第31話

エレノアはキキミックとサンドイッチを食した後、ヒカゲ草が群生している中庭に案内してもらった。


「綺麗ね…こんな場所にもヒカゲ草が…」

「ここのヒカゲ草は手入れが行き届いている故、夜が深まると鮮やかに輝くのだ」

「そうなの…」


 光り輝くヒカゲ草があることをエレノアは知らなかった。図鑑にも載っていない事実であり、自らの目で見てみたいと思ったが、日が暮れてもなお戻らないとなるとターニャやキャロルが心配をするだろう。

 サンベルク帝国の皇女として、むやみな行動は慎まなければならないというのにもかかわらず、エレノアは率直に残念に思ってしまった。


「ならば、持ってゆけばよい」


 そよそよと揺れるヒカゲ草を眺めていると、背後から低い声が聞こえてきた。それが誰の者であるのかは、振り返らずとも理解に及ぶ。この魔族の森の王だ。


「――オズ」


 艶のある黒翼がばさりと音を立てる。オズは、エレノアの心中を聞かずとも察しているようであった。


「土ごと鉢にでも移し替えれば、二、三日はもつ」

「でも…いいの、かしら」


 満月のような瞳がエレノアへと向けられた。どきり、と息をのむと、キキミックが騒ぎ立てた。


「な! なななな、なりませぬ! これはオズ様が大事にされているものではございませぬかぁ!」

「その俺がよいと言っているのだ」

「で、ですが……くうっ……!」


 キキミックは根負けをして押し黙った。群生しているヒカゲ草の中まで歩いていくオズの背をエレノアは追いかける。


「本当に…いいの? オズが大事にしているって…」

「かまわぬ。ヒカゲ草は、もとより繁殖能力が強い。少し抜いたところで、おのずと生えてくる」

「そう…なのね」


 エレノアはヒカゲ草を眺めているオズにくぎ付けになった。凹凸のはっきりしている横顔は、人間とは異質の美しさがある。その表情は冷たく、他者を寄せ付けない。だからこそ、エレノアは引き寄せられているのだろうと思った。


「ねえ、聞いてもいいかしら」

「なんだ」

「オズは、ヒカゲ草が好きなのね?」


 だから、大事に育てているのだろう。エレノアの問いかけに、オズはしばらく沈黙を貫いた。

 暗所で群生するヒカゲ草は、サンベルク帝国でもよく見かける植物だ。ただ、夜に光り輝くことはなかったため、観賞用として重宝されることもなかった。


(…何か、特別な思い入れがあるのかしら)


 しばらく見つめていると、オズの目がすう、と細められた。


「べつに、普通だ」

「…そう、なの?」

「そうだ」

「そんな風には思えないわ。だって、この中庭、とても丁寧に手入れがされているもの」


 エレノアはその場にしゃがみ込み、気持ちよさそうに揺れているヒカゲ草に指で触れてみる。


「ヒカゲ草は、大切に育てられて、きっと幸せね」

「…そのようなことが、何故おまえに分かる」

「だって――伝わってくるの。力強い、生命の力が」


 エレノアはそう口にして、両手を胸の前で合わせた。目を閉じて、女神オーディアに言葉を届ける。

 すると、エレノアの躰が柔らかく光った。


 キキミックは驚きのあまり、一つしかない目玉をぎょろりとさせるが、オズはそんなエレノアを黙って見つめたまま何も言わなかった。


「どうか――この子達に、オーディア様のご加護を」


 エレノアが祈ると、たちまちヒカゲ草がより一層の色つやを取り戻す。光るオーブのようなものをまとい、みずみずしく揺れている。

キキミックはまるで神の御業を目にしたのかといった具合で、驚きたまげていた。


「エレノアよ」


 すると、地の底を震わせるような低い声が落とされる。オズは、感情の読めない視線をエレノアに送っていた。


「何故、おまえは祈り続ける?」


 それはサンベルク帝国の皇女として――であることをエレノアは理解していた。


「それが、私に与えられた使命だから」

「だから、魔族の里に生える植物にすら、手を差し伸べると?」

「……そう、ね」

「敵対する種族へも慈悲を?」

「ええ」

「女神とやらは、ずいぶんとお優しい」

「オーディア様は、きっと、きっと……そうするべきだと、思ってくださっているわ。だから、私の祈りに応えてくださっているの。現にあなたの傷だって――…!」


 そうだ、そうでなければ、エレノアの祈りは届かないはずだと思った。オズの傷の治癒をした際にも、女神オーディアからなんの咎めもなかったのだ。そればかりか、エレノアが感じ取る女神オーディアは、どことなくやわらかく、エレノアの行為に肯定的であるように思えた。


「エレノア、おまえは、人間も、魔族も……分け隔てる必要はないと、女神の加護とやらを授かるに、等しく値するのだと…真に思うのか」


 ざわざわと木々が薙ぐ。背筋が粟立ち、エレノアは一瞬だけ呼吸を忘れた。


「ええ、そうよ。この大地の姫君として、女神の声を聞く者として。人間と魔族は……、等しいわ」


 それだけではない。サンベルク帝国領土内でも、女神の加護を受けられる者と、そうでない者がいるのだ。王都近隣に住む貴族と、辺境の町に住む貧しい農民。王都を中心として遠方へゆくごとに、女神オーディアが流した血肉の濃度が薄まってゆく。


 エレノアは女神オーディアの意識と通じて、それを媒介に祈りを届けているが、もしかすると――ほかにも、すべての者に等しく加護を授けられる方法があるのではないか。現に、イェリの森でエレノアがオズを助けたように。

 エレノアが自らの足で各地を巡れば、これまで祈りを届けられなかった者たちにまで手が届くのだ、と。


 ――だが、どうだろう。少なくとも、サンベルク皇帝や宰相、ターニャは賛成しないだろう。皇女の身に何かあってはならないから、十六になるまで離宮に隠している慣習があるのだというのに。


「そうか」


 オズは淡泊に返すと、自らの手でヒカゲ草を一株、土ごと掬った。鉢植えの中にそれを入れてやると、赤い紋章の浮かぶ右手で何やら魔術を施した。


「これで、人間の地であろうと、しばらくはもつ」


 エレノアは瞬きをして我に返る。オズから鉢植えを手渡されると、自然と笑みがこぼれた。


「…ありがとう。オズ」


 立ち上がったオズにならうようにすると、満月のような瞳が光っている。


「──先ほどは」

「え?」


 オズはエレノアに向けて口を開く。


「おまえは、人間と魔族が"等しい"と、言ったが、それでも、我らは人間が、憎い」


 ──ああどうして。人間と魔族は争い合わねばならないのだろうか、とエレノアは喘いだ。


「そして人間も、我らが恐ろしく、忌み嫌っている。故に、到底、相容れぬ」


 また、エレノアにはどうしても、この魔族の王の瞳がもの悲しく、寂しそうに見えるのだ。憎しみを抱き、報復をするためならば命を削ることもいとわない生き方をしているオズに、エレノアはやさしくしたかった。


「そうね。他者の意識を変えるのは、むずかしい」

「…」

「だから、せめて知りたいと思う。サンベルク帝国の民を導く、皇女として。いつか…オズが私に話してもいいと思ってくれたのなら、あなたの――魔族たちの“怒り”を“悲しみ”を、教えてほしい 」


 不思議と、オズに会うたびにエレノアは心が強くなっていく気がした。離宮に閉じこもっていた時には、とてもじゃないが、このように自分の意思で行動をすることはなかったのだ。

 ニールで休暇をとらなければ、宮殿で伴侶候補との謁見や、皇女としての公務に追われるままであっただろう。


(オズ――…)


 どうしてか、オズの冷たい瞳を見ると胸が高鳴る。人間ではない、異種族の王。どうか、許されるのであれば、オズの憎しみを癒す力になりたいと、心から思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る