第31話

挨拶に来た人に向かっていきなり“帰れ”だなんて…



育ちが悪いにも程がある。



「え…?あの…今何て言っ」


「だから挨拶。終わったなら帰れって」


彼の声と言葉を改めてしっかりとこの耳で聞き取った私は、頭の中で“この人ってこんな声だったんだ…”と思いながらも思わず「あぁー…」と不満そうに言葉をこぼした。



ここまでくればその顔をしっかり見たいと思うのは欲張りでも何でもないと思う。



だって一年半以上もこの人との繋がりを大事にしてきた私にとって、目すらも合ったことがないなんてあんまりだ。


これだけ頻繁に会っているにもかかわらず、この人は私の存在に気付いてすらいない。


もちろんだからこそ私は一年半以上も彼を見ていられたんだろうけれど、そんな一方的である事実が私をどこか寂しくもさせた。



だからこそ思う。



これまでの彼との“縁”が本当に“運命”だったとするならば、今私がその顔を見たい、その目に私を映してほしいと思うのはむしろ当たり前のことなんじゃないか、と。



「あのこれ…洗剤なんですけど、よかっ」


「いらない」


「あー…やっぱり液体の方が良かったですか?」


「どっちもいらないから」


「でも粉末は粉末でそれなりにメリットはありますよ?まず何よりもコスパがいいです。それに粉末は液体より洗浄力に優れていて皮脂汚れを落としやすいので、作業着のひどい汚れも」


「だからいらねぇって…!」



“作業着”という言葉を言った瞬間“しまった!”と思った私だったけれど、そんな私の言葉を遠慮なく遮った彼はその点は何も引っかからなかったらしい。


語気が強まったあたりを思えば、そんなことよりもとにかく私に早く帰ってほしそうだ。


まぁ今ならそれも少しラッキーに思えた。


“何で俺が作業着を着ていることを知っているんだ”なんて言われようものならば、さすがにちょっと回避できそうにない。


馬鹿正直に“ずっと見ていました”とも言えない。



彼の言葉はやっぱり少し乱暴で、確かに下のおばあちゃんの言っていた人柄とぴったり一致した。



“いつも無愛想でムスッとしててものすごく印象も悪い”



今更だけど、あれは全て彼のことだったんだよなぁ…




あのおばあちゃんに先に彼の雰囲気を聞いておいてよかったかもしれない。


私と彼を繋いできたこの一年半強という時間は私にとって短くもあり長くもあるのだけれど、それでも“見ている”だけである以上彼の内面的な部分を知ることはできなかった。



何も情報がない状況でそんな態度を取られたら、私は普通にショックを受けてなんなら軽く寝込んでいたかもしれない。


でも下のおばあちゃんのおかげでそれなりの覚悟ができていたのか、“帰れ”なんて言われたくらいで私は簡単に引き下がることなんてできなかった。




…とはいえ、今の私にはこの洗剤の話以外に彼へ投げかける他の話題が思いつくこともなく、



「あー…えっと…今更ですけど洗剤って洗濯洗剤のことで…」


「……」


「すみません、やっぱり粉末とか使いづらいですよね!?」


「……」


言葉はまた何も返ってこなくなってしまったけれど、そこにいるのは分かっていた。


私はやっぱり顔を見たくてたまらなかったけれど、まぁ初日なら会話ができただけで十分かな。



チャンスならこれから先いくらでもあるし。




「……じゃあここに置いておきます!いらないなら捨てるなりなんなり好きにしてもらって構わないので!」


「……」



やっぱり何も言わないか…



渋々ながらにやっと引き下がる決心ができた私は、そう言って彼の部屋のドアの前に粉末洗剤の箱を置いた。



それからすぐに彼の部屋の前から立ち去ると、私は隣である自分の部屋の前へ戻りドアノブを掴んで今一度彼の部屋のドアを見つめた。






見えない…




…けど、いる。




“運命”には何か不思議な力があるらしく、そのドアの前に立たなくたってすぐそこに彼がいるのが分かった。



その判断にはっきりと言い切れるような根拠は何もなく、実際のところいるのかいないのかを確かめることすらもできないのに私にはなぜかそうだと言い切れる自信があった。











こんな感覚は生まれて初めてだった。



願いが叶ったような高揚感にほんの少しの緊張が入り混じったような、なんともふわふわして落ち着かない、でも決して不快ではないような…



“浮かれる”ってきっとこういうことだな、と私は自分の部屋のドアを開けながら思った。

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