第32話




 魔族の里の城内から持ち帰ったヒカゲ草は、夜になると眩い光を放った。エレノアはそれを滞在先の自室の窓辺に飾り、空に浮かぶ月とともにオズの顔を思い浮かべる。

 エレノアはこれまでも、伴侶候補として名乗りを上げてきた男たちから贈り物をしてもらうことは多くあった。だが、そのどれもが高級品であり、正直身に着けるのも憚られていたのだ。勿論うれしくはあったが、ことあるごとに送られてくるために、エレノアは内心戸惑ってもいた。


 宝石や上等なドレスよりも、このヒカゲ草の贈り物がなによりもうれしいと思った。オズが大事に育てているものを分けてもらえた。その事実に、エレノアは胸が弾む思いであった。


(オズは、このヒカゲ草をどんな風に育てていたのかしら)


 目を閉じ、幻想的な森の中に佇む王の姿を思い浮かべる。立派な鱗の躰に、大きな黒色の翼。そして、君主の証ともいえる立派な角。満月のような瞳。残酷で、もの悲しい雰囲気をもつ、美しい魔族の王。


 日がたつごとにオズを知りたくなり、日暮れの時がくることが口惜しくなる。エレノア、と名を呼ばれるのが心地よい。明日はどのような会話をしようものか、と夜寝る前に考えることが日課になった。


(もっと寄り添えたら、どんなにか――)


 きらきらと輝くヒカゲ草を指でやさしく触る。


(私も、彼のように堂々をありたい。胸を張れるような、生き方がしたい)


 闇夜に浮かぶ月を眺めて、オズの瞳を想起する。エレノアは数刻の間ぼんやりと物思いにふけったが、眠気に誘われると寝台に横になったのだった。





 ニールで休暇をとるエレノアのもとに、その日は朝から来客があった。


 バタバタと屋敷の中が騒がしくなり、使用人たちがエレノアの身支度を整えていく。清楚な意匠のドレスを着せられ、ほんのりと化粧まで施された。エレノアの緊張は周囲の者にも伝わっており、終始屋敷の中は慌ただしい。

それもそのはず、来訪者はサンベルク皇帝、そしてハインリヒ・ローレンスであったからだ。


「やあ、エレノア。元気だったかな」


 応接室に小走りで向かうと、ソファに座っている者と、その斜め後ろに姿勢よく立っている者がいた。高尚な衣服を身にまとったサンベルク皇帝は、エレノアの姿を目にするなりやわらかく目尻を下げた。


「皇帝陛下のご尊顔を拝し、恐悦至極でございます」


 エレノアが礼をとると、サンベルク皇帝はこれを制した。


「公務で立ち寄っているのではないのだから、この場では、どうか父と」

「で、ですが、よいのでしょうか…」


 敬愛する父、サンベルク皇帝の厚意にエレノアの胸は熱くなった。エレノアにとって、サンベルク皇帝は血縁でありながらも、絶対的な立場の差がある存在であり、身近であるようで、誰よりも縁遠く思えるような存在であった。

 この国でもっとも尊ばれるべき人。エレノアにとっても憧れである。


 故にサンベルク皇帝を父と呼ぶには、殊更に気恥ずかしい。緊張した面持ちでサンベルク皇帝を見やると、陽だまりのような笑みを向けてくる。


「よい。娘に父と呼ばれたくない者がどこにいる」


 この場にはハインリヒがいるが、本当にかまわないのだろうか、と思いながらも、エレノアはおずおずと口を開く。


「は、はい。で…では、ち、父上。御機嫌麗しゅうございます」

「御機嫌よう。エレノア」


 エレノアの胸はどきどきと高鳴っていた。まさかサンベルク皇帝自ら出向いてくるとは思いもしなかったからだ。


「それに、ハインリヒ様も…」

「皇女殿下におかれましては、御機嫌麗しく存じ奉ります」

「……ご機嫌麗よう。ハインリヒ様」

「この度は、事前に使いもやらないままお尋ねしてしまった非礼を、どうかお許しください」


 エレノアは心を落ち着かせ、姿勢よく立っている男へと意識を傾ける。精悍な顔立ち、手入れの行き届いている甲冑。威風溢れる様は軍人のそれであった。


(どうして、皇帝陛下とハインリヒ様がご一緒に…?)


 意図しない組み合わせにエレノアは状況が呑み込めなかったが、やがて、サンベルク皇帝が二人の仲を取り持つように口を開いた。


「ハインリヒのことは、以前にもエレノアに伝えたであろう。彼のことはかねてより目にかけていてね、私自らが仲人になろうかと思い立ったのだよ。どれ、ちょうどこの辺りで軍の遠征があるというものだから、エレノアと三人でお茶でもしよう…とね」


 まるで自分事のようにほほえましい様子のサンベルク皇帝。そんな背景があったとは知らないエレノアは、二人の来訪に何の接待もできていない現状に焦った。


「そ、そのようなこととはつゆ知らず…申し訳ございません! ただいま、お茶の準備を…」

「ああ、よいよい。こちらが勝手を言って訪ねたのだ」


 そばに控えていた使用人に声をかけようとするエレノアを、サンベルク皇帝は制する。代わりに、後ろで姿勢正しく立っている皇帝直下の家臣にお茶を出すように命じたのだった。

 なんとお心が広いのだろう、とエレノアは嘆息を漏らした。


 エレノアが席につくと、背筋を伸ばして立ち振る舞っていたハインリヒもようやく腰を下ろす。芳醇な香りのする紅茶と菓子折りが運ばれると、しばし歓談した。


「…あらためて、皇帝陛下。この度はご温情を賜りまして、恐悦至極でございます」


 エレノアは二人を前にして緊張をしていた。切りよく世間話が済んだところで、ハインリヒは、サンベルク皇帝に今一度慇懃に頭を下げる。


「よいのだよいのだ。堅実な君のことは、私からもエレノアに勧めたいからね」

「…ありがたき幸せでございます。本来であれば、御身のお手を煩わせることなく、私がじきじきにお誘いするべきものを」


 エレノアはなんだか申し訳ない気持ちになった。ハインリヒからの誘いは、定期的にはあったのだ。そのどれにも曖昧な返事しかできていなかったのはエレノアの方であったからだ。

 ハインリヒは立派な人間であり、民からの信頼も厚い。若くして軍の長をつとめるほどには才覚に溢れ、また、皇室への忠義心も強い。


 エレノアの父であるサンベルク皇帝が結婚を進めるのも頷ける。ハインリヒは非の打ちどころがなく、エレノアにとってはむしろ勿体ないと思うほどであった。エレノアは、ハインリヒを伴侶候補として真剣に考えていないわけではなかったが、どうにも前のめりになれずにいる。

 それは、ハインリヒに非があるという意味ではなく、単にエレノアの中の問題であった。脳裏には、どうしてもイェリの森にいる王の姿がよぎるからだ。

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