第36話
その細く短い通路を抜けると、その先のフロアは少し広くなっていてカウンターのようなものがありその中にさっきの人はいた。
店全体もかなり薄暗くて、唯一ある灯りはカウンターの中のその人のいる場所だけだった。
「…あの、」
カウンターの中で手元を見つめていたその人は、私のその声にチラッと目線だけをこちらに寄越した。
「買ってきました、カレールウ」
「…ご苦労さん」
それからすぐに「ここ置けよ」と言ってその人は目の前のカウンターの台をコンコンッと叩いたのだけれど、それが右手に持っていたらしいナイフの先端で叩かれたもんだから私はその突如現れた物騒なものに思わずビクッと震えた。
「なんっ…なっ、えっ!?」
「は?」
「ナイフ…は、危ないと思いますけど?」
自分で言っておいて何だそれと思ったけれど、次の瞬間その人の左手に人参が見えたからナイフを持つその理由は完全に私の早とちりであることが分かった。
「何言ってんだよ、お前。いいからさっさとそれよこせ」
「あ、はいっ、」
私はその人の前まで歩いて行くと、袋からカレールウの箱を取り出してそれを置いた。
「…あと、これ」
そう言ってその横に今一緒に買ってきた消毒液を置くと、チラッとそれを見たその人は何も言わずにまた切っていた人参に視線を戻した。
「…包丁ないんですか?」
「ない」
包丁はないのにそのサイズのナイフがある不思議だよね。一体何に使うんだろう。
果物を積極的に食べるタイプにも見えないけど。
…いや、たぶん知らない方が幸せだ。
「……」
「……」
頼まれていたおつかいは無事に果たせて特にもう話すこともなくなったけれど、私にはまだこのまま立ち去れないもう一つの目的があった。
カレールウのお金…返してもらわなきゃ…
消毒液は仕方ないとして、こっちは請求してもいいと思うんだよね。
助けてもらったお礼で言うならこのおつかいこそがもうそれに値すると思うし。
でも何となくこちらからそれは言いづらくて、立ったままの私にその人もまた何も言ってこないから私は何となく野菜を切るその人をひたすら見つめていた。
意外に器用だな…
「ナイフの使い方がうまいですね」
「使い慣れてるからな」
「へぇ…えっ!?」
それが包丁なら“へぇ、自炊するんだ意外”なんて言って軽く流せるけれど、それがナイフとなればちょっと話は変わってくる。
「なっ、慣れてるんですかっ!?やっぱりそういう意味のナイフ!?」
完全に変な目を向けながらそう言った私に、その人は野菜を切りつつもほんの少し口元を緩ませた。
「お前、自分でうまいとか言っといて焦るなよ」
続けてその人は、「冗談に決まってんだろ」と言った。
「いや…その見た目でその冗談は通じないです」
「あ、そう」
なぜか少しだけ和らいだ私達の空気に、私は何となく店内を見渡した。
「ここ、俺の店って言ってましたよね?」
「おう」
「何屋さんなんですか?」
「何屋に見える?」
うーん…
椅子は二、三個しかないけどカウンターがあるし、今は誰もいないけどそれなりに広いし…
「…ぼったくりバーですかね?」
思いついたことを思いついたまま口にした私に、その人は今度こそフッとしっかり笑った。
「お前そういうことは思っても言うもんじゃねぇぞ」
やっぱり…
この人、たぶん見た目ほど悪い人じゃないな。
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