第25話

困惑を深める私を他所に、菅原さんとアーサーの問答は続く。


「所属組織の仮称を地球防衛軍としますが。あなたは地球防衛軍から派遣されてきた、それはよろしいですか」


「うん、大正解。俺は地球防衛軍から派遣されてきた一般兵卒みたいなもん」


「派遣の目的は?一体何の目的があって一ノ瀬さんの同僚に憑依を?」


「俺は要するに斥候なんだよね。現地環境の偵察と情報収集、集めた情報の送信が主な仕事だよ」


「地球防衛軍とやらが一ノ瀬さんの動向を気にしていたと?何のために?」


「やだなあ、君もわかってるでしょ。魔王が取り憑いてるからに決まってるじゃない」


「な……」


 三度目だ。また思わず声が出た。問答の間中菅原さんに向けられていたアーサーの目が、私の顔に向けられた。


 碧玉の瞳に私が写る。


 にんまりと、あの年齢を感じさせないすごみを浮かべて彼は笑った。


「俺の任務は魔王の現状の調査。顕現した魔王が何もせず留まってるって噂を聞いて、現地で何が起こってるのか確かめてこいと派遣されてきたんだよ。そしたらなんとびっくり、魔王が骨抜きになってるじゃないか。こうなりゃもちろんその調査をするしかないでしょ」


「あなたたちの組織は魔王の調査……敵情視察に来たと言うことですか。地球防衛軍と言うからには、最終的に魔王の討伐を目的としているというわけですね?」


「ん?違うよ?」


「は?」


 菅原さんの怪訝そうな声。

 アーサーはけろりと、こともなげに告げた。


「あれぇ。君たち、魔王の役割なんかとっくのとうに知ってると思ってたけど……そうじゃないの?じゃあなんで魔王と一緒にいるわけ?」


「大変お恥ずかしいことに我々の持つ手段では魔王の封印滅殺を実行することは不可能です。しかし一ノ瀬さんは魔王の抑止力たり得る。そのため彼女を監視員として魔王と共同生活を送っていただいております」


 菅原さんの言葉を聞いて、アーサーは目をぱちぱちと瞬いた。本当に、心の底から驚いたという風に見えた。


 なんだか珍しい。底の知れないこの少年の、本当の表情だと言う気がする。私の方も驚いてアーサーのことをじっと見つめてしまった。


 だが、それも一瞬のこと。アーサーはすぐにその表情をかき消すと、口の端を思いっきりつり上げた。


 その顔に表れるのはまた同じ。少年とは思えない老練な気配と、こちらが恐怖してしまう程の気迫。


「なるほど。なるほどね。そういうこと」


 突如、アーサーの首がぐるりと傾いた。何処を見ているのか。その視線の先に立つのは私……ではなく。

 その背後、私を守るように覆い被さっている、アルだ。


「魔王。お前、知ってるか?自分の生まれた意味」


 アルは答えない。ただ私を後ろから緩く抱きしめて肩に手を回したまま、じっとアーサーのことを見つめている。


 アーサーが勢いよく笑った。


「俺とは会話もしたくないのかあ。あっはは。でもわかるよ。お前、何も知らないんだろ。自分が生まれた意味、理由、目的。まあそりゃそうだ。思考や理解なんて本当はお前に要らないはずの機能だからな。理解するための基盤がないし、人格の方にその記憶がインストールされてるはずもない。ってことはお前も知らないのか。自分の役割が何で、どういう存在で、何のために生きてるのか」


 アルは答えない。アーサーだけがただただ語り続けている。私も菅原さんも、声をあげることすらできなかった。アーサーが何を言っているのかさっぱりだ―。


 アーサーが、視線をもう一度菅原さんに戻す。


「機関はどう考えてるの?」


「何を…」


「魔王の役割。存在意義。目的?言葉は何でもいいや。あいつの存在を何だと見てる?わからないなりに目算ぐらいはあるでしょう?」


 菅原さんは少し眉をしかめたが……結局大人しくアーサーの疑問に答えた。現状、機関の想定している魔王について。ちょうどこの間私に聞かせたのと同じこと。


 アーサーは黙って菅原さんの話を訊いていた。そして、菅原さんの話が終わった時には、ぱちぱちと殊勝にも拍手すらして見せた。


「すごいすごい!なんだ、そこまでわかってるんだ。ほとんど正解みたいなもんじゃない」


「……ほとんど、というからには、違う部分があるのでしょう。そして恐らくはそこが致命的な齟齬と」


「おいおい、どうしてそんなに卑屈なんだ?ほとんど正解って言ってるんだからもっと喜びなよ」


「あなたのその性格が原因ですよ。そこまで無邪気に喜んでいるのは、我々が本質にたどり着けていないのを嬉しがっているに違いありません」


「信用無いなあ。いや、むしろ信用してくれた結果かな。この短時間でそこまで深く俺のことを理解してくれて嬉しいよ」


「私は嬉しくありません」


「あはー、律儀。傷ついちゃう」


 アーサーは椅子に座ったまま、大げさにしなを作って自分の体を抱きしめた。

 どう考えても嘘だ。そして、それは菅原さんも同感らしい。

 アーサーのその猿芝居に何のリアクションを返すこともなく、淡々と告げた。


「答えは?」


「ん?」


「魔王の正体。その本質。我々のつかめていない真実……彼、の機能とやら。教えていただきたい。それは我々の悲願でもある」


 彼、の言葉の時に、菅原さんがちらりと背後に視線をよこした。グラス越しの視線が私に……いや、その背後に立つ人物に向けられていた。


 アル。


 魔王、破壊の使者、厄災の権化。そして、機関の推察するところの神話・伝承に見られる悪の原型、アーキタイプ。


 ほとんど正解、とはどういうことか。そしてそのほとんどを取り除いた先……真実は何なのか。


 魔王とは、一体何なのだ?


 機関発足から数世紀を超える悲願、その願いが今達成されようとしている。


「教えないよー」


「は?」


 今度の声は菅原さんからだった。珍しい。この人はいつも冷徹で冷静、その表情は氷のごとく動かない。なのに、今は全く違う。動揺と驚きをあらわにぽかんと口を開けている。


 その動揺と疑心の視線を一身に受けてなお、アーサーはにっこりと微笑んだ。


「魔王の正体。君たちが何を理解し、何を誤っているのか。それは自分で考えて。俺の教える領分じゃない」


「なっ……!この期に及んで一体なぜ!」


「言ったでしょ。俺、リストラされてるって。今動いてるのは完全に個人の事情。ていうか趣味」


「趣味?」


「そ。そして魔王の正体を教えることは俺の楽しみを壊しちゃう。だから言わない。やりたくないことをやるなんて、仕事の時だけで十分でしょ?」


 アーサーがそう言って、ゆったりと背もたれに自分の体を預けた時。


 部屋に突如として大きな音が鳴り響いた。何事かと身を強張らせる私と、即座に立ち上がって私の側に駆け寄るアル。


 音の発生源に恐る恐る視線を送る。


 菅原さんの足が、床を大きく踏みしめていた。


「ふざけるなよ……」


 地の底を這うような低く暗い声。

 目を瞠る私の前で、菅原さんがゆらりと立ち上がる。

 背中から感じる威圧。怒りの気配が立ち上り、目に見える靄のごとく立ち込めている錯覚を覚えた。


 菅原さんは大股でアーサーに近づき、力任せにその胸倉を掴みかかった。


「菅原さん!」


 私の呼びかけにも反応しない。そのまま体ごと持ち上げる……まではしていないが。アーサーの胸元を強く握りしめたまま、その顔を睨みつけている。


「ふざけるなよ!やっと、やっとここまでたどり着いたんだ!ここに来るまでどれほどの仲間が死んだと思っている!」


 びりびりと震える空気。部屋を満たす怒声。ただただ伝わってくる感情―怒り。


 この上ない怒気をにじませて、菅原さん……世界安定保持機関調査部主任、菅原春彦さんは、目の前の少年に迫った。


「蹂躙されること幾千年、命を賭してこの世界を守るため身を捧げた幾人もの仲間の屍!魔王とそれに繋がる情報を得るためだけに消えていったあまたの人命!お前の抱える情報の欠片、その一端を得るだけでも何人の仲間が犠牲になったと思っている……!それを、それを趣味だと!?そんな理由で諦めきれるか!」


「随分熱くなってるところ悪いけどさあ、君たちが何人死んだとかどれだけの悲願だったかとか、俺には全く何の関係もないよね。自分の趣味を邪魔される筋合いはない……というかメリットがない?そこまでして君たちに協力してあげる理由がないって言ってんの」


 胸倉を掴まれ怒りのままに詰め寄られていると言うのに、アーサーはどこまでも冷静だった。平然とその碧眼に菅原さんの顔を写す。


 怒るでもなく、悲しむでもなく、まさしく無。何の感情も浮かべぬ凪いだ顔のまま。ぞっとするほどの無感情でもって、アーサーは菅原さんを迎えうっている。


「ていうか忘れてない?そもそも俺、君たちに協力してあげる義理自体がないんだよね」


 アーサーがそう言った直後。


 その体が掻き消えた。


「ほら。こんな風にどこに行くでも自由」


 目の前から消えたアーサーに驚きの声をあげる……前に、それは訪れた。自分の隣に降り立つ影。

 気が付けば自分の左隣にアーサーがいる。

 人二人分ぐらいの距離を開けて、私の隣に立っていた。


 驚愕に目を見開く私に向かって、あくまで平和そうにアーサーはひらひらと手を振った。


「だいたい今こうして君たちに協力してること自体、俺の趣味だよ。その趣味に従って情報を開示しなかった程度で責められる謂れはないはずだけど」


 菅原さんは無言だった。背をこちらに向けたまま、アーサーに掴みかかった時の姿勢のまま……前かがみに縮んだままで、そこに立ち尽くしている。


 相変わらず菅原さんの表情は見えない。今、一体彼が何を考えているのか、私にはわからなかった。


 やがて菅原さんが起き上がった。両手が自分の首元に伸びる。ネクタイを直しているのだろうか。軽い衣擦れの音がする。


 ややあって振り向いた時には、すっかりといつもの菅原さんに戻っていた。


「その通りですね。非礼をお詫びします。アーサー」


 相変わらずの無表情。声音にも雰囲気にも先ほどの様子など微塵も感じさせず。菅原春彦さんはまた完璧な鉄面皮を保ったまま、そっとアーサーに向かって謝罪した。


「いいよー、別に。俺たち怒りとか悲しみとかそういうのないしね」


「そのあたり、もう少し詳しく話を訊かせていただけますか。我々はあなたの情報を欲している。どんなかすかな手がかりでもお聞かせ願えればと思っております」


「もちろん。このぐらいなら俺の趣味にも反しないし」


 アーサーがつま先で軽く地面を叩く。

 すると、また瞬きの間に彼の身体は移動していた。


 菅原さんの正面の椅子に先ほどと同じく腰掛けながら、足をぶらぶらと揺らしている。


「さて。それじゃ何を教えてほしい。何でも聞いて?答えるかは気分次第だけど」


 麗しく、天使のように微笑むアーサー。


 菅原さんの様子は、それ以降一切変わらなかった。

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