第13話
「また行こう」
「うん。行こうね」
約束のゆびきりまではしなかったけど、幸せを感じる口約束をして、手を振った。
最高に幸せで、忘れなくないと思った。何枚も写真を撮った。写真を見たら、きっとうやむやになっても思い出せると信じているから。
リビングに入って、ふと見た時計は二十時を回っていて、それでもお母さんはまだ帰ってきていなかった。お盆、正月、ゴールデンウィーク。そんな長期連休の期間も関係ない職業に就いているのが、私にとって不幸中の幸い。
あまり顔を合わせないから、まだ不調なことを勘づかれていない。
うちはお父さんは医者で、お母さんは看護師をしている。二人とも同じ、大きな病院で働いていて、夜勤があるのは当たり前。帰ってきたらすぐにお風呂に入って寝てしまうし、お休みの日は日頃の疲れを癒すために一日中寝ている。それか、呼び出されて病院に逆戻り。
詳しいことは知らないけど、忙しいことは確かで、負担をかけまいと生きてきた。その結末がこれ。笑ってしまう。今、何よりも重い負担になっていることに。
「ただいまー。緋鞠ー?」
思わず肩が震えた。こんなに早く帰ってきたのは久しぶりだ。ちゃんと話せるかな。私、大丈夫?緊張で、手が汗ばむのがわかる。
「お母さん、おかえり」
リビングの扉を開けて、玄関のお母さんを出迎える。大丈夫、いつも通り。
「今日遊園地行ったんだっけ?楽しかった?」
「うん。楽しくて、あっという間だった」
「そう、それはよかった」
ニコニコと笑みを浮かべて、買ってきていたコンビニ弁当を電子レンジに入れる。こんなのばかり食べていたら、いつか体調を壊してしまいそうで怖い。私のために作ってくれるご飯も、きっちり私の分だけだからちゃんと食べたら残るわけもなく、私もなにかやらかすわけにはいけないから、作ってあげることも選択肢としてはないも同然。
「今日は何弁当?」
「チキン南蛮弁当」
看護師で手取りもいいだろうに、家計を回していくお母さんは安売りのシールが貼ってあるそれを電子レンジから取り出した。
「美味しそう。一口ちょうだい」
まだまともに会話ができている。きっと夏休みが明けるまでのあと二週間だったら、隠し切れる。
「しょうがないなぁ。はい、あーん」
息をふきかけて温度が多少下がったお肉を口に入れてくれる。
「ん、おいひい」
まだ残る熱をハフハフして冷ましながら、ゴクンと飲み込んだ。
「よかった。明日はお母さんお休みだから、夜ご飯は一緒に食べようね」
まさか一晩中同じ屋根の下で過ごすことになるとは、焦るものがある。病気が発覚してから、お母さんもお父さんも仕事が忙しく、私が寝ている間に帰ってきて、寝ている間に出て行っての日々だったから。
別に部屋に引きこもっていれは何ら問題ないのだけど、そういうわけにもいかない。
「そうだ。明日、一緒に買い物行こう」
笑顔のまま、私を誘う。どうしよう。
でも、いつも誘いは断らないスタイルでやってきたのに、ここで断るのは不自然かもしれない。
「うん。行こいこ」
そう返して、お母さんの嬉しそうな顔を見たあと、お風呂に入った。冷静さを失わないために、ほとんど水に近い温度でシャワーを浴びる。欲を言えば、明日熱でも出ないかな、と願いながら。
久しぶりに「おやすみ」を交わし、朝が来た。
すんなり起き上がれるところをみると、体調はあまり悪くなっていないことは手に取るようにわかるけど、悪あがきで体温計を脇にはさむ。
大丈夫。覚えてる。
昨日寝る前に思ったことが頭に浮かんで、ほっとした。それを実行できていることも、今の安心材料のひとつ。
「おはよう。よく眠れた?」
コーヒーミルで豆を挽き、セットしたフィルターの上から湯気が上がるほど熱いお湯を回しながらかけているお母さんが、当たり前のように私の朝を出迎えた。
「おはよう。おかえり」
ポットから六十度設定のお湯を湯のみに注ぎ、空っぽの胃に流し込む私を見て、お母さんは怪訝そうな顔をした。
「昨日、ここで一緒に出かけようって約束したじゃない」
「え……。あ、あぁ!そうだった」
そんな覚えはないけど、とりあえず乗っておいた。
お母さんの夢なのか、私が忘れているのか。八割は後者だけど、勘づかれるわけにいかない。お母さんに気付かれたら、この病気を全部白状しなくちゃいけないから。せめて夏が終わるまで、普通の私として接してほしい。
「ランチして、買い物しよう」
「うん。いいね」
朝食に、焼いてもらったトーストとサラダ、ヨーグルトを対面で座って食べて、準備をして家を出る。こっそり部屋で薬を飲んでいることを、いつか話さないといけないんだな。そしたら、こんな生活は壊れてしまうのだろうか。
いつまでも拭えない不安を、頬を叩いてないものにして、車の助手席に座った。窓の外、映像のように流れていく景色を久しぶりに眺めた。
「何食べたい?」
レストラン街を歩きながら、お昼ご飯を決める。海鮮丼、お手軽イタリアン、ハンバーガー。オムライスに和食、パン食べ放題の洋食屋。
「お母さんは?いつもコンビニ弁当ばっかりでしょ?こういうときくらい好きなの食べようよ」
まぁ、自分で決められないから、決めてほしいだけなんだけど。
「じゃあ……パン!パンにしよう」
そう、パン食べ放題の看板を掲げた洋食屋に入る。十二時前だったからか、すんなり席に案内されて、メニューを渡される。
「美味しそうだね」
「うん。悩んじゃうね」
洋食といっても主にハンバーグを推しているらしく、ハンバーグだけでも見開き二ページ分のメニューがあった。他にはグラタン、ドリア、グリルチキン。
全部見て、結局お母さんも私もハンバーグに決めた。お母さんは大根おろしと大葉が乗った和風ハンバーグ。私はダブルチーズのハンバーグ。注文を終えると、店員さんがパンの取り皿を持ってきて、「ごゆっくりお過ごしください」と一言添えた。
「緋鞠、先に取りに行きな」
「うん」
お皿を片手に、パンの入ったバスケットが並ぶところに行き、直感でパンを選ぶ。
ミルクパンとかクロワッサンとか、主菜と合わせるのを目的としたようなものから、よもぎパンとかメロンパン、あんぱんという、それだけで満足できるものまで、種類が豊富。
「ここ、あんなに種類あるんだね。初めて入ったけど、楽しいね」
「初めてじゃないでしょ。前も来たじゃない」
ドキッと、心臓が跳ね上がる。言葉選びも一苦労だ。
「……えぇー?そう、だっけ?」
「そうよー。去年だったかな?お父さんの誕生日に」
結構記憶に残りやすい日常とは少し離れたイベントで、忘れている方が怪しまれそうな出来事に焦って、喉を潤していたお冷を口の端からこぼしてしまった。
「ちょっと、大丈夫?」
「大丈夫。ごめん」
机に置かれた紙ナプキンで濡れた服を拭いて、パンを取りに行ったお母さんを見てやっと息がつけた。
人と話すのが、怖くなった。隠し事がバレそうで、言ってはいけないことを口走ってしまいそうで、息が詰まる。
戻ってきたお母さんとちょうど手元に来たハンバーグを食べていても、喉を通すことで精一杯で、こんなに美味しそうなのに味がしなかった。
お店を出たあとの買い物も、誰でも答えられるような簡単な答えをするだけで、久しぶりに話すような、深い会話さえできない。
帰ってこなくてよかったのにと、自分のせいなのにお母さんに対してそう思う自分に虫唾が走った。
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