第7話


 十月十日とつきとおか。それはやや子が母の腹にいる期間。


 そろそろ産まれるのではないかと伊津が光明寺を訪ったのはひと月前のこと。季節は二つほど過ぎ去っていた。


 華菜恋の子が産まれたと報せが届いても良いものだが、一向に伊津は姿を見せなかった。


 しかしその日、光明寺には客人があった。

 身なりの良い壮年の男性は怒りと悲しみをたたえた表情で叫び始める。


「芽衣胡! 芽衣胡はどこだっ!!」


 叫び声に気付いた光生は秋乃に命じて芽衣胡を奥へ隠し、そして光生は何も知らぬ顔で男性の前へゆったりと歩いていく。


「おやおや、いかがされましたかな?」

「オイッ、芽衣胡を出せ!!」


 男性は眉を寄せて光生ににじり寄ると墨染めの袷を掴んだ。


「どこに隠したっ?」

「何をで、ございましょう?」

「とぼけるな!! お前は何だ!!」

「光生でございます。ここの住職ですよ。貴殿は?」

万里小路通綱までのこうじみちつな。芽衣胡の父だっ! いいから芽衣胡を出せ! ここにいることは知っているのだからな。父親が来たのだ、会わせろ!!」

「そうは申しましても……。十五年、何の音沙汰もなく突然現れて『父親だ』なんてあまりにも――」

「ああ、うるさいっ!!」


 芽衣胡の父だと言う通綱は光生の袷から手を放し、光生の胸をどんと押す。

 片足を後ろに下げて踏みとどまった光生は「乱暴だなあ」とのんびりとした口調でつぶやいた。


「お前では話しにならぬわっ」


 光生を越して本堂の中へと向かう通綱の背に光生は「どこへ?」と声を掛ける。

 しかし光生の問いに返す声はない。


「やれやれ、どうしたものですかな?」


 芽衣胡が隠れている奥の間も見つかるのは時間の問題。それに通綱の態度がどんなに悪くとも、芽衣胡の父親に変わりない。


「一体何だって、捨てた娘に会いに来たというのだ?」


 もし芽衣胡が父親に会いたいという気持ちがあるならば会わせなければならないだろう――光生はそう考えながら通綱より先回りして奥に向かったのだった。




 足音を忍ばせた光生が奥の間に小さく声を掛けると秋乃が「はい」と返した。


「秋乃、芽衣胡は?」

「地袋に隠しました」


 部屋の奥にある戸棚の下に視線をやった光生は側まで近寄って腰を落とすと小さくささやく。


「芽衣胡? 芽衣胡の父という者がそなたを探しておるようだ。芽衣胡はいかがしたい? 私と一緒に会ってみるかな?」

「父?」

「ああ。しかしだな、私は会わせたくはない。良い気がしないのだ」


 光生の胸は嫌な予感にざわめいていた。


 しかし芽衣胡は、父に会えば華菜恋のことが分かるかもしれないと地袋の戸を一寸開ける。


「わたしは父に会いたいです」

「ああー、やはりそうなるか。いやいや芽衣胡が決めたことならば反対はしないが、同席させてもらうぞ?」

「はい」


 秋乃に手を引かれて地袋を出ると芽衣胡は光生の墨色の背を追って通綱の元へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る