第11話

先生に会って、症状の話をしたあとから、念のため、念のためと、色々な検査をさせられた。

脳の画像を撮らせてくださいだとか、血液検査をしましょうとか。不安そうな顔をしていたのか、先生は「何もないって安心するための検査ですからね」と曇りない目で微笑んだ。

言われるがまま、看護師さんに血を取られ、脳の画像を撮られた。移動するときや血を取っている最中に、色々、最近の生活のことやいつもと違うと思ったことを聞き出される。まるで警察署で取り調べを受けているような感覚で、本当に何もしていないのにこういうことになる人は大変だな、と他人事のように思った。

「結果はまた来週、聞きに来てください。今日は目眩の薬と鎮痛剤を処方しておきますので、受付横のカウンターで受け取って帰ってくださいね」

怪しいところは何もなさそうに、私が診察室に入ったときと同じテンションで穏やかに話すから、エスカレーターを下って受付前のソファに座る頃には、私は絶対に何もないという、無根拠な安心感が芽生えていた。

「何もなさそうでよかったな」

「うん」

謙介くんも、何もないと信じているようで、同じ意見で芽生えた安心感は一気につぼみを付けるまでに成長した。あとは先生から結果を聞いて、花を咲かせることができれば、さっき芽生えた安心感という新芽は一週間で花を咲かせることができる。

帰りのバスを待つ停留所で、横並びになって座る。

「今日はこれを渡したくて」

丁寧に写真立てに入れられたまま、私の手元へやってくる一枚の写真。

「これ、あのときの」

「そう。写真部の子が二枚現像して届けてくれたんだ」

文化祭で、シンデレラとその王子様に扮した私たちの写真。

「写真で見ると、カメラで見るより綺麗だね」

キラキラした衣装に身を包んだ、キラキラとした謙介くん。いつ見ても、本物の王子様みたい。

「魔法が解けるまで、一緒にいてくれる?」

なんて、ちょっとなりきって聞いてみる。口にしたあとに、じわじわと恥ずかしさが込み上げてきた。

「魔法が解けても、ずっと隣にいるよ」

恥ずかしげもなく真面目な顔で言うから、今度は嬉しさで顔が赤くなる。

「私も、謙介くんのそばにいる」

もう少しで負担が減る謙介くんを、私が癒したい。褒めてあげたい。

時折疲れた顔をして、授業中、ノートの隅に帰ってからやることを書き込んでいる謙介くんを知っているから。にこにこ笑って愛をくれる謙介くんが大好きだから。

支えたいとまではまだ言えないけど、負担をかけないで愛をあげることはできるから。

次の週、結果を聞きに一人でこの場にやってきた。

「夏岡さん、夏岡緋鞠さん」

診察室から顔を覗かせた看護師さんが、カルテを片手に私の名前を呼んだ。

「結果は、恐らく確実に、一年制記憶忘却症だと考えられます」

頭を鈍器で殴られたような気分だった。

「分かりやすく言うと、若年性アルツハイマー型認知症を一年間にまとめたような病気です」

「若くても十八歳からなるのが一般的ですが……」

「余命は一年、長くて一年と半年で、完治はできません」

「お薬を出しておきますので、これを飲んで、毎日ウォーキングをしてください」

途切れ途切れに聞こえてくる、先生の言葉。どうやら家の鍵の締め忘れや鍋に火をつけて焦がしたことを話したのがいけなかったらしい。

「近々、ご両親ともう一度、説明を聞きに来てくださいね」

それを聞くのを最後に、診察室から逃げるように出て、待合室の椅子に座った。

あとから知った話だけど、私の診断をした先生は認知症の診断を得意とする人だったらしい。完全にハズレくじを引いてしまった。咲きかけた花は、一気に元気がなくなってしおれてしまった。

いきなり余命宣告をされて、認知症だと言われて、治らないと言われて、未来に光など見えるわけがなかった。

結果を報告すると約束をしていた謙介くんに、とりあえず電話をかける。

プルルルル……

プルルルル……

プルルルル……

プルルルル……

プルルルル……

プルルルル……

『おかけになった電話をお呼びしましたが、おでになりません。ピーという発信音のあとに……』

出ないことにほっとした。今日はどうしても外せない予定があると、随分前から聞いていた。

これは賭けだった。出たら話す。出なかったら、話さない。しばらくこのことは秘密にしておこう。もう少しだけ、あと少しだけ、両思いの幸せを味わいたいから。もうこの先一生感じることができない幸せを、思う存分感じたいから。

誰もいない家に帰り、自分の部屋に荷物を置く。

斜めがけのカバンを肩から外したとき、パリンッと痛々しい音がした。

床にガラスの破片が飛び散って、ちょうどあの写真の、私と謙介くんが繋ぐ手に、狙ったかのように飛びきれなかった破片が突き刺さっている。

魔法が解けるまでのカウントダウンが、今この瞬間から始まったような気がした。

幸せが終わるまで、あとどれくらいなのか。目に見えない砂時計の砂が、サラサラと落ちていく音が聞こえた。

きっと今、この瞬間が、あの時かかったシンデレラの魔法が解けるときなのかもしれない。

片付けないと。どうせなら、写真ごと捨ててしまおう。部屋にある可愛いビニール袋に、割れた破片を素手で入れていく。ガラスは、何ゴミになるんだろう。少し考えて、でも結局わからなくて。学習机のいちばん深い引き出しの奥に隠した。なかったように。何曜日に捨てるのかわからなかったことが、お母さんにバレないように。

必死になって隠蔽工作を働いたあと、ちょうどスマホを見たタイミングで謙介くんから電話がかかってきた。さっきの電話の折り返しに違いない。出たくないけど、出なかったら心配をかけることは目に見えてわかっていること。

扉のそばの全身鏡で笑顔を作り、応答ボタンを右へスライドさせる。

「もしもし、緋鞠?」

「謙介くん、おつかれー」

話し方がわからなくて、いつもは言わないようなことを口走ってしまう自分が恥ずかしくなる。

「さっき電話、出れなくてごめん」

謙介くんの声色は、どこか緊迫したものを感じさせる。それほど、私のことを心配してくれているということなんだろうな。

「全然大丈夫だよ」

私の声は、いつも通り?それとも、何かを察することができるような、いつもとは違う声?

自分ではわからなくて、でも今からつく嘘がバレるのではないかと緊張して、もしかしたらもう、変に明るい声を出していたりするのかもしれない。

「それで、検査の結果、どうだった?」

「うん。それがね、……疲労だって」

ごめん。ごめんね。でも、もう少しだけ一緒にいたい。あと少しだけ、彼女として隣にいたい。

きっと、今ついた嘘の代償は大きい。

たくさんの人を悲しませることになる。お母さんも、お父さんも、謙介くんも。杏鈴も茉那も。

だから私は、この夏休みだけこの恋を楽しんで、夏休み最後の日にみんなに全てを打ち明けようと決めた。

この恋は、叶ってそうそう期限付きのものに変わってしまった。自分の病気のせいで。

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