第8話
なんとかギリギリ、全教科再テストを逃れてその結果が正式にわかると、もう明日から夏休み。
一瞬険悪になった謙介くんとの仲も、次の日には元通り。何もなかったように普通に話せるようになった。
「緋鞠、ちょっといい?」
委員会へ行こうとした足を引き止めたのは、杏鈴。深刻な面持ちで私の前に立った。
「どうしたの?」
「ちょっと話があって」
ちらっと、私を待つ謙介くんのほうをみて、また私に向き直った。
「わかった」
謙介くんには先に図書室へ行ってもらって、私と杏鈴は空き教室へ向かう。
「ごめん!」
教室の扉を閉めると、杏鈴はいきなり頭を下げた。わけがわからなかった。頭の中ははてなマークが溢れかえった。
「なになに、なんで?私何もされてないよ?」
「ずっと言わなきゃ言わなきゃって思ってた。緋鞠には、絶対言わないといけないって」
そこまで必死に私に伝えることなんて、あるのだろうか。確かに最近は前よりも話す頻度は減ったけど、それは別に仲が悪いわけじゃない。席替えをして、ただ単に隣の席ではなくなったから。
「怖い怖い。なに?」
私がそう言ったあと、杏鈴が息を吸うときから、彼女の行動も、口の動きも言葉も全てがスローモーションに見える。
一文字一文字確実に、やっと耳に入ってきた杏鈴の一言は、予想外で、予想内だった。
最近はすっかり忘れていた、文化祭準備のときに抱いた疑惑を思い出し、それが的中したことに驚いた。やっぱりそうだったのかと。そして、なぜこんなに大事なことを忘れていたのだろうと。
「……頑張って」
心がこもっているとは言えないような声で、杏鈴を送り出した。彼女が教室から出ていくと、足の力が抜けてへたり込んでしまう。
きっと、絶対作り笑いすらできていなかった。
「私、謙介くんのことが好き。今から告白しようと思ってる。緋鞠も好きだってわかってるけど、この思いを止められなくてごめん」
さっきの杏鈴の告白が、頭にこびりついて離れない。何度も脳内でリピート再生されて、報われないで欲しいと願う嫌な気持ちと、私がいたからこそ悩ませてしまったことへの申し訳なさが私の心を青黒く染めていく。
謙介くんは、どちらを選ぶんだろう。
私が謙介くんだったら、迷わず杏鈴を選ぶ。可愛くて、優しくて、繊細で元気。隠し事ができないのも、いいところ。それに比べて私には、杏鈴に勝るようないいところはない。
きっと今まで感じてきた青春の空気も、私の一方的な思い込み。私が変に照れるから、困らせていただけ。
普通に、普通に。何度も心の中で、小さく口に出して繰り返しながら、図書室までの短い道のりを歩く。
開いたままの扉の奥から、話し声は聞こえなかった。もう告白し終えたのかな。それとも、帰るときに約束を取り付けたのだろうか。
足音を消しながら中へと足を進める。
カウンターにいるのは夏休みの課題を進める謙介くんだけ。本棚の隙間にも、申し訳程度のテーブルにも、彼の他には誰もいなかった。
ほっとした。同時に、勝手に気まずさを感じる。
なんて切り出すのが正解なのか。いつもどう話していたか、わからない。
「うわっ。来たなら声かけてよ」
がっつり教科書を開き、集中している謙介くんを見つめながら話しかけ方を考えていると、バチッと目が合った謙介くんに先に話しかけられてしまった。
「ごめん」
他に言葉が見つからない。考えれば考えるほど、どんどん頭が真っ白になっていく。
「緋鞠さ、来週の土曜の夜、空いてる?」
私が無言のままカウンター内の謙介くんの隣に腰かけると、カレンダーも何も見ないで言う。
「まだ予定入ってないけど……。なんで?」
「夏祭りあるじゃん。駅前の、花火が上がるおっきいやつ」
「うん」
どういう意図があるのか、普段の私なら浮かれてしまうだろうけど、どうしても今は探ってしまう。
「一緒に行かない?二人で」
男女が二人で夏祭り。デートみたいだ。でももしかしたら、もしかしてしまうかもしれない。彼女が出来たから関わるなと、バッサリ振られてしまうかもしれない。きっとそういうことは言えない人だとは思うけど、いくらなんでもタイミングが悪い。
「でも、杏鈴は?」
つい口に出して、ハッとする。首を突っ込まないようにしようと思っていたのに、なんでこんなこと言ってしまったんだろう。
まぁ、夏祭りの青春の舞台で盛大に振られるよりは、ここで振られた方がましではあるけど。
「なんだ、知ってるの?」
ドクン。心臓が大きく脈打った。頭痛がして、目の前がグルグルと回る。立っていられなくなって頭を抑えながら座り込んでしまった。
それもこれも、全部恋をしているせいだ。
「ごめん、僕、杏鈴と付き合うことにした」
「ごめんね。緋鞠も幸せになってね」
二人が手を繋ぎ、私に背を向けて歩いていく。どこから杏鈴が出てきたのかとか、そういうのはもうどうでもよかった。
私の恋は、実らなかった。四年間謙介くんのことを思い続けたこの気持ちは、無駄だった。不思議と涙は流れなかった。思い続けた気持ちの大きさの穴が、私の心に残されただけ。
目を瞑って、息を吐く。気持ちも一緒に出て行けるように、長く、長く。苦しくなっても、喉の奥が酸素を欲しても、お腹に力が入っても息を吐き続けて、吸うときに目を開けた。
「あ。先生、緋鞠起きました!」
さっき杏鈴と歩いて行ったはずの謙介くんが、私の顔を覗き込んでいた。
「夏岡さん、大丈夫?」
「なんで……」
なんでここにいるの?なんでそんなに心配そうに私を見るの?……私、なんで今、保健室にいるんだろう。
「なんでって、めまいと頭痛で立てなくなったって言ってたじゃない」
寝ぼけてるのかしら、とぼやきながら、常温のペットボトルの水を渡してくれた。
「あぁ、そっか。そう……なんだ……?」
寝ていたからか、頭の痛みもめまいも、先生の嘘なんじゃないかと思うくらい身体はピンピンしていた。
「せんせー!松井がケガした!」
「今日は親御さんに迎えにきてもらいなさいね」
他の生徒が保健室に入ってくると、先生は私にそれだけ言ってカーテンの外へ出て行った。
「……なんでいるの?」
「そばにいたかったから」
当たり前のように答える。あれは現実?それとも、ただの悪夢?睡眠を挟んだことによって、わけがわからなくなってしまった。
「帰ろっか。頑張ってたから、きっと疲れが出たんだよ」
何を頑張っていたと評価したのか、私にはよくわからなかった。ただ、杏鈴よりも私のそばにいてくれることが嬉しくて、嬉しかったけどそんな風に思う自分が醜かった。
「お母さんに連絡」
「しないよ。心配かけたくないから、一人で帰る」
「じゃあ、送ってく」
「それなら、ちゃんと迎えに来てもらう。だから謙介くんは先に帰って」
少し刺がある言い方をしてしまった。それなのに、嫌な顔ひとつせずに微笑んだ。彼はいつか、誰にも愚痴を吐けずに死んでしまいそうで、怖くなった。
「迎えが来るまで、そばにいる」
「いいよ。心実ちゃん待ってるでしょ?」
「もう中学生だから、ちょっとくらい遅くなったって平気だよ」
謙介くんは頑なにそこを動かなかった。仕方ないから、お母さんに電話をした。正式には電話をするふりをして、返ってこない声と会話をした。
「お母さん来てくれるって?」
「うん。もう家に着くころだから、すぐに来れるって。だから、また夏休み明けね」
そこにあった私の荷物を持って、「お母さんが来たから帰ります」とだけ先生に伝えて早足で保健室を出た。
「緋鞠、待って」
追いつかれたくなくて、走った。追いかけてくる足音と、私の名前を呼ぶ声を無視した。本当に体調が悪かったのかと、周りの言葉を疑った。流石に疲れて、いつもは通らない横断歩道のない道路を渡り、街灯のない近道を歩いた。
ポケットに滑り込ませたスマホが鳴っていたけど、それも無視した。でも何度も何度もめげずになり続けるから、五回目の着信は応答マークをスライドさせて耳に押し当てる。
「大丈夫?家ついた?」
半分演技じみた声。きっと、私が一人で帰っていることはバレている。
「うん。ついた」
「夏祭りの返事、いつでもいいから」
「だから、杏鈴」
「断った。だから緋鞠の思い、夏祭りで聞かせてほしい」
なにそれ。わざと?計算?なんでもいいけど、思いを受け止めてくれるような、そんな言い方をされると、期待してしまいそうになる。私のことが好きなんじゃないかって。両思いなんじゃないかって。そんなこと、ありえないのに。
「いいよ、行く」
もうこの際、好きな人と夏祭りに行くという青春が残酷なものになってもいい。変にモヤモヤするよりも謙介くんの気持ちを知ってはっきりした方が私もきっと楽になれる。
「じゃあ、鳥居に十八時集合でいい?」
「うん」
「気をつけて帰るんだよ」
そう、私の返事を待つことなく電話が切れた。何気なくスマホに目を落とすと、杏鈴からメールが一件届いていた。
『私、振られたよ。だから安心して』
安心なんてできないよ。私も杏鈴と同じ場に行く可能性のが高いのに。
夏休みの一週間なんて、何よりも早く過ぎていく。好きな人に会えるのに日に日に気が重くなることがあるなんて、思っていなかった。
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