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第14話

夏休みが明けた。

結局夏休み最後の二週間は、肩書きだけで十分だという結論に至り、誘われても断り続けて誰にも会わなかった。それもこれも、口を滑らせるのが怖かっただけだけど。

二学期始業式の今日、私は覚悟を決めて学校に来た。まだ、完全に病気に蝕まれる前に。謙介くんに別れ話をしなければいけないから。

「緋鞠、おはよう」

遊園地に行ったあの日ぶりの謙介くんは、私の中で彼不足だったのか、つい「好き」と口からこぼれてしまいそうになるほど、かっこよかった。

「……おはよう」

「あっという間だったな、夏休み」

「そうだね」

「でも今年は、今までで一番幸せな夏だった」

「私も」

とりあえずそれらしい雰囲気を匂わせてはみるけど、謙介くんのニコニコは曇ることを知らないらしい。全然気付かない。

「謙介くん。今日、帰り時間ある?」

「うん。あるけど、どうした?」

やっと異変に気づいたみたいで、さっきの笑顔を残しつつ、不安そうな表情も混ぜてきた。

どうしよう。かわいい。まるでそこまで責められることをしていないのに、とりあえずやらかしましたって顔をしている子犬みたいだ。

……ごめんね。本当に、ごめん。

こんなことになるなら、告白しなければよかった。両片思いで、それが謙介くんの片思いに変わってしまえばよかった。その気持ちを、お互いずっと知ることもなく。

「ちょっと、大事な話があるの」

「……なに?僕なんかした?」

きっと今の発言からして、謙介くんは別れ話をされるって察している。これでいい。

「違うよ。違う。謙介くんに問題はない」

「じゃあ、なに?」

「……ごめん。今は話したくない。放課後、一緒に帰ろう」

「わかった」

謙介くんは不服そうに言うと、私の隣を離れることなく教室まで一緒に歩く。誰も私たちが恋人だとか、隣同士で歩いていることを噂していない。少し期待したのに。夏休みに入る前とは違う関係性。少しくらい冷やかしが入ってもよくない?

まぁ、もう別れるのだけど。

「緋鞠、おはよ。上手くいったみたいで、安心した」

いた。ここに一人。

「ありがとう。杏鈴」

謙介くんと教室に入って、それぞれ自分の席に座ると、そのまま杏鈴は私の前の人のイスに座って、話を始めた。

「緋鞠のことだから、私がああ言っても気にして付き合わない方を取っちゃうんじゃないかって、心配してたんだよね」

私、なんか言われたっけ。謙介くんが実は……的な話をされた覚えはないし、特に杏鈴から謙介くんの話題が出たことはない。私の記憶の中には。

「緋鞠?どうかした?」

「ん?んーん。どうもしないよ」

とりあえず、話題を逸らさないといけない。きっと、この感じからして、私の病気が忘れさせていることだろうから。

「それより、夏休みどうだった?」

とりあえず誰もが今日話すであろうことを聞く。夏休み明けでよかった。こういう、何も話すことがないことを助けてくれるような簡単な話題があるから。

「ずっと部活。合宿行ったんだけど、炎天下の中でランニングのカウントさせられたの、やっぱり去年と一緒でしんどかった」

「それでそれで?合宿ってほかに何するの?」

正直聞いたところで興味がないから、病気だろうがそうじゃなかろうが、寝たら忘れてしまうんだろうけど。それでも今は、朝のホームルームまでの時間を一方的に話させて潰したい。

「市民体育館が隣にあるんだけどね、そこで試合してるのをスコア取りながら見たりとか。まぁ、ここまでは学校でやってることとそんなに変わらないんだけど、夜になるとやっぱり、違うんだよね」

「例えば?」

「みんな合宿ってなるとテンション高くなるみたいで、コーチが手持ち花火買ってきてくれたり、毎年恒例の合宿所での肝試し大会やったりして、高校生らしい部活の青春を味わった!って感じかな」

「へぇー。いいね、それ」

「でも大半練習だから、キツイことのが多いんだけどね。部員の方がだけど」

「そっか」

あと五分。どうにかして、話し続けてほしい。私に話を振らないで、そのまま杏鈴が一人で話してほしい。

「こうやって話すの久しぶりだよね。夏休み前も、私が素っ気なくしてたから、ちょっと学校来るのドキドキしてたんだよね」

「そうだっけ」

あ、やばい。やってしまった。つい、何も考えずに返してしまった。

「そうだよー。緋鞠にとっては忘れられるほど小さいことだったのかもしれないけど、私は緋鞠を失うかもって思ったら気が気じゃなかったよ」

「それだけ私のことが好きってこと?」

「そうだよ。私、誰よりも緋鞠のこと大好きだからね」

「私も、杏鈴のこと大好きだよ。何があっても、ずっと」

余計なことを挟んでしまったかな。でも、本当にそう思ってるから。

もし杏鈴のことを忘れてしまう日が来ても、今、この先の未来もずっと大好きだと思ってることは嘘じゃない。

「明日、一緒に帰ろう。カフェでケーキ食べながら、プチ女子会やろうよ」

それで、そこで病気を患ってしまったことを話そう。それでもきっと、杏鈴はそばにいてくれる。大事な親友だから。

「うん。明日は部活もないし、久々に一緒に帰ろ」

「ありがとう。約束ね」

「うん。約束」

小指を絡めて、指切りげんまんと声を揃えて歌う。こんな日々も忘れてしまうなんて、考えただけで泣いてしまいそうだ。偽物に見えないような偽物の笑顔を作ることだけが、今の私にできること。

小指が離れてすぐ、チャイムが鳴った。

朝のホームルームが終わると、滝沢先生に連れられて行った体育館で一時間越えの夏休みの部活動表彰を含む始業式。午後から夏休み課題の範囲の実力テストを国語と数学の二教科を受けて、今日は終わり。明日は理科、社会、英語の三教科と、そのあとからは普通に授業が始まる。

ほとんど毎日、夜の時間で勉強をした割にはあまり解けなかったテストを明日も受けるのかと思うと既に気が重い。

「緋鞠、帰ろう」

先に帰りの準備を終えた謙介くんが、私の机の前に立った。もう、肩書きさえも捨てなければいけない時がやってきてしまった。

「うん」

さすがに笑えなかった。口角を無理やりあげることさえしんどかった。謙介くんが隣にいるのに、足取りは重くなる一方だ。

「ちょっと、寄ってかない?」

目に入った公園を指さした。歩きながら話すのも、面と向かって話すのも泣いてしまいそうで、せめて隣同士、顔を見ずに話したかった。公園にあるブランコは、最適だった。

「うん。そうしようか」

すべり台とブランコ、鉄棒しかない小さな公園は、きっと小さいころにしか使わないような場所で、場違いなんだろうな、とこれから言わなければいけないことから逃げるように思った。

「それで、大事な話って?」

沈黙を破るように、謙介くんの声が公園内に小さく響いた。ブランコに座って、少し経ったときだった。

「私とっ」

私と別れてほしい。

いざその短い言葉を言おうとすると、言葉が詰まる。喉に引っかかったまま、でてきてくれない。

「……私と」

「……うん」

返事が辛い。好きな人を振ることが、こんなに心に重くのしかかって、痛くて。苦しくて仕方ないことだと、わかってはいたけど。想像以上にしんどくて、泣いてしまいそうになる。

どうしてもその手を離したくない。

まだずっと、私のことを見ていてほしい。

あんなことがあったよねって、過去のことで笑い合いたい。

好きだよって、思ったときにその思いを伝えたい。

謙介くんに辛いことがあったら抱きしめたい。抱きしめて、私はいつも謙介くんの味方だよって伝えたい。

当たり前のように来年、再来年の口約束を交わしたい。

何気ない毎日を過ごして、幸せだねって笑い合いたい。

でも、叶わない。この夢は、この魔法は。ここで終わるのが私の運命なんだ。

「謙介くん」

「……なに?」

「別れよっか」

必死に口角を上げた。どうせ別れるなら、最後は涙でぐちゃぐちゃの私じゃなくて、笑顔で少しでも綺麗に謙介くんの思い出に残りたい。

「なんで」

あ、だめだ。もう限界。地面に置いていたカバンを手に、ブランコから降りた。

「……ごめんね」

絞り出すように最後にそれだけ伝えて、走って公園を出た。涙が流れて、止まらない。どれだけ拭っても、ハンカチでゴシゴシ擦っても。壊れたダムみたいに、それは流れ続けた。

これでよかった。これで、よかったんだ。

帰ってから、手紙を書いた。いつか、私が死んだとき。謙介くんがまだ私のことを好きでいてくれていたら。この手紙を見つけた人に渡してもらおうと決めた。淡い水色の封筒に入れて、机の見えるところにしまった。

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