第10話 通じない言葉

親の名前を出せば、諦めてくれるかと思った。

警察の名前を出せば、諦めてくれるかと思った。

なのに。

彼は、諦めない。私と一緒にここを出るまで諦めないつもりだと、思う。


「ねぇ。とりあえず今日はここ出てよ」

「あゆみも一緒に来てくれるの?」

「…」

「もうさ、俺達終わりなの?」


終われたら楽だけど・・・

終わらすつもりだったけど・・・

彼を目の前にして、その言葉を言うのは怖い。だって、未だに染み付いているんだ。

彼=暴力と言う名の恐怖が・・・。


「なあ。俺達もう終わりって事?」

「…。今は、なおやの事がまだ怖いから、もう少し落ち着いてから考えたい」

「なんだよ…。それ…。もう、俺達終わりって事じゃん。そんな遠回しな言い方して、結局別れるつもりなんだろ?俺の事を裏切るつもりなんだろ?もう、いい」


そんな事を言いながら刃物を手に取り、彼は静かに階段の方に向かい歩いた。彼は足音を潜め階段を降りて行く。

一歩。

一歩。

また、一歩。

その手には、刃物の鈍い光。


「ちょっと、待って」


声にならない声でそう答えると、彼は私を見て首を傾けるとニヤニヤ笑いながら私の目の前に来た。



「何?なんか用?」


「用ていうか…。刃物持ち歩くと危ないよ!ほ、ほら。そんなの見つかったら銃刀法違反になっちゃうし……。だから私が預かっておくよ。それに、階段降りてどこに行くの?」


「これは必要だから俺が持っとく。ほら、今から邪魔物達をどうにかしないといけないだろ?」


彼がそう言った瞬間。

ううん。階段を降りた時から私の頭の中に浮かんだ光景は、血だらけになった母と父の姿だった。そんな事はさせない!!!


「邪魔物をどうにかするって、何するの?はっきり答えて」


私がそう言うと、彼は不思議そうな顔で私を見つめると。


「あゆみは親が死んだら辛い?」


わたしに、そう問い掛ける。

これは、脅しだろうか?

震えっ放しの体とは対照的に私の頭の中は冷静だ。


「勿論」

「そっか。あゆみって幸せなんだね。俺にはその気持ちが理解出来ない……。親なんてこの世から消えてしまえばいいのにって、いつも思っている」


そう言って悲しそうな顔をした彼に返す言葉が見つからず、静かな時間が流れた。


「ねぇ、あゆみも俺なんて居なくなればいいって思ってる?」

「えっ!お、思ってないよ。そんな事……」


なんて、嘘で。

早くこの部屋から出て行って欲しいと思っている。


「ははは。あゆみが嘘付いてるの分かるよ。俺さぁ、もう死んじゃおうかな?」


彼は、弱々しい声でボソリとそう呟いた。

違うの。違う。確かに、この部屋からは出て行って欲しいけど………。

死んで欲しいなんて思っていない。ハズ。


あはは。

嘘だ。嘘。

私は彼に殴られている時、何度も願った。

こんな人消えてしまえばいいのに。って。願った。


「なおやに死んでほしいなんて、思ってないよ。死んだら寂しいから……」


これは、本音。

だってさ、人が死んじゃうなんて悲しい事だから。


「だったら、俺と一緒に来てよ。お願いだから………。俺、あゆみが居なくなったら、死ぬしかない」

「分かった」


彼に付いて行くのが一番良い方法だと、思った。そしたら、彼が誰かを傷付ける事も無いだろうし、彼自身が傷付く事も無い。

ううん。


これ以上彼と話しても意味が無い気がするんだ。私が彼と一緒にここを出ない限り彼は諦めない。彼がずっとここに居たら。

そのうち……

何もかもメチャクチャにされそうな気がするし。何より。


【何を言っても理解してくれない彼に】

【何を言っても諦めてくれない彼に】


疲れた。 

彼は自分の思い通りになった瞬間、子供のような無邪気な顔で笑う。


「あゆみ!ありがとう!!やっぱりあゆみは俺の運命の女だ!!!俺にはあゆみだけだよ。もう一生離さないからな!!」


まるで、恋愛漫画に出てくるような台詞をその口で語る。でも、その一つ一つの言葉が。

怖い。

でも、そんな恐怖心なんて気付いてないフリで地獄に足を一歩、一歩と踏み入れて行くんだ。


「ねえ。もう外に出ようか?そういえば、どこからこの部屋に入ったの?」


そうだ。

ずっと気になっていた。

どこから、この部屋に入ったんだろう?って。


「そんなの、簡単な事だよ」

「えっ?」


そう言うと、彼はベランダに出て「鍵閉めてみてー」と、嬉しそうな顔ではしゃいでいる。だから、鍵を閉めると。彼が窓を数回揺さぶっただけで、いとも簡単に鍵は外れてしまった。

鍵が、鍵の役割を果たしていない……なんて

知らなかった。


「あゆみの家って古いじゃん!こんなんじゃ防犯も糞もねぇよ!!簡単に入れるし。ちゃんと、ロック出来る奴に変えた方がいいと思うよ。いつ、殺人犯がお前を殺そうとするか分からないし」

「…」

「あはは。マジびびってるの可愛いー。殺人犯は冗談だけど、泥棒が来るかも知れないじゃん」

「うん。そうだね」

「じゃあ、こんな所出るか!あゆみは玄関から出るの?」

「う、ん。私運動神経悪いから…」

「じゃあ、俺先に行く!近くの公園で待ってるからすぐに来いよ!!」

「うん」


彼の視線を感じながら、少しだけ大きめのバックに着替えの下着を二枚ずつと服を入れ終わると、彼は器用にベランダから下に降りた。ねぇ、ここですぐに親を起こして警察呼んだら助かるんじゃない?


そんな考えが一瞬だけ頭の中を過ぎる。


でも。

警察がくる前に彼が気付いてしまったら?

あの、刃物で、ギタギタに引き裂かれてしまうかも知れない。


迷いながらも親の寝室に行きドアを開けると、母だけがその部屋で眠っていた。

父の姿は無い。


女二人で、彼と戦える?

ううん。例え父が居ても怖い。


私はリビングにあったペンで

【彼氏に脅されました。警察を呼んで下さい】と、書いたメモを残すと、外に飛び出し、彼との約束の場所に走った。


私が来るのが遅くなれば変に思われるかも知れない。だから、痛む横っ腹を無視して全力で走る。

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