二                 


 連絡通路内に入ると達也と別れる。達也のロッカーは西で私は東だった。コインロッカーまで来ると数日分の料金を入れ扉を開ける。預けていたいくつかの紙袋を引っ張り出すと、そこに押し込んでおいた衣類を取り出しリュックの中に詰め込む。

 腕時計に目をやる。待ち合わせまでにまだ時間がある。私はあてもなく歩き出す。ここは鉄道路線の五社局が乗り入れるターミナル駅であり、そこに商業施設への進入口なども繋がっている。そのため通路は広範囲に及ぶ。東口から西口へのそれは整備されたものの全体的な複雑ぶり自体は変わらない。循環するように繋がっていたり迷路のようでもあり、通路図片手に通っても簡単には頭に入らない。それはまるで地下深くに広がる巨樹の根を連想させもする。そこを移動する人の数も常に奔流で、多国籍な言語も飛び交っている。交差路はさらに入り乱れていて、合流と分岐を繰り返したその流れはどこに辿り着くのかと不思議に思えることもある。

 頭の中に達也が発した声が棘みたいに刺さってこだましていた。

 ――姉さんだってこの放浪生活いつまで続けるつもりなんだよ――

 探偵事務所で見習いをしていた。そんな過去について達也から話を聞いたことがある。そこで失敗を重ねていづらくなり辞めたという。おそらく話し方の感じからみて、事務所とも言い合いが増えて喧嘩別れでもしたのではないか。そんな推測もできる。ただその後、自殺したお姉様を巡って人探しをするために路上に出たのだと教えてもらった。達也の実姉は仲間と飲食店ビジネスの計画を立てていたがそれが頓挫。その末の悲劇だという。ただ具体的に何があったのかは分からず、話を聞くため達也はその後姿を消した仲間の人間を探しているらしかった。つまり探偵見習いをしていたのも人の探し方を学ぶためだったと。こんな探偵見習いがいるだろうかと初めは思ったがエクステは祈りを込めてつけたもので職を辞してから行ったものだという。

 次第に私の方ではやるせない気持を抱くようにもなっていった。彼をこっち側のことに巻き込んでいるのではないかと。だからこそ道を別つのもお互いのためには必要。と移動の度に訴えてはきたが。

 人探しという意味では二人がやっていることは同じ。そんな達也からすれば、私を見て何か言いたくなったのだろうか。お前は、現実から逃避するだけの弱虫だ。心を盲目にすることに長けたに過ぎない。全部を受け入れる度量は初めからない。そんなふうに達也から叱咤されるのではないか。

 その希望は継ぎ接ぎだらけで崩れ落ちる寸前。それを無理に補強して誤魔化そうとしているだけだ。頭の中で悶々と自虐を転がしながら歩いていると、デジタルサイネージと呼ばれる画像広告板が等間隔で設置された場所に出る。画面にはチカチカと動画が映っている。ふと男性にもらった封書のことを思い出す。

 私はそれをリュックから取り出すとその場で封を解いて中身を確かめてみる。

 折りたたまれたA四の紙が一枚。そこには文字が印字されていた。


 あなたには感謝しています。

 せめてもの気持ちとして、

 その願いに寄り添えればと考えております。


 しかしただ叶えるわけにはゆきません。

 あなたに求められているのはミッションの遂行です。

 警察よりも先にヒトガタパズル事件の謎を解明してください。それができた暁にあなたの渇望は満たされるでしょう。


 当然ながらお巡りさんとの協力関係は厳禁です。

 無理強いはしません。

 ただ期待は決して裏切りません。

 今後はそばで動きを見守らせていただきます。

 私の名はSCTY。

 どうぞお見知りおきを。


 ミッション、ヒトガタパズル、SCTY。

 それらが単なる記号にしか見えず、文面の意味が中々頭に入ってこなかった。これは一体何なのか。

 感謝の気持ちとか、願いに寄り添いたいと書かれてはいるが、これは本当に自分に向けられた内容だろうか。人違いではないか。封筒を見るとその中には他にも何かが入っていた。取り出してみるとカードと一枚の写真だった。

 それを目にした瞬間、血が体を一気に駆け上がってゆくのを止めることができなかった。楽しそうに通り過ぎる人々。その誰もが怪しく皆が敵に思えてくる。通路の人の動きとは逆方向にかきわけるように早足に歩いてゆく。これを手渡してきた男の顔を必死に思い返しながら。このまま静止したらどうにかなりそうだった。

 写真に目を落す。

 そこに写っていたのは雅樹の姿だった。部屋にいる姿を撮影したものとみられる変哲もないスナップ。けれどそれはかつて雅樹を拘束していたとみられる人物が送ってきたうちの一枚に違いなかった。

 雅樹は変わり種の売れっ子占い師だった。彼はノンフィクション系のものを書く作家でありながら一方でトランプ占いで多くのファンを持つ人気者だった。そんな彼が姿を消したのは今から五年近く前。後に何者かによって捕らわれていたことが判明する。身代金といった要求を突きつけることもせず、犯人は不可解な手口を取り続けた。警察は動いたものの真相は解明されず、雅樹の消息は杳として知れなかった。

 私は諦め切れず探偵事務所に調査を依頼する。が、朗報は聞けず。その後もビラを配り方々を歩いて回った。さらに全国の占い関係の人間を片っ端から訪ね歩き情報を集めるというローラー作戦を開始する。真実を知るまでは朽ち果てることはできないという気持ちは強かった。一方で想像や憶測だけで上書きされる毎日に決着をつけたい。もうこの現実にピリオドを打ちたい。という半分諦めに近い思いを持ち合わせるようになってきているのもまた事実。それでも雅樹の胸の内を推しはかりつつ幻に寄り添うという生き方が無意味だとは考えたくなかった。アルコールを水みたいに飲んで、内臓が口から飛び出すほどの嘔吐を繰り返しながら現実逃避するのに比べれば。私が占いに手を出したのだって、雅樹が励んでいたことを追体験すれば離れずにいられるのでないかという子どもじみた理由からだ。

 手相を見た場所まで引き返す。男を見つけてこれは一体何なのかを確かめるために。ただその気持ちもはうまく続かなかった。戻ったところで再会できる保証はどこにもない。占いで見るのは相手の手だけで、その人間の個人情報はまったく聞かない。だから渡してきた男が誰なのか知りようもない。どこにいるのかさえわからなかった。今さら探しにいっても無駄足に終わるのは明らかだった。

 どこに行ったらいいのかも分からなくなって私の足は停滞しだす。手立てはなく、糸が切れて方向性を見失った凧のように徘徊するだけ。怒りと信じられないという気持と不快感と悲しみのようなものがぐるぐると捩じ交ざるだけ。この状況。今の自分そのものではないか。行き着く先を見いだせず、どうにもならない感情を抱えたまま持て余すしかない厄介な存在としての自分と。

 足がもつれて転びそうになる。体勢を立て直すも、通りゆく人間の肩がぶつかり私の体が揺れた。

 弾みで手に持っていたカードが宙を舞った。

 落下してきたそれは、砂時計の絵柄が描かれたスペードの九のカードだった。オリジナルでつくらせたトランプだから同じものは存在しない。そう教えてくれたのは雅樹で、目の前にあるのは紛れもなく彼の愛用品だった。見間違えるはずがない。どんな意味があってこれがここに存在するのか。暗い想像が膨らみ胸を抉ってくる。これは悪意。その想像は私の体を一瞬で痙攣させ、頭が思考することを拒否しようとする。私は両足を失った鳥と同じだ。歩くこともできなければ、どこかにうまく着地することもできない。そんなイメージが私を襲う。

 いつか見た雅樹の背中。玄関先に立つ後姿が頭に浮かんだ。占い師は自らの先を予想しない。占うためには客観的なスタンスを保つことが重要。そういう意識は自分に対しては甘くなるから。けれど彼なら自分のことさえ占えたかもしれない。どんな時でも冷静で強気なところがあったから。だとしても占い師は必ずしも自分の悪運を避けられるわけではない。雅樹がそれを証明していた。

 膝がガタガタと震えて私はその場に崩れる。

 号泣している自分に気づいた。通路に響き渡るほどの声を漏らしながら。周囲を行き交う顔が全てこちらに向いてくる。けれど辺りの声や音は耳には届かなかった。嗚咽。無限と思えるほど迸る何かは、私の中のある全部をいくらぶちまけ続けても止まらない気がした。なぜ泣いているのか自分でも理解できなかった。わけの分からない人間にただ記憶を弄ばれているだけではないか。そんな思いが神経を逆なでするほどのうねりになって、抑えていた留め金のようなものを決壊させた。それが体にしまい込んだ全ての感情を呼び起こす結果を招いた。そういうことなのかもしれなかった。


 どこかの進入口からいつの間にか通路を出ていた。その後も、答えのない問いを抱えたまま新宿の街をさ迷うしかなかった。泣いたからなのか、けだるさと地に足がつかない浮遊感のようなものが体に纏わりついていた。

 ぶるぶるとさっきから電話のバイブレーションが止まらない。けれどそんなものを気にする余裕はなかった。封書を開けてどのくらいの時間が経ったのか。それもよく分からないまま、気づけば西新宿の路地まで歩いて来ていた。

 渡してきた男の顔。それが頭から離れなかった。以前にも私に手相を見てもらったと言っていたが。自分の記憶が正しければ雅樹が失踪した周辺でも見たことや会ったことはない。一体何者なのか。

 リュックに手を伸ばす。そこから占いの本を取り出す。それは雅樹が著したものだった。占うことに手を出すようになってから、雅樹が置いていったその本は擦り切れるほど目を通していた。今では形見のようなものだった。その中のトランプのページを開く。確かカードにはそれぞれ二つの意味が存在する。正位置をベースにして、天地が逆さまになった方は逆位置と言って反対や裏の意味がある。スペードの九の正位置は全てが裏目に出てさらに不幸になる。逆位置は最悪の状況を脱して希望が持てる。表裏一体。意味も反転する。カードの暗示程度に希望を繋ぎ止めたがっている。そんな自分が情けなさ過ぎてもう笑うしかなかった。

 駆けてくる足音と息遣い。

 それが次第に近づいてきて私は振り向く。

「ったくよ」姿を見せたのは達也だった。「電話しても全然出ねえしわけわけんねえぜ。さっき連絡通路で別れたからまだそこにでもいんのかもって探したけどよ。いるわけねえんだ。仕方ねえから片っ端から人に聞いてみっと、人の流れと逆に歩く変な女がいるとか号泣する女がいるって情報がいくつかあって。それが姉さんかもしんねえと思ってな。そこらで聞きまくった聞きまくった」

 それでどうにかここまで追いかけてきたというわけか。達也の行動力と臭覚は時に人並み外れている。でもなぜなのか。

「達也。言いたいことを伝えにここまで追いかけてきたの?」

「ちげえよ。今はそんな話じゃねえ。姉さんは約束破って何も連絡してこねえ女じゃねえってことくらいは俺だって分かる。一体何が起こってんのか教えろよ」

「できない」私は被りを振る。「達也には関係のないことだもの」

「端折んのか? そんなんで納得すると思ってのかよ」

 達也の声が強くなる。

「言わない方があなたのためよ」

「ためってな、それは俺自身が決めることだぜ」

「達也。挨拶を省いてここでお別れ。ということにしましょ。あなたにもやらなければならないことはあるんだから。そうでしょ?」

「こんな状況で自分のことに集中できると思ってんのか」

「もう巻き込めない。その気持ちぐらい汲み取ってくれてもいいでしょ? あなただって、そこまで子どもじゃないでしょ」

「ガキって言いたければ言えばいいだろ。俺は別に気にしねえ」

 こんな時にやり取りする内容じゃなかった。私は踵を返しそのまま歩き出す。私に何が起こっているのかなんてもう達也が知る必要はない。それぞれの道を歩めばいい。それだけの話なのに。

「話は終わってねえんだぜ」

「ここで刺し違える覚悟ある?」歩きながら、私は後ろの達也に向けて声を張り上げる。「達也が勝ったら言うことを聞いてあげるわ」

 言った言葉の恥ずかしさに顔がじわじわと熱くなる。我ながら低レベルなことを口にしたものだ。頭の中の収拾がつかなくなっている証拠かもしれない。

「姉さんとやりあいたいわけじゃねえんだ。こんな形で別れんのはおかしいし辻褄が合わねえって言ってんだよ」

「生きてればね」言いながら早歩きに、さらに小走りになる。「唐突にやってくる別れだってあるわ」

 私はそのまま振り切るようにダッシュする。

「逃げんなや」達也の声が追ってくる。

 勝手すぎるだろうか。

 でもこんな方法しか今は思いつけなかった。こんな突き放し方しかできないなんて。情けなかった。本当なら時に妙な直感力を持つこの若者を助っ人にしたいという気持もなくはない。でもこれ以上彼の時間を削っていいのか。その判断ができなかった。だからもうこれでいい。引き離すようにして私は路地の角を右に曲がる。

 向かって左の二つ目のビルの中に駆け込むように入ってゆく。

 後を追って来た達也が一瞬どこに行ったのか分からないような様子で戸惑っている。それを肩越しに見ながら奥に進む。エレベーターホールを避けて建物の非常階段側に出る。そこを一気に五階まで駆け上がってからフロアに戻る。息を整えながら見慣れた自動ドアの前まで歩くとそこを通り抜けて事務エリアに入る。そこも無言で通行する。スタッフたちのざわつきを完全に無視しそのまま通路の角を曲がる。そこに現れたのは左右いくつものドアだった。

 一番奥の左側のドアに私は手をかける。おそらくすぐに警備員がやってくるはずだ。捕まる前にどうにかしたい。カード式のため開くはずはなかったがドアノブを強引に何度も捻り続ける。開けてと祈りながら。果たしてこの事務所にまだ在籍しているのか。それだって定かではない。

 祈りが通じたのか扉がゆっくりと開く。

「無礼を承知でうかがったわ」

 そこに現れた人間の顔を見て私はそれだけ口にする。

「誰かと思えば」

 野宮京平は懐かしさと哀れみが混じったような表情を顔に滲ませただけで、傍若無人な来訪者に別段驚く顔も見せなかった。彼はドアを開けたまま中に入って行く。私も無言でそれに続く。

 両側の壁が書籍が詰まった棚で覆われた部屋。記憶のあるレイアウトに変化はない。正面窓際にある木製の事務机に野宮は座る。見るものを一瞬で射抜くような意地の悪そうな目をしている。感情を簡単には表に出さないポーカーフェイス。そこに滲んでいるのは堅牢なプライドだろうか。安直に反論でもするものなら理論武装でコテンパンにやられてしまう。そんな印象は最後に会った時からまったく変わっていない。より強調されているようにさえ思えてくる。膨大な情報収集とその分析の明晰さ。そこからくる理論の説得力。それは法曹界でも一目置かれていた。彼は知り合いでなければこちらから話しかけることも躊躇われるような人間だった。

 内線のベルが鳴る。彼はそれを取ると、「しなくていい。問題ない」とだけ言ってすぐに切る。

 私はその目の前へと歩いてゆく。

「きょうはどんなご用向きで? 弁護の依頼ならアポを取ってからにしてくれないか」

「依頼じゃないわ。これについてあなたの意見を聞きたいの」

 便箋と写真が入ったクラフト封筒を野宮の机の上に置いた。

「唐突にやって来て、意見だと?」

 野宮は無表情のまま封筒を見ようともしなかった。

 こんな形でここを再訪するなんて思いもしなかった。新宿の街に訪れてからも一度として私は足を向けていないし、連絡一つ入れていない。なのになぜここなのか。都合よく縋りつきたいから。というより思考不能寸前の頭をどうにか宥めたかったからだ。

「ここ数日、ある噂を聞いた。新宿で女がそこら辺に寝転んだり流れの占い師みたいなことをやっている。それがどうやらお前だとな。でも信じなかった。いくら実刑を食らった身とは言え、お前ほどの女が生きた屍のような姿を晒すなんて考えもしなかったからな」

 街の厄介者としての噂が野宮の耳にも届いていたということか。

「その薄汚れた男物の衣服を見るとどうやら噂もデマじゃないようだな。四十を過ぎた女が人生にどんな落ちをつけようが文句を言う気はない。きょうはそのエピソードでも披露しに来たってわけか」

 その目には言葉通りに揶揄するような光はなかった。あるのはもっと鋭く抉ってくるような眼差しだった。

「きょう路上で占いをして、客がその封筒を感謝の気持ちとして私に寄越してきたの。中にはすぐには意味が呑み込めない文書が封入されていた。それが一体何なのか知りたいの」

 野宮は存在しないもののように目も向けなかった封筒に手を伸ばす。中身をゆっくりと確かめると首を振り、小さなため息を一つ吐いてからより冷たさが増した視線を寄越してくる。

「昔、馬鹿な女が一人いたがどうやら今もそれほど変わりはないらしい。頭に血が上ってどうすることもできず私のところに転がり込んできて、挙句の果てに半分人を疑ってかかっている。この私は偶然新宿にいてお前のこともよく知る人物だからな。そうだろ?」

「違う。そんな話じゃない。それをどう思うのか聞きたかっただけ」

 険しい表情のまま野宮は渡された文書一式をこちらに投げてくる。

「それを寄こしてきた人物は全ての事情を知っていて写真まで所持していた。ただその出所についてお前以上に私が知るわけもない」

 文書一式を手にすると私は踵を返す。

「どうするつもりだ」

「分からないわ」

「ゴタゴタに足を踏み込んで非論理的な行動を起こせば、手遅れな事態に足を踏み入れることになる。言えるとしたらそれくらいだ」

 ドアに手をかけてそのまま立ち止まる。確かに冷静さを欠いて自分を見失えば墓穴を掘ることは目に見えている。せめてそうなるのを食い止めるためここに来たのかもしれない。

「連絡先。あるなら置いていけ」

 言われて一瞬迷ったが、大量の書類が載ったパイプ机の上にあるメモ用紙を手にして、携帯電話の番号を走り書きする。それを棚の本の間に差し込んで部屋を出る。「早まった行動だけは取るなよ」という言葉が追いかけるように飛んでくる。後ろ髪を引かれる。本来なら土下座でもして謝るのが筋だ。けれどそんなことができるほどのスペースは今の自分のメンタルにはなかった。

 ビルから出ても、これからどうすればいいのか分からなかった。謎の人物からのメッセージが頭の中で点滅する。

 ――あなたの渇望は満たされるでしょう――

 一体それは何を指しているのか。雅樹の消息に関わる情報と考えるのはこちら側の希望的観測でしかない。ただ同封されたあの写真とカードからすればそうだと思わざるを得ない。きょうの朝、配られていた号外のことを思い出してリュックから引っ張り出す。


「池袋駅、東京駅、上野駅にある各電話ボックスで、鍵のかかったケースのようなものが発見された。警察に押収されたそれらは都内の公園で見つかった三遺体の遺留品の鍵によって解かれた。中にはそれぞれ、USBメモリ、SDカード、人間のものと思わしき切断された指が入っていた。それらはかねてからヒトガタパズルと名乗る人物が犯行声明の中で予告していた「トライアングルギフト」なるものだとみられている――」


 そこまで読んで畏怖の念を禁じえなかった。

 ここに首を突っ込めだなんて。冗談にしか思えなかった。封書を渡してきた人物の素性や目論見も不明。全ての状況が不可解にすぎる。これから何が始まろうとしているのか。考えるだけで不安が押し寄せてくる。けれどそれでもと私は冷静になるよう思い直してみる。SCTYと名乗る人物は事件の真相を探りたがっている。ならばその周辺に潜む人物の可能性もある。無視して相手の出方を見るよりこちらから攻めることでその正体に迫ってゆけるのではないか。

 くぐもった音が響いてくる。リュックから携帯電話を取り出すとディスプレイには非通知の文字が表示されていた。出るとさっき会ったばかりの男の声が耳に響いてくる。

「なぜ固執する」

 いきなり聞いてくる。

「それは雅樹のこと?」

 聞き返すと、野宮は返事を寄越さなかった。

「下手なのよ。諦めるのが」

「要求に乗るつもりなのか?」

 今度はこっちが無言で電話を切ろうする。声が追いかけてくる。

「どうするつもりなんだ?」

「放っといてよ」

「一人足掻いたところで、いい年ぶら下げた宿無し女にできることなんてあると思うか?」

「これは私の問題だわ」

「なら助太刀してくれる人間が誰かいるのか」

 冷静な声で野宮が現実を突きつけてくる。その指摘に反論できる言葉は今の自分にはなかった。繋がりは絶えて伝手は皆無に等しい。いるとすればこんな電話をかけてくる男くらいだった。

「放り出すとお前は何をするか分からん。暴走機関車と化して歯止めがきかなくなった女の弁護なんてもうしたくはない」

「分かってるわ。同じことは繰り返さない」

「だったら一回こっちに戻って来るんだな。協力できるほど私も暇じゃないから手は貸さん。ただ最低限のことだけはしてやる」

 はっきりとした返事もせず私は電話を切った。

 強がれるほどの余力は今の自分にはない。差し伸べられた手を握るしかなかった。再度、野宮のいるビルに向かうため道を戻る。

 目の前の路地から誰かが通せんぼするように現れる。達也だった。

「どうなってんのか知らねえがトラぶってんのは間違いねえんだろ。だったらバイバイとはなんねえぜ。どんだけ拒否されようとな」

 頬を一発叩いてやろうか。それで伝わるかどうかは分からなくても。その律義さを安売りせずに別の場所で使って欲しいのに。

「達也は自分のことに力を注いでよ」

「でもここで俺が出張んなきゃ、どこで借りを返すんだって話だろ」

 説得する気が失せて、私は無言で達也の横を歩き去る。

「こっちにはこっちの筋ってもんがあんだぜ」

 筋の通し方はそれぞれ違う。私は黙ったまま足を止めなかった。

「無視かよ!」

 後を追いかけてくるのは分かっていたが、私は振り返らずにビルまで戻る。

 野宮が外に待ち構えており車が用意されていた。彼が乗れと指示してくる。私はそこに足を入れようとして一瞬だけ達也の方を見る。けれどその姿はなかった。諦めてくれたのだと思いたかった。

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