記憶喪失した剣士ですがヒールしか使えない聖職者に養われてます

笹木ジロ

第1話 聖職者と忘却の剣士



――――君のことはよく知ってる……。だから……死ぬ前に……知ってることを教えてあげないと。


――その人は、苦しそうに息を荒げながらも、優しく笑っていた。




王国『グレンシア』の南方に位置する、平地と自然に囲まれた街『ルミエラ』。


この街は、冒険者たちが行き交う賑やかな場所であり、中央にそびえる城がその象徴だ。


街の一角に、小さな教会がひっそりと存在していた。賑やかな大通りからは少し離れ、穏やかな自然の中で静かな時間が流れている。


「風も心地いいし、暖かい。いい昼寝日和だな」


教会のすぐ横、芝生の上で一人の青年が気持ちよさそうに寝転がっていた。黒髪が風に揺れ、その眠たげな目には赤い瞳がわずかに光っている。


「いい昼寝日和…………なんだけどな……」


横になりながら、どこか残念そうに声を落とした。


そして、少し間を置いて、


「いつもだと……そろそろか」


青年がそう呟くと同時に、教会のドアが勢いよく開いた。


ドアから出てきたのは、純白の聖職者の装いをまとった銀髪の少女だった。彼女の銀色の髪がふわりと揺れ、左耳の上につけた十字架を象った金の髪留めが、太陽の光を反射して輝く。


「ルカ! 今日も恒例の人助けの時間だよ!」


少女はニコニコとした笑顔で、寝ていた青年に声をかける。彼女の笑顔はいつも明るい。


だが、その言葉に対して、青年は少しだけため息をついた。


「人助けとか言ってタダで依頼を受けてるだけだろ」


「ふふん。一日一善は継続が大事なんだよ、ルカ」


少女はどや顔で腰に手を当てて言う。それに対して、ルカと呼ばれた青年は渋々と体を起こしながら小言を漏らす。これが彼らの日常の光景だ。


この少女は一日一善と言いながら、毎日のように街の人間やギルドから無報酬で依頼を受けてきてしまう。そして、ルカはそれに付き合わされている。


前回はたしか、街の人からの依頼でスケルトンの骨を1,2本ほしいと言われて森に入ったのだった。愛犬のために、だとかそんな理由だったはずだが、もちろん戦闘にもなるので、多少の報酬をもらえてもおかしくない。


「というか、報酬がないから俺たち貧乏なんだぞ。昨日の夕食も小魚だけだったし」


ルカが嫌味を言うと、少女の顔が少しだけ険しくなった。


「ルカ。昼寝ばかりしている君を養っているのは、誰かな?」


そう言いながら一歩近づく。


「慈愛に満ちた聖職者ノエル。私だよね?」


ノエルと名乗る聖職者の少女は、もう一歩近づき、


「君が昨日食べたものも、教会のお金でまかなってるんだよ」


さらにもう一歩近づこうとした瞬間、


「その通りです。ごめんなさい」


ルカはすぐに謝罪した。ノエルの怒りをこれ以上買うのは賢明ではないと、本能的に悟った。


「まったく。もう、ルカはすぐ余計なことを言うね」


そう言いながら、ノエルはいくらか機嫌を直してくれたように見えた。


「だったらせめて、俺が何か手ごろでおいしい依頼を受注してくればいいじゃ――――」


「それはだめ。ルカはピンチになると魔法を使おうとするから。魔法は禁止だよ」


ノエルは即座にルカの提案を却下した。


数秒間、二人の間に静寂が訪れた。ルカは少し気まずそうに顔をそらしながら、再び口を開く。


「なぁ。それ前から言ってくるけど、俺の記憶喪失と関係あるのか?」


実は、ルカには、ここ1年間の記憶しかない。それ以前のことは何も覚えていないのだ。


記憶の最初の風景は、この教会の中。そして、こちらに背を向けて壇上で祈りを捧げるノエルの姿だった。


なぜ教会にいたのか、全く心当たりがなかった彼だが、ノエルが言うには教会の前で倒れていたらしい。そしてノエルは、自分の名前も覚えていない彼に、ルカと名づけた。


それから行く当てのない彼は、ノエルの好意で教会に住まわせてもらい、現在に至る。


「知らない。とにかくダメなものはダメだからね。約束だよ」


ノエルのその言葉に、はぐらかされたようにルカは感じた。しかし、それ以上はやめておこうと気持ちの奥に押し込めた。


「とりあえず、今日も聖職者様の気まぐれ人助けに行くか」


ルカはそう言って立ち上がった。


ノエルはいつものようにニコニコと楽しげな笑顔を浮かべながら答える。


「そうだね! 今日の依頼はなかなか面白そうだから期待していいよ」


正直、ノエルはヒールしか使えないんだから戦闘がなさそうな依頼を受けてほしいんだけどな……。


ルカは、内心でそう思いながら、呆れた顔でノエルの顔を見ていた。


すると、


「ん? 今、なにか良くないことを考えてたよね」


ノエルにそう指摘され、ルカはぎくりとした。


「私がヒールしか使えない無能だって、そんな顔してたよね」


「いや……別に……」


ルカは、ばつが悪そうにノエルから顔をそらした。まさか図星を突いてくるなんて。


ごまかそうと何か必死で考えているルカを、ノエルはしばらく納得いかないような表情で睨んでいたが、


「まぁ確かに私はヒール以外は使えないからね。でも難しくない戦闘だったら、剣士のルカがいれば大丈夫でしょ?」


諦めた様子で自身の弱点を認めた。


ルカは剣士としての腕は、並み程度だ。ギルドで出されている正式な魔物討伐はきついが、簡単な依頼内容であれば、ノエルのヒールのおかげでなんとか問題ない、といったところだった。


「とは言ってもね、ルカ。君の剣術はそこそこ、私はヒール以外は使えない。そんな二人で報酬目当ての討伐依頼なんて背伸びしすぎってもんだよ」


ノエルは続ける。


「私が受けてくる依頼は、危険は少なさそうなものだけだからね。ケガすることもあるけど、なんとかなってるし大丈夫。無理そうな依頼は早めに諦めたりもしてるしね」


腕を組みながら話すノエルを見ながら、ルカは真剣な表情で返した。


「タダ働きのことはともかく、ノエルがいろいろ考えてくれてるのはわかった」


君の剣術はそこそこ、という彼女の言葉は、ルカにとって負い目がないと言えば嘘になる。そして無意識にも、その悔しさが一瞬だけ顔に出てしまった。


それを見たノエルは、ルカの顔を真っ直ぐに見つめると、優しい口調で話し始めた。


「私としては、こんな日常も気に入ってるんだよね。一日に一回だれかの助けになれるなら、それは素晴らしいことなんだよ。それに――――」


「行く当てのない君の助けになれているなら、それが一番嬉しいな。贅沢はできないけど、こんな生活もいいなって思うよ」


ノエルはそう言い終えると、にこりと笑う。


ルカは、不意打ちを食らったような顔で徐々に赤面し、やがて照れ隠しで天井に顔を向けた。


「それで? その面白そうな依頼ってなんだよ」


ルカは、照れくさそうに天井に顔を向けたまま尋ねた。ノエルは目を輝かせながら、楽しそうに言った。


「なんとね。魔王軍幹部を討伐してこいだって」


「究極の人助けだな。無理だろ」


「ふふ、冗談だよ」

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