第30話

──壱成さんがベットの上で座り、私は壱成さんの足の間に座り背中を預けるようにもたれて座った。「重くないですか?」と聞いても、「あんたは軽すぎる」とそのまま後ろから私を抱きしめる。

軽すぎる……、ご飯は主にサラダばかりだから。


座って壱成さんに背中を預けるこの姿勢は、ソファに座るよりも心地よかった。



「兄に、朝に帰ると連絡したのですか?」


「ああ、──…圭加は、この現状を止めようとしているのか?」


「はい、だからあと1年の我慢なんです」


「…あと1年?」


「兄が、お兄ちゃんが高校を卒業したら、家を出ようって言ってくれているんです」


「卒業?」


「はい、私は退学ということになりますが…」


「……そうか、だから、」


「だから?」


「圭加は昼も夜もバイトをしてる、金を貯めるためだったんだな」



昼も夜もバイト。

あまり、家に帰らず、学校も行かず、ずっと外にいるお兄ちゃん……。



「壱成さんは兄を知ってましたか?」


「名前だけは」


「名前だけ?」


「頭がいいとは聞いていた」


「そうなんですね。お兄ちゃん、中学の時は、成績1番でしたから」



思い出すようにクスクスと笑った。



「だからこそ、やめた兄を、両親は許さないんだと思います」


「あんたは」


「…?」


「……あんたは嫌じゃないのか」


「両親をですか?」


「ああ、あんたにしてる事は虐待だろう」


「そうですね、虐待に入るのだと思います。それでも、やっぱり私の中では家族なんです…。だから虐待として捕まって欲しいという考えは無くて…」


「…うん」


「両親には、何もしないでください…」


「……あんたはそれでいいのか」


「はい、あと1年だけ……。1年経てば、私はきっと自由になりますから」



笑いながら後ろに振り向けば、険しい顔をした壱成さんと目が合う。



「あんたが明日帰れば、また飲まされるって事だろう」


「…大丈夫です」


「あんたが犠牲になる必要は無い…。耐えられない」


「……大丈夫ですよ」


「なんで望まない、親から離れたいって」


「離れたいです、離れたい、ですけど、私の両親ですから……嫌いにはなれないんです」


「……」


「壱成さんとは、しばらく会えないと思います」


「……」


「1年後に、また会ってくれますか?」


「あんたは、」


「はい」


「死ぬかもしれない、それでもいいのか」



死ぬかもしれない……。

それは分かっていたこと。

お母さんからの薬の量が増えれば。



「はい、いいです。もう壱成さんに会いたいという願いは叶ったので」



笑って言えば、壱成さんの眉が寄せられるのがわかった。



「俺に何もするなと?」


「……はい」


「あんたの顔が痣だらけでも。また倒れても、帰りたくないって家出しても、これからは何もするなって言ってんのか?」


「……はい」


「あんたが死んでも、あんたの親には何もするなって?」


「はい……」


「………」


「壱成さん、これは手が乾燥しているんですか?」



私は話を変えるために、壱成さんの手に触れた。壱成さんの左手の指……。指の付け根の関節部分に触れた。少し膨らみがあり、かと言って柔らかくなく硬く。部分的に乾燥しているようだった。



「……」


「壱成さん?」


「…これは、拳ダコって言って、殴るとできる」


「けんだこ?」


「血が出たり、そういうのを繰り返す度に薄かった皮膚が硬くなる。だからこんなふうになってる」


「そうなのですね、勉強になりました」



笑って言えば、どうしてか壱成さんに「悪かった…」と謝られた。なぜ壱成さんが謝るのか全く分からず、「え…?」と、困惑する。



「この傷、殴られたのは俺と関わったからだろう」


「壱成さん……」


「分かるから。殴られて痛いのは」


「……」


「……悪かった……」


「壱成さんは何も悪くないです」



私は壱成さんが好き、壱成さんも私のことを好きでいてくれて。

そんな壱成さんとは、夜が明けるまでたくさん話をした。

お父さんが用意した内容を、全て壱成さんの口から聞くほど、たくさん話をしたと思う。



その日の夜は、今までの人生の中で1番楽しかった。

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