第29話

本日の朝食はご飯に味噌汁に卵焼きにほうれん草のおひたし、とアーサーの丸焼き。というのは冗談で、流石に私がアルを止めた。


 業腹だが、本当に業腹だがアーサーは貴重な情報源である。ここでリタイアしてもらっては困るのだ。


 アルは至極残念そうな顔をしつつも大人しく言うことを聞いてくれた。部屋中に漂っていた真っ赤なエネルギーは急速に霧散して、あとはいつものアルに元通り。


 聞き分けの良さに感じ入って頭を撫でてやれば、やっぱりアルはこれ以上無く嬉しそうに笑うのだ。


「うわー、俺これ園児プレイの当て馬じゃん。この世にこのレベルの屈辱ってなかなか無いよ~。貴重な体験しちゃったわー」


 再度不届きなことを言うアーサーの口を黙らせて(方法は企業秘密)、私たちは食卓についた。


 卵焼きを一つ取り上げて、ひょいと口に放り込む。ほのかな出汁の風味とほどよく火の通った柔らかな食感。口の中に卵の自然な甘さが広がっていく。


「美味しい〜!すごいよアル!本当に料理上手になったね!」


 思わず感想が口に出てしまうほど美味しい。卵焼きだけではなく、おひたしも味噌汁も適切な味付けがされている。ご飯はつやつやと輝いてこちらの食欲を刺激した。


 アルの料理に付き合うこともう数週間は経っただろうか。

 最初はつきっきりで教えても人間の食卓の体をなしていない有様にどうしたものかと思ったが……ここまで上達するとは思わなかった。


 最早私の腕前すら飛び越えたんじゃないかと思うほどの出来に、なんだか涙が出そうなぐらいだ。


 美味しさに舌鼓を打ちながらぱくぱくご飯を消化していると、目の前のアルから控えめに声がかかった。


「前にユキが言ってたでしょ。ご飯作るの大変だ〜って。それで少しでもお手伝いできたらって思って……。それに僕、食べてるときのユキの顔が好きなんだ。僕の料理で美味しい〜って幸せになって欲しいと思ってね、それで頑張ったんだよ」


 思わず呻きそうになった。苦しみにではなく、感動に胸打たれて、だ。


 なんて、なんて健気なことを言ってくれるんだ。

 私のそんな小さな愚痴を聞いてくれたばかりか、手伝おうと行動してくれて、しかも私に幸せになって欲しくて頑張っただって?


 この世にこんな尊い魔王がいるだろうか?いやいない。イケメンフェイスにときめく事こそなくても、この健気さには殺されてしまいそうだ。キュン死、という奴である。


「ありがとうねアル〜!もう本当に良い子!こんなに良い魔王見たことないよ〜!」


「へへ……えへへ!褒められちゃった!ね、じゃあまた料理教えてね!僕ユキと料理するのも好きなんだ!」


「いいよいいよ!もちろんいくらでも!それぐらいお安いご用だからね〜!」


 はじけんばかりの笑顔で喜びを表すアルに釣られて、私も満面の笑みになった。


 ああ、なんて良い子なんだろう。本当に魔王だなんて信じられない。こんなに素直でこんなに健気なのに、一体何処が悪いって言うのか。


 つい最近、それこそ数ヶ月前にその力に巻き込まれて死にかけたくせに、私はすっかりとそれを忘れてアルに親しみを感じていた。


 それこそ本当に、実の息子か何かのように愛情を感じていたのだ。


 それが大いなる誤解にして取り返しのつかない過ちだったと知るのは、そう遠くない日の話だった。

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