第32話

家の中はシーンとしていた。玄関に入り、玄関の扉が閉まり、もう壱成さんの姿は見えなくなって。ああ、もう、これで最後なんだと思ったら本当に悲しくなった。


靴を脱いでいる時、お兄ちゃんが口を開く。



「楽しかったか?」



楽しかった……。たくさん壱成さんと話をした。本当はもっと一緒にいたかった。壱成さんに好きって言いたかった。



「うん、」


「良かったな」


「ごめんなさい…」


「もう頑張らなくていいわ、あと1年ってのも忘れてくれ」


「……え?」


「ちょっと話つける。ずっとずっと、頭を使えって言ってたのはあいつらだからな」



話をつける……?

お兄ちゃんは何を言ってるの?



「家族のことは、家族で解決しよう」



そう言ったお兄ちゃんがリビングに入っていく。お兄ちゃんがリビングに入れば、お父さんとお母さんが、ダイニングテーブルのイスに座っていた。私の顔を見るなり、お父さんは険しい顔をして立ち上がる。

────それにすぐ反応したのは、お兄ちゃんだった。



「また殴んのかよ、俺のことは殴らないくせに」



私を庇う、お兄ちゃんは、その背中で私を隠した。バカにしたように鼻で笑うお兄ちゃんの声は、低かった。



「お前、親に何を……」


「あんたはいつもそうだ、弱い女をすぐに殴る。佳乃の事も──ババアの事も」


「圭加……」


「なあ、あんたはなんで体の弱い佳乃を殴る?なんで毎晩夜遅く勉強させる?心配してるように見せかけて、あんたは自分の思い通りにならない2人を殴るだろう」


「親に向かってあんたとは何だ!!」


「じゃあ子供を殴んのはいいのか!!」


「これが教育というものだ!言葉では分からないから教育してる、まあ頭の悪いお前には分からないだろうが、」



チッ、と、舌打ちをしたお兄ちゃんは、「子供を泣かせる事が教育なのか……」と、聞いた事のないぐらい低い声を出した。


こんなふうにお父さんとお兄ちゃんが言い合うのは、お兄ちゃんが私立の中学をやめた時以来だった。

お母さんの方を見れば、お母さんは顔を下に向けて座っいた。その小さな肩はもしかしたらお父さんに殴られたのかもしれず。



「じゃあこれも教育なのかよっ!」



お兄ちゃんが後ろのポケットから、4つ折りにした紙を取りだした。その紙を荒々しく激しい音を立てて机の上にバン!!と置いた。



「なんだこれは」


「佳乃の血液検査の結果だ」



ヒヤリ、とした。

まさか、そんな。

お兄ちゃん、と、私が呟く前に、お兄ちゃんの台詞に反応したのはお母さんだった。

顔を上にあげたお母さんの頬は赤くなっていて…。

……お母さんは、何も喋らない。けど顔が蒼白になっているのが分かった。──それを見て、ああお父さんはやっぱり何も知らなかったと、悲しくなるのが分かった。



「血液検査?何のために」


「親の勝手で、アレルギーを作り出すのも教育か?」



その言葉に目を鋭くさせたお父さんは、机の上に置かれた紙を拾い、紙を拡げた。──アレルギー検査の結果を。

目を見開き、何も知らなかったお父さんは「──……どういう事だ」と、怒りの矛先をお母さんに移した。



「また殴るのか?ババアも。いいよ殴れよ。自分の子供に変な薬をずっと飲ませてた奴だ。佳乃の体がこんなんなってるのも、全部お前が作ったんだろ」


「お前…、そんなことを……」


「なあ、ババア。佳乃はずっと我慢してた。佳乃はほぼ初めからおかしいって気づいてた。それなのにあんたから出されるもんを飲み続けた理由は何だか分かるか?」



お母さんが私の方に視線を向ける。

それでも私はお兄ちゃんに隠れて、しっかりとお母さんの顔を見れなかった。



「俺だって何度も言おうとした、それでも佳乃に止められた。佳乃がお前らのことを……好きだっつーから」



──お兄ちゃん……。



「佳乃が……薬を飲まされても。殴られても、家族だからって……」


「……お兄ちゃん……」


「でももう我慢できない、佳乃が帰って来ないってことはもう限界だったってことだろ!!」



────限界……。



「壱成さんがいなかったら、佳乃が見つかってたかも分かんねぇのに……。よくお前らは、警察に通報なんて言えるな」


「……アレルギーのことは、分かった。だが、無断外泊をしたのは事実だ」


「無断?壱成さんは佳乃を助けてくれたって何回も何回も言ってるだろ!!」


「……」


「……もう佳乃を自由にしてくれ」



自由……。



「お前みたいに夜遊びを許せと言っているのか」


「そうじゃねぇよ、もう殴るな、薬を飲ませるなって言ってる」


「あの男は?」


「壱成さんのことか?佳乃の壱成さんの関係は俺の口出す事じゃない。俺はただそのふたつをやめて欲しいだけだ」


「……」


「でないと、これを警察に持っていく」



そう言ったお兄ちゃんが取りだしたのは、スマホだった。スマホを操作すれば、ピピ、と、音が聞こえて。

──今の出来事を録音、もしくは録画をしていたらしいお兄ちゃんは、「虐待されたとして持っていく」と、もう一度ポケットの中に入れた。



「……お前、今すぐ消しなさい!!!」


「焦るってことは、やばい事をしてたって、あんたらも分かってんだろ」


「圭加!!」


「あと、ババアの事も殴っても警察に持っていくから。分かったな?──……二度と佳乃を殴るな、薬を飲ませるな!!!」



お兄ちゃんは怒鳴った後、ゆっくりと後ろに振り向き「行こう」と、私の腕を掴む。

まだこの現状が把握出来ていなくて、戸惑っている私を連れて2階へとあがろうとする。

お兄ちゃん、と、名前を呼んでも、お兄ちゃんは私の腕をひき2階へとあがり。


お兄ちゃんの部屋へと連れてこられ、今のはどういう事かと、口を開こうとしたけど。

お兄ちゃんが「……ごめんな」と先に謝るから。私は何も言えなくなった。



「限界だったの、気づいてやれなくてごめん…」


「お兄ちゃん…」


「でももうこれで、あいつらはお前に何もしてこないはずだから。この動画がある限り」



──虐待に肯定した動画がある限り。



「もう、お前の自由だから」

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