーっ、と私の口からため息が落ちていく。
白地から裾へ向かってピンクのグラデーションになるように花を描いて染めたこれは、祖父と父から散々な評価だった。
祖父からの柄や色についての指摘は……仕方ない。
だって、加賀友禅の決まりを守っていないのは自分でもわかっている。
でも父から染めが雑だと言われたのは凹んだ。
自分では上手くできたと自画自賛だったのだ。
しかし父の言うとおり、よく見れば糊の置き方が雑で線がガタガタだし、ぼかしにもムラがある。
できあがったときはこれで製品化! とか思ったが、まだまだなのだ。
「そうですね、技術としてはまだまだだとは思います。
けれど、可愛い鹿乃子さんらしい、素敵な作品だと思います」
「……!」
これで一気に上機嫌になっている私は、チョロいんだろうか。
ううん、チョロくてもいい。
〝素敵な作品〟だなんて褒めてくれたのは、彼が初めてだから。
「あ、ここです」
うきうきとハンドルを切り、駐車場へと車を入れる。
長い一日はまだ、はじまったばかりだとは気づかずに。
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