罠から逃げるな
金谷塚薫
第一章 セオリー通りにいかない二人
一
雅樹が笑っている。
こちらを見ながら楽しそうに。
そこまで笑顔を寄越すのだから、さぞご機嫌なことがあったに違いない。誰かに何かを褒められたとか。臨時の収入が入った。あるいは納得のゆく役を演じられて悦に入っているのだろうか。
ねえ教えてよ。雅樹。
切なる気持ちで聞いてみる。
けれど彼は返事をしない。笑顔を寄越すだけで。
だったら一つだけでも答えて欲しい。私たちはうまくやれていたの? それが聞きたくて、触れたくなって近づき手を伸ばそうとする。少しでも気持ちを確かめたい。けれど煙が風の中に溶けるようにその姿は消える。
遠くから眺めるだけの儚い幻影。だから無理に距離を詰めれば消滅する。分かっていた。それでも近づこうとする行為を止められない。あと少しで触れられそうなのに――遠い場所にいる。
刺すような空気に頬をつねられて私は目を開けた。
ここは屋内だがそれでも気温の低さに無防備な肌は敏感だった。寒さは体のあちこちに影響を及ぼす。今年は肩にきた。妙にしつこい鈍痛に腕をグルグル回してみる。
雅樹がいなくなってから巡ってきた冬。それが何度目を数えるのか。指を折ってまで確かめる気にはなれなかった。
すぐ目の前にエレベーターフロアがあり、そこに数人の人の姿が見えた。こちらにちらっと顔を向けてからすぐ視線を逸らす。あるいは侮蔑が滲んだような眼差しを投げてくる。
そんな人たちの反応に屈辱は感じなかった。むしろそれで良い。この状況の説明を求められる面倒に比べたら放っておいてくれる方がベストだからだ。まあこんなところで時間潰しをしているような女に触れてくる物好きな人間もそうはいないが。声をかけてくるのは巡回に来る警備員か子どもくらいだ。
後ろに顔を向けると七階のガラス窓から新宿の街並みが見えた。このフリースペースは商業施設地区にあるショッピングモールの一角に存在する。腕時計を見ると針は正午まであと五分の位置にある。どうやら腰かけに座って二十分ほど寝落ちしていたようだ。ここを利用しても文句は言われないが、施設の運営側に煙たがられるので長居はできない。ただ浅い眠りを取るのにここはちょうどいい場所だった。こんな所はいくつかあるが特にお気に入りだ。
雅樹の残像がまだ瞼の裏に残っていた。もう少しここでうとうとしていたいところだが、考えあぐねていたことを思い出すと目が冴えてくる。携帯電話を見ると電源が切れていた。きのう充電をし忘れようだ。私は軽く舌打ちして傍らのリュックを引き寄せる。
周りには様々なものが出しっぱなしになっていた。何枚かの新聞紙と毛布一枚、お茶の入ったペットボトル、地図帳、小型ラジオといったものだ。私はそれらをリュックに詰め込みながら、一方で頭の中から後回しにしていたことを引っ張り出す。この街から離れるべきかどうかについて。そろそろはっきりさせたかった。
新宿に来てから半年。私の収入は安定期を迎えていた。立ったまま行う三十分五百円の街角手相占い。それが主な収入源だった。あらゆるものを飲みつくすモンスター。そんな印象さえ抱かせるこの街では占いを面白がってくれる客にも遭遇しやすかった。
ただ潮時というものはある。ネットカフェで過ごすことが多いとは言え、公共の場やフリースペースを使って休んだり時には地べたに座り込むこともある。あるいは占う行為を繰り返す。そうやって四十の後半になろうとする住所不定女がうろつけば嫌煙されるし、警察から目をつけられるのも当然と言えば当然だった。何度となく職質を受けていたしこれ以上痛い腹を探られのは避けたかった。それに占いを極めて収入を増やすのが本来の目的ではないという思いもあった。もう移動しよう。決めた。
決心がついたならもたもたするのは嫌だった。その前にまずは充電が先だ。路上で生きていると連絡手段としての携帯電話の存在はやはり大きい。携帯キャリアショップか家電ショップでならただでできるが距離的に近くない。コンビニエンスストアでもコンセントの利用可能なところがある。ただ使えるのはイートインコーナーでこの時間は埋まっている可能性が高い。やはり利用慣れしているネットカフェの店舗に足が向く。
馴染みの店に入る。同店は昨夜も利用しており、その際に充電をし忘れたのだ。うんざりする思いでエレベーターを降りると店内は混雑していた。充電ボックスのコーナーに行くと全て使用中。さらに部屋も満室だという。諦めて外に出る。
昼間のこんな時間に利用者が多すぎる。別のネットカフェに向かうことにする。何かを読みながら歩く人間とすれ違う。号外だ。確かさっきのフリースペースに出向く前、駅周辺で配られていたので私ももらった。それほど興味が沸かず、すぐリュックに仕舞ってそのままだが。紙面には確かヒトガタと踊っていたようだが。
肩を叩かれる。
「いいかな。お願いしても」
その声の方に振り向くと、目の前に立っていたのは白い髪を短く刈り込んだ男性だった。
「前に、あなたに占ってもらったことがあってな」
「私にですか?」
「うん。あなたの手相占いのファンなんだよ。前の時は、もう少しだけ幸せになるにはどうしたらいいのかって聞いたんだけどな」
男性の顔とそんな占いをした記憶は私の中にはなかった。
「のぼりがいつもリュックから突き出ていて街角手相占いと書かれてる。それが目印なんだ。きょうは出てないみたいだがな」
その通りだった。路上で占う場合、折り畳み式の小型ののぼり旗を立てて行う。それを知っているということはやはり前に占っているのだろうか。路上占いは当然ながら客の顔ぶれが常に違う。名前も聞かずに行うし顔まで覚えていないことも多い。どちらにしても占って欲しいというのなら断るものでもない。充電は後回しだ。
「ありがとうございます。きょうはどんなことを見ましょうか」
「健康面が気になるんだよ。塩っ辛いのと甘いもんは控えてくれって医者からよく言われるんだ」
常に数値が高いと注意され、そんなに長くはないのかと不安になることもあるという。そこを見てくれと言われ、男性の手を掴む。手相を見る際にいつも気にしているのは、嘘くさくない表情をどれだけできるかだった。顔の表面に信用できる表情を被せるよう意識しながら手相を見るようにしていた。あるいは触った時に自分の手が冷たいとか熱いとかも意識する。
どこかで教えを受けたわけではない。占いは独学で身につけたものだった。知識は書物を漁っただけ。手相を選んだのにも大きな意味はない。希望を失った女がいつからか路上に出て糊口をしのぐために占いをしているだけに過ぎなかった。
「そこまで悪い線は出てないです」
「ちゃんと本当のことを言ってくれよ」
男性が真剣な目で聞いてくる。
「ええ。生命線の中央にアイランドと言って、島のような小さな空白が存在しているのが気になる部分ではあるんですけど」
それは健康面で不安な暗示を示すものだった。それを見たままを正直に伝える。
「もう俺は駄目なんだな?」
「そういうことではなくて。食べるもの。例えば塩分を少なめにしたり、野菜を多く取るようにしたり。お酒を控えたり。それだけで健康面の数値は変わるはずです」
「そんなのは医者から散々言われて耳にタコができてるよ。私はしたいようにしたいんだ。それで駄目ならもう諦めるしかないんだろうね」
そうだと言いたかった。自分の責任の上ならどんなふうに生きてもいい。それに文句を言われる筋合いはないと。けれどそうじゃないことを言って欲しい場合もあるのが占いだった。
「長生きしたくないんですか」
「どうだかね。生きてれば楽しいこともあるかね?」
「ありますよ。生きてるだけで儲けものです。ちょっとでもいいので健康面に留意してみてください」
男性が静かに頷く。
「ありがとう。あなたみたいな人とこうやって話せるんだから。やっぱり捨てたものじゃないよな。人生も」
占いもその半分以上は会話が物を言う。その当たり前の結論にいつも辿り着く。雅樹がいつか口にしていた言葉は常に頭のどこかにあった。
――占うのに大切なのは対人間の心の縁を覗けるかどうかだ。特殊な力なんてなくてもいい。
だからセラピーと占いはどこか似ている。
二十分近く世間話を交わして、三十分五百円ですと伝えると男性は千円札を三枚出してきた。おつりを出そうとすると全部もらってくれと言う。チップだよと。ありがたくちょうだいする。さらにありがとうの気持ちだと言って男性が封筒を手渡してくる。
「これは金銭じゃないから。じゃあまた」
感謝の念を返しながら背を向け歩き去ってゆくその姿を私は見守った。
封書は手紙のようなものだろうか。中身は後で確認しようとリュックに仕舞う。もう会えないかもしれないとは言えなかった。この町を去ろうと思っている。そんな結論に傾いたとも伝えられなかった。
せっかくだからこのまま場所を変えてもう少しやろうかと思った。のぼり旗を立ててしばらく歩く。路上占いと移動は常にセットだった。なるべく同じ所ではやらないようにしていた。お気に入りの場所を決めようものなら、面識のない人間から脅しに近いことを言われることがある。さらに道路占有許可は必要ないはずなのに警察からもいい顔はされない。だから路上では一日数時間がいいところで、それだけでは大きな稼ぎにはならない。実入りが良いのはやはりイベントだった。それは新宿で交流のある占い師の組織が行うもので専用の会場が使われる。欠員が出た際に呼んでもらってそこのブースで一日占いをする。それだけでいい収入になる。度々呼んでもらっていて、きのうもそこで占うことができた。
すぐ目の前にカラオケ店が見えた。携帯電話の充電器を設置する店が増えていると聞く。とん挫した充電の方を先に済ましたい。占いを切り上げ、そこに入ってみることにする。
普段はほとんど利用しないが入ってみると中に有料の充電サービスコーナーがあった。一時間百五十円。すぐに利用する。便利だった。行き慣れてない店舗は避けがちだったがたまには行ってみるものだなと思う。ようやく携帯電話の電源が復活した。
まだ充電途中だったが、数分前に着信が入ったようなので相手に折り返す。
「姉さん。いくらきのうのイベントが忙しかったからって、電話切ってるとかありえねえだろ」
鹿島達也の声が耳に飛び込んでくる。
「充電ができてなくて」
達也が無言を返してくる。呆れている様子が伝わってくる。
「したつもりができてなか……し忘れたのね」
「簡単に忘れんなよな。俺たちみたいな人間は連絡を取りたい時に取れねえってのはマジ論外だろ」
「分かってる。反省してます」
決まった住まいがない身として、その場その場でどこでどうするかは電話で決めることも多くある。それが使えない状況となれば達也がイライラするのも当然かもしれない。
「きのうの打ち上げだって、久々に飲んでたのに姉さん急にいなくなるし。何も言わずにだぜ」
「店で馴染みの客にばったり会って。屋敷に連れていかれたの」
冗談だろうという感じで達也が失笑する。
「適当なこと言ってるぜまったくよ。もう昼の二時半近いけど俺何も食ってねんだ。姉さんは?」
まだだと答えると一緒に食べようという話になった。
「でも、今カラオケ店で充電中。あと一時間くらいは無理だわ」
「だったら俺がそっち行くわ。中で食えばいいじゃん。場所は?」
言われた通り、カラオケ店の場所を口頭で伝える。
先にカラオケ利用で入室。二十分ほど待っていると扉が開いた。 首を曲げるようにして達也が入ってきた。二メートルを超えるだろうその背丈ではどこかに入出する際はいつも少し窮屈そうだ。
「充電は気をつけろって、いつも言ってんだろ」
正面のソファに座るなり達也が小言を口にしてくる。
私は黙って頭をぺこりと下げる。
「何も注文してねえのかよ。先に飲み物くらい頼めばいいだろ」
「そうね。ちょっとぼうっとしてたわ。携帯電話充電しようと思ってネットカフェをはしごしようとしてたら、占って欲しいって男性が現れて」
「へえ。どんな奴だよ」
「年齢はかなり上の人よ。占い料金もかなり多めにくれて。最後に感謝の気持ちだってお手紙までくれたの」
まじかと言いながら達也が室内にある受話器を外して耳に当てる。
「適当に頼むぜ」
達也がテキパキと注文を済ませる。
「きのう久々飲んだけど、姉さん結構大人しかったな」
「そもそも私はそんなに飲む方じゃないもの」
「嘘ばっか。酔うと猫みたいに甘えるし。ダンスもするんだぜ」
猫にダンス。ありえない。反論する気も起こらず笑って返す。
サンドイッチやおにぎりにポテトサラダ、ソフトドリンクといった注文品が到着する。二人でそれらに手をつける。
「こんなとこで食べても、食事している気がしないわね」
「そんなこたねえよ。カラオケ店は飲食店でもあるって俺は思うぜ。屋根もあるしよ。全然ましだろ」
確かにそうだ。炊き出しにお世話になったり、時に捨てられたものを漁ってそれを口に運ぶこともある。
感覚がおかしくなっているわけではないし、抵抗がないとは言えない。ただこの生活に慣れた部分はある。プライドや女としての恥じらいは捨てた。というより麻痺した。そんな言い方がより正しいかもしれない。
早くここから脱出すればいいだけ。と叱咤する自分もいるにはいる。ただどこかに勤めて収入を得るという謙虚さを持てるほど現実に期待を寄せるのは難しかった。昔属した場所に戻るという発想を持続させるのはもっと困難だった。
この年齢になって、こんな膿んだ自意識を抱えてこんな状況に陥るだなんて。それは結局自分自身が選んだゆえの結果と言える。ただそこに誰かを巻き込むのは話が別になる。
「せっかくだし何曲か歌ってくか」
達也が煙草を取り出して火をつけるとカラオケの電目を手にする。
自分よりも二回り若い人間に私は目をやる。
そこにいるのは一見すると何者なのか分からない青年だった。色抜けした細身のジーンズに黄色のジップアップ型ダウンジャケットというスタイルが彼の定番。短い黒髪だが、後ろにだけカラフルなエクステが何本か編み上げられている。耳や鼻には髑髏の形をしたシルバーのピアスが複数刺し抜かれているため、どこか不穏な印象も纏っている。長身からくる威圧感も手伝ってビジュアルはかなり強烈だった。口調はどこか江戸っ子調で時に粗雑。ポテトサラダが好物。一方で時に妙な直感力と手先の器用さ、律義さを併せ持つ若者だった。
一曲歌い終えたそんな男子に私は聞いてみる。
「達也、この生活に疑問は感じないの」
「んなわけねえだろ。ただ慣れってのは怖いもんだぜ。恥ずかしいって感覚、どっかに捨ててきちまったからな」
そんなことを言う達也もそこまで奇特な人間ではないはずだ。私に恩を感じていつまでもくっついているだけで。無理に路上を連れまわしているのではないか。そんなふうにも思えてくることもある。
街から街へ。鹿島達也とはそんな生活の中で出合った。彼は複数のたちの悪そうな人間に囲まれてやり合いながらも多勢に無勢といった感じで袋叩きにされていた。そこに私が割って入って助けたことがきかっけで知り合った。それからというもの、彼は命を救ってくれた礼だけはさせてくれと言ってついてくるようになった。
初めは抵抗があった。けれど彼とはどこか馬が合った。その話し方も自分の昔の仲間を連想させてどこか気楽でよかった。いつからかお互いが名前で呼び合う間柄と化してゆき、彼の判断に任せようと思うまでに私の気持ちも変わっていった。二人の関係は男と女のそれではなく男友達に近かった。
その両手には長い鎖状の手錠がかかっており、「俺は暴力を封印する。姉さんの断りなく喧嘩はしねえ」と言って鍵を私に手渡してきた。確かにそれ以降、達也は暴力沙汰を起こしていない。鍵は今も私が持っていた。
連続で達也がアニメ主題歌を歌い終えたのを見て、私は一呼吸置いてから口にする。
「でね、やっぱりきょうでこの街を去ろうと思って」
「またそれか。迷ってるってここ数日聞かされてきたけどよ。新宿は稼げるしいいってあれだけ言ってたじゃんか」
「でも長くい過ぎたわ。もう決めたの」
「わかった」
「達也はどうするの」
私は聞いてみる。
「毎回毎回聞くなよ。分岐のタイミングだかなんだか知らねえけど」
「一応聞いておきたいの。いつも言ってるけど、二人で動くことが必ずしもベストな状態とは限らないわ。正しい選択をして欲しいとは思ってるから」
「俺がいいって言えばそれがベストじゃんか」達也の声がいくぶん尖る。「そりゃ俺らが路上にいる理由は違うかもしんねえ。でも俺は姉さんに借りがある。それを返さねえでここでお別れなんてのはやっぱりありえねえよ」
このやり取り。移動の度に起こる。
「あくまでそこにこだわるのね。でも貸しを作ったつもりはないわ」
「同じこと言うのもなんだけどよ。姉さんが助けてくれなければ俺は潰されてた」語尾が裏返ったその声には熱のこもったような響きがあった。「俺みたいな野良犬、奴らにやられなくても結局は行き倒れるかパクられるかする運命だったかもしんねえけど」
これ以上ヒートアップすれば、売り言葉に買い言葉の喧嘩に発展する。そう感じて私はひとまず反論せず黙り込む。
「だいたい、姉さんだってこの放浪生活いつまで続けるつもりなんだよ。俺に諭すようなことばかり言ってけど」
「私のことはどうでもいいわ」
「どうでもいいってなんだよ。自分のことになると途端に無口になりやがってよ。なんで路上にいるのかだってちゃんと教えてくれたこともねえし。秘密主義なんだよな。その左手に刻まれてるMのタトゥーだって一体誰を指してんのかとか全然教えてくんねえもんな。どうせ俺のことなんて子ども扱いなんだろ」
私は否定の被りを振った。
「いくら年下でも俺もそこまで間抜けじゃねえんだぜ。誰かを探してんだろ? 方々の占い師を訪ねてるのもそれと無関係じゃねえ。気づかねえふりしてたけどな。きのうの夜だってそうだろ。打ち上げの席で情報を耳にしてバックレた。その真偽を確かめたくて情報先に出向いた。でも結局は期待外れだったとかそんなとこだろ?」
打ち明けてもいないのに彼は余計なことまで知っているようだ。行動を共にしていれば仕方ないことではあるけれど。
果たしてこの生活をいつまで続けるのか。その結論を出すには自分を納得させる落としどころを掴むしかない。それまでは諦めたくはない。そこだけはぶれない自分でいたかった。
「とにかく俺はもう少し姉さんの道行きにつき添うつもりでいる。助っ人として借りを返せるまではな。もちろん俺がしなきゃなんねえことも同時にやってくつもりではいるけどよ」
いつもと変り映えしないやり取りに終始するだけだった。
「なら判断は任せるけど」私はレシートを手にする。「ここから移動するって話はもう決定よ。だから荷物を取りに行かないと」
駅の連絡通路内にあるロッカーに衣類などを預けてある。それを回収しなければならなかった。
「それからこれ。いつか返しておきたいと思ってたの」
達也にはめられている手錠の鍵を私はテーブルの上に置いた。
「なんでだよ」
「無理やり繋ぎ止めて拘束しているみたいで嫌だもの」
言って私は立ち上がる。
「それから話があるとかって言ってたわよね? イベントが入ったりでバタバタして後回しになったけど。ロッカーに向かう途中でも良ければ話を聞くわ」
達也は返事をせず、どこかはっきりしないというような表情のままソファから立ち上がる。
「どうかした?」
「なんでもねえよ」達也が先に部屋を出る。
会計を済ませ、充電がほぼ済んだ携帯電話も回収して外に出る。
「具体的にどっち系の話なの?」私は聞いてみる。
「たいしたことじゃねえんだ。ちょっと言っておきてえだけで」
言うものの彼は喋らず、首を捻って言い淀んでいるふうに見えた。
「私に対してそんなに言いづらいことでもあるの」
「そうじゃねえんだが」
はっきりとものを言う達也にしては珍しかった。一方で彼は一度黙ると頑なまでに無口になるタイプの人間でもあった。
「このまま荷物取りに行きつつどこかで待ち合わせでもする?」
その提案に達也は無言の後、「ああ」と一言口にする。
今から一時間後に伊勢丹で待ち合わせる約束を達也と交わした。
それは単なる思いつきだった。
クッション置けば言いたいこともまとまるだろうと。
ただ彼が何を伝えようとしているのかは分からなかった。
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