第9話

「ごめん、おまたせ」

「全然待ってないよ」

定番のやり取りを終えて、下駄をカラコロ鳴らしながら境内の中へ入る。

「浴衣、初めて見た」

「私も」

好きな人と夏祭り。百人いればきっと百人がこの状況を聞くと、楽しい情景を想像するだろう。でも、全く会話は弾まない。

とりあえず買ったたこ焼きも、喉を通すことが精一杯で、味なんてしなかった。

「謙介くんの時間、無駄にしたくないから、先に話してもいい?」

「わかった」

騒がしいはずの周りの音が聞こえなくなった。

周りはスローモーションで動いていて、私たちの空間だけ、正しい時間で動いているみたいだった。

わたし、ワタシ。私。

口をパクパク動かすも、緊張で声が出なかった。もう知られてしまった気持ちを、振られるためにもう一度口にする苦しさに、しばらく動く口からは空気だけが出て行った。

何も言わずにいつも通りの優しい顔で待っていてくれる。

そうだ。私は、謙介くんのこういうところが好き。気遣いできるところが好き。優しいところが好き。嘘がつききれない素直なところが好き。妹のために家事を頑張っているところも、よく笑うところも、かっこよくて可愛いところも、全部全部大好き。

この気持ちをぶつければいいんだ。長くならないように、端的に。

「私、謙介くんのことが好きだよ。中学の頃からずっと、あなたの彼女になりたいって思ってる」

言えた。きちんと言う前は蟠りがあったけど、きちんと伝えられた今、振られるかもしれないのにやけにすっきりした気分になった。

あの日は言ったことに後悔していたけど、今は言ったことに後悔は一ミリもない。

「ありがとう。僕は……」

さっきまでは周りの方がゆっくり時間が流れていたはずなのに、今は周りの方が早く時間がすぎているように感じた。次の言葉を言うために謙介くんが口を開くまで、何秒、何分という長い時間が間にあるように感じる。

「僕も、初めて話したあの日から、ずっと好きだよ。待ってるって約束しちゃったから、早く彼氏になりたくて気持ちが先走らないようにするの、大変だったよ」

心から嬉しそうに笑って、私の腕をぐっと引いた。驚いて思わず目を閉じて、開けたときにはもう、私は謙介くんに抱きしめられていた。

夏の暑い気温の中なのに、浴衣越しに伝わってくる謙介くんの体温は、何よりも心地よくて胸がいっぱいになった。

「緋鞠、好きだよ。僕と付き合ってください」

身体は離れないまま、背に回る謙介くんの腕に更に力が篭もるのを感じた。だから私も、負けじと強く抱きしめ返す。「お願いします」と、交際の申し出を承諾しながら。

「なにこれ、今までで一番幸せ」

「私も」

抱き合う腕を緩めて、目を合わせて笑った。嬉しくて泣いた。恋が叶うと本当に涙が流れるんだと、身をもって体験した。

「え、謙介くん、泣いてるの?」

下がった目尻から、きらりと輝く涙粒が頬をつーっと静かに伝った。泣いているのにすごく綺麗で、ずっと見ていられるなんて言ったら変な子だと思われるかな。

「緋鞠も泣いてるくせに」

泣いている人に、涙を拭われる。

「一緒だね」

「一緒だな」

きっと、今の私たちは無敵だ。この幸せがあればなんでも出来る。なんでも乗り越えられる。そう信じて、疑わなかった。

いや、きっともう、杏鈴のことも不安に思わなくてよくなったから、それ以上嫌なことが起こるはずがないと過信していた。

「花火始まる前に、なんか食べよっか」

「うん」

思わず語尾が上がる。同じ「うん」でも、気が軽くなるだけでこんなに違うのかと口から出た声を脳内でもう一度再生した。

「何食べる?さっきたこ焼き食べたから、甘い系?」

周りの屋台を見渡しながら、本殿の近くまで歩く。手を繋いで。恋人繋ぎで。手を繋いでいるだけなのに、何度かそういうことがあったはずなのに、心がぽかぽかして、幸せでいっぱいになる。

「あれ、美味しそう」

目に止まったかき氷。自家製シロップと書かれた小さい黒板は、おしゃれなカフェにありそうな黒板アートが文字を引き立てるように描かれている。

「ほんとだ。美味しそう」

短い列に並んで、透明な使い捨てプラスチックコップに入れられた削りたてのミルク氷に、果肉がゴロゴロしたいちごソースをたっぷりかけてもらう。ソースが電気に照らされて、キラキラして見える。

私の次に受け取った謙介くんは、少しとろみのある抹茶ソースにあんこが乗っていた。こちらも美味しそうだ。

「すごい、美味しい。こんなに美味しいかき氷、初めて食べたかも」

プラスチックスプーンでサクサクと音を鳴らしながら中身をつつく。口に運ぶとふわっと溶けて、優しい甘さといちごの食感とバランスのいい甘みと酸味が広がる。

「僕も。ほら、もう半分しか残ってない」

「ほんとだ。早い」

「つい、美味しいと手が止まらないんだよね」

「知ってる」

ガツガツ食べている感じはないし、むしろ綺麗に食べる人だけど、本当に気付いたら食べ終わっている。こういうところも、好きなとこ。きっと、謙介くんは「素直」で形成された人なんだろうなとよく思う。感情だけじゃなくて、胃も。何もかも全部。

「好きだなぁ」

ついこぼれてしまう。でももう、今日から隠さなくていい。

私は今、世界で一番の幸せ者だ。

食べている間に打ち上がり始めた花火を見て、次に買ったフライドポテトを二人で食べて、何度もそう感じた。

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