第11話 優しい彼

ハア、ハア…

ハア…

公園の横にある公衆電話の横で座りコーヒーを飲んでいる彼の姿が見えてきた。


なんだ。

コーヒーを飲んでいるって事は、私の家を出てから真っ直ぐここに来たのだろうか?

それなら、警察を呼ぶ時間もあったんじゃないだろうか?


でも、走る私の姿を彼の瞳は捕らえている。今更後悔しても、遅い。


「ご、ごめん。待たせちゃったかな?」


彼の機嫌を損ねないように…。

彼に殴られないように…。

偽りの笑顔を見せた。

きっと、怒られる。

そう思った。


「大丈夫だよ。俺と一緒に来てくれてありがとう。喉乾いただろ?これ、飲めよ!」


と言って、彼は私の頬に冷たい烏龍茶をあてると、烏龍茶のキャップを空けてくれた。

湿気を含んだ気持ち悪い暑さで喉がカラカラだったから、素直に嬉しくて烏龍茶をゴクゴクと飲むとキャップを閉じ、頬にあてた。

ヒンヤリとした感触が体の熱を冷ましてくれて気持ちがいい。


「じゃあ、タクシー呼ぶね」


彼が公衆電話でタクシーを呼び、真っ暗闇の中到着するのを待つ。そんな中考えた。

もう、アパートも無いのに私達はどこに行くのだろうか?

って・・・。


ペットボトルに入った烏龍茶を半分ほど飲んだとこでタクシーが到着したので、彼に続いて乗り込んだ。


「○○まで」


彼が行き先として伝えたのは、ついこの前まで彼と暮らしていたアパートの近くだった。

でも、アパートはもう…。無い。


私の不思議そうな表情に気がついた彼が、


「今日は親父居ないから、俺ん家行く」


と、答えてくれた。

彼の家。

彼が虐待されて育った家はどんな所なんだろうか?

なぜか、そんな事を考えてしまう。


「着いたよ。ここが俺の家!」


彼はそう言うとタクシーの運転手に料金を払い、タクシーから降りる。そして、目の前には真新しい大きな家。


「わあ。綺麗な家だね」

「まあな。親父さえ居なければ最高なんだけどなー」


そんな事を言いながら、彼は私の手をギュッと握って家の中に入った。


「ただいまー」


彼がそう言うと奥の部屋から小さな男の子が現れた。小学中学年って所だろうか?


「とりあえず腹減ったから飯食うかー!!」


彼はそう言いながら私の手を握り締めキッチンに向かうと。


「俺が作るから、あゆみは座ってテレビでも見てて。ほら、今まであゆみにばっかり家事させてたからゆっくりしててね」


と、言うと慣れた手付きで料理をし始めた。


「俺さー。調理師免許欲しかったんだよね。料理だけは得意なんだ!!!美味しいの作るから、楽しみにしてて」


その時の彼は、本当に幸せそうな顔で料理をしていたから、飲食店とかで働くのが向いてるのかな?

なんて、思いながらそんな彼を見ていた。


「あゆみー!出来たよ!!食べて見て!」


びっくりする程、彼の料理の手際は良く、短い時間で私と、彼の弟、彼自身の分のトンカツとお味噌汁を作ってくれた。


私の父親は料理なんてしないから、男の人が料理をする事が不思議でくすぐったい。

ドキドキしながら、彼が作った料理を口に運んだ。そして、彼はそんな私の顔を嬉しそうな表情で見ている。


彼だってお腹が空いているだろうに、幸せそうな柔らかな笑顔で私が食べる所を見つめているんだ。


「どうかな?おいしい?」


変だな。

さっきまで自信満々だった彼が、不安そうな表情でそう聞いてくる。


「うん!凄く美味しいよ!!お店で食べてるみたい!!!」


嘘じゃない。

ダシの効いたお味噌汁は最高に美味しいし、サクサクのトンカツは塩胡椒の加減も丁度良くてソースが苦手な私には最高だ。


「まじで!?嬉しいーわ!!!また、作ってやるからな」

「うん。私が作るよりかなり上手!!なおやに料理習わなきゃ!」


そう言うと、彼は無邪気な顔で笑ってご飯を食べ始めた。なんだか、ちょっと前までの彼とは全然違う。

優しさも。

笑顔も。


そんな彼を見てると、この前まで私を殴っていた彼が別人なんじゃないか?って、あれは悪い夢だったんじゃないか?って、思ってしまうんだ。


ねぇ。

もしかしたら、彼は変わったのかも知れない。確かに勝手に部屋に上がり込んだのは異常だけど、それは私の事が好きなだけで・・・。


もう、彼と一緒に居ても悪い事は起こらないのかも知れない。彼の優しさを目のあたりにしてそんな事を思った。

でもね。

私は親に置き手紙をしてしまった。


だから、そのうち警察か親が私を迎えに来るだろう。そう考えたら、もう少しだけでも彼の事信じてあげれたら良かったのかも知れない。


この日の彼は凄く優しかった。

私の事を殴ったりしないし、気を使ってくれるし、優しい顔で笑ってくれる。


それは、次の日も、その次の日も続いた。

警察も親も、あたしを迎えに来ないし、大丈夫だと思った。

今度こそ幸せになれるんだと思ったんだ。

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